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「嫌われたくない」「愛して欲しい」で苦しい時に伝えたいこと


「あなたに嫌われたくない」

今年の上半期は、このメッセージをいろんな人から受け取っていたように思います。


わかりやすいところでは娘から。

ママに好かれたい。

ママに嫌われたくない。


私にもある。

あなたに嫌われたくない。

という想い。


複数の人に対して思うことがあるし

時には

まだ出会ったことのない

大半の人々にも思うのだ。


まあ、社会的な動物としては

大事な思いなのだと思います。


でも

嫌われたくない

好かれたい

という想いは

自分を苦しめるだけでなく

本来進みたい方向や

豊かさの本質から

自分を遠ざけてしまう場合も多いと思うのです。


だって、相手が自分の価値を決めることになるから。

だって、相手に合わせることになるから。


それで、今日お伝えしたいのは

「愛されている」とか

「受容されている」とか

そもそもどうでもいい状態なのがベストだと思うんですが、

そうもいかない時には

「はい、私は愛されてる」

そんな風に勝手に思っておきましょう

ということです。


別の言葉にするなら

「愛されている判定」

「受容されている判定」

この基準をそんな厳しくせず

ゆるゆるに、ゆるめて下さい

ということです。


例えば私は「愛を求められる立場」に立つ時を観察してみると、こんな風に感じているんです。


私、24時間ずっと

あなたのことを考えてはいられないのです。

私、自分のやりたいことを後回しにして

いつでもあなたを優先できるわけじゃないんです。

私、あなたが期待するような反応を

返す時もあれば

返せない時もあるのです。

私はあなたが期待するほど

優秀でも立派でもないし

ぶっちゃけ

お互い得意なところや

人生経験が「多少違う」っていうだけで

同じ「種」の

宇宙人から見たら

区別もつかないくらいの違いしかない

そういう存在なのです。


だから

微笑まない時もある。

逃げる時もある。

もしかしたら

「今むりです」って

拒絶すら、する時もあるかもしれない。

自分の無知や余裕のなさから

勝手にあなたに幻滅することもあるかもしれない。


だけどずっとそのままじゃないし、

あなたを切り離してもいないんです。


なんていうか

まるっとまるっと私の世界にいて

「距離をおく」ということも含め

関わっていきたい気持ちがけっこうしっかり、あるんです。


私的には。


この「私的には」。

改めて見ると、

勝手だなぁって思うんですよ、自分でも。

だけど、関わりたい人はたくさんいて、

全員の「期待」に合致するようには生きられない。

これ、重要!

これ、私だけじゃなくてみんなそうだと思うんです。


だから、誰かが

あなたの期待に応えないことがあることを

異常事態に思わないでいいのです。

ましてその人に

愛されてないとか

受容されてないとか

そんな風に傷つかなくていいんです。

まあ、

愛されてない!

受容されてない!

って、思ってもいいんだけど。

どっちやねん。


まあ、思ってていいんです。

でも、それが苦しいなって煮詰まってきたら

思い出して下さい。


愛されてる判定基準、

もしや、だいぶ厳しい設定になってるんじゃ?

って。


そして、

はい、愛されてるー!

ってことにしておいて下さい。


愛されてる前提で

さておき、この時間をどう豊かに過ごそうかな?

そこに目を向けてみたら・・・


何が見えてきましたか?


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