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自分のこと嫌いだっていいじゃないか。


自己啓発やスピリチュルアルに触れていると

「自分のことを好きになりましょう」

というメッセージにわりと出会う気がします。


そして、私も前はそうだったのですが

このメッセージをわりとするっと

「そりゃそうだ!」

なんて思って受け入れてしまうんです。


そして・・・

好きになれなくて苦しんじゃう。

そんな方に出会います。

「好きになりたいなら、嫌いな部分を受け入れましょう」

う、受け入れられない。

「好きになりたいなら、嫌いな部分をなおしましょう」

う、な、なおらない。

ってか、なおす気がないかも。

あるがままで愛されたいんだもん。
いい子だったら愛してくれるなんて、そんなのヤダ。
ダメな子でも何でも愛してーーーっ。
(私はダメなあなたを愛しませんけれども)
そんな本音もなんとなく気づいてて・・・


あぁ、ますます自分が嫌い・・・!


よし、好きになれるよう頑張らなきゃ!!!

・・・頑張れない。

そんな自分がさらに嫌い・・・っ!


みたいなね、

バッドルーーーープ!!

に、はまってしまう方に出会ったりします。


そして「自分を好きになりたい」とおっしゃるのですが・・・

私ね、ぶっちゃけね、

嫌いでいいじゃーん!


ってお伝えしたいのです。


自分のこと嫌いでいいじゃん。



なぜって、自分を好きか嫌いかは人生にとって重要なことじゃないから。


もうちょっと突っ込ませてもらうと、

「自分」ってなんでしょう?


自分を好きになれないって悩む方の多くが

「自分」をざっくり捉えてまとめすぎなのです。

自分の「ここ」が嫌いっていう部分が、ひとつかふたつ、もしくは、たっっくさんあるだけですよね。


そこ、そんなフォーカスするところじゃないんですよ。


かく言う私も、自分を嫌いって思っていて、自分を好きになろうと頑張っていた時期もあるんですよね。


でも、好きになろうとするのをやめました。
嫌いなところをなおすのもやめました。

だって、私には無理だもーん。

解けない問題から先にやってたら人生終わっちゃう〜〜。


それにね、仕事先である人を見ていて気づいたんです。

私はその人の「ここ」と「あそこ」と「ああいうとこ」がだいぶ嫌いでした。
同時に、ちょっとした時に見せる笑顔や、背が低いことを気にしているくせに気にしていないフリをするところ、何より生み出す作品が好きでした。

その人の「嫌いなところ」がなくなったらすごくいいのにな・・・って思ったんですけど、同時に感じていたのです。

嫌いだと思っている部分がなくなったら、好きだと思っている部分もなくなるんだろうな〜って。
好きなところも嫌いなところも、その根っこはもしかして同じなんじゃないかなぁって。

ちょうど同じ時期に、当時の上司に私も言われたのですよ。

「俺は君の口の減らないところにむか〜っと来るし、痛いとこついて来るところとかめちゃ嫌いなんだけど、そこを矯正しちゃったら、君についてるお客様も消えちゃうんだろうな。結局、君の『ある要素』がプラスに出る人には長所でマイナスに出る人には短所なんだよな」

まさに私が職場で別の人について感じていたのと、同じことを言っているなと思ったんですよ。


それってね、

好きだけが愛じゃない。

ということです。

嫌いなところがあるままに、愛することは可能だなと

そう思うんですよね。


だから、好きとか嫌いとかそんな重要じゃないんです。


それでもやっぱりそこから抜けられない時は

空を見たり

花を見たり

映画を見たり

近くの人を見たり

よく知らない人のライブ配信を見たり

他のことに気をとられてみて下さい。


または

「自分」をもっと大きくとらえてみて下さい。

自分の定義って、自分以外の存在で作られているんです。

私は強いとか弱いとか
良いとか悪いとか
誰かと比較しないと決まらないし
私は娘ですって言うには親が必要だし
私は先生ですって言うには生徒が必要だし

関係性の中心にあってないもの。

自分とは

そんな幻みたいな存在

そう気がついたら

本当に好きとか嫌いとか関係なくなっちゃうので。^^


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