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成功者の好むものを好むべし:マニキュアを塗る

(実在の成功者モデルたちをひとりの人物「先生」として描く小説です)

 コートダジュールの海を見下ろせるヴィラの一階のテラスに出てマニキュアを塗っていると、向こうから足音が近づいて来た。

「なにしてんの?」

 ライトブルーのジャケットに白とブルーのストライプのネクタイを合わせた高橋さんが、中身がいっぱいに詰まったショッピングバッグを両手に持ってやってきた。

「マニキュアを塗っているところです」

「ほうほう」

 高橋さんはテーブルの周りの椅子のひとつにバッグを置くと、私の真向かいに腰を下ろした。

「買い出しですか?」

「うん。15人もいると飲み物もあっという間になくなるね。またあとで河村と一緒に行ってくる」

「ありがとうございます!おかげさまで私たち、快適です」

「ああ、いいのいいの。こういうのも愉しいから。・・・しかし、いいね〜」

「ん?  いい?? 何がです?」

 爪からマニキュアがはみ出ないよう量をコントロールしながら濃いめのピンクを爪に丁寧に伸ばしている最中。爪に意識を集中させたまま、高橋さんの方を見ずに聞き返した。

「マニキュアがきれいに塗られた指先はとてもいいよ。女性はこうして丁寧に大切に塗っているわけだね。夜のパーティー、どんな装いで出てくるかも期待してるよ」

 そう言うと、高橋さんは立ち上がってバッグを持った。

「つい、マニキュアにつられて寄っちゃったわ。肉が傷む前に冷蔵庫に入れないと!またね!」

「はーい!お褒めにあずかりうれしいです!またあとで」

 私は顔をあげて、まだマニキュアを塗っていない方の手を振った。


 高橋さんは複数のフィットネスジムの経営者だ。先生にご紹介いただいた方で、今ではこうして一緒にみんなでバカンスに出かける間柄になっているけれど、体が大きい上、スキンヘッドだし、なんとういか・・・威厳あるオーラがどおんと出ていて、近寄りがたい雰囲気だった。男女両方から人気もあり、いつも誰かに囲まれている印象。なかなか個人的に話すきっかけがつかめないでいた。それなのに、こうしてあちらからわざわざ足を止めて話しかけてくれるなんて。

 マニキュアの威力よ・・・。
 たかがマニキュア、されど、マニキュア。


 このマニキュアを塗るというのも、先生の教えだ。


「御厨さんは、なんでマニキュアを塗らないの?」

という先生の質問に、今思えばだいぶ恥ずかしい返事を返したのだった、私。

「時間の無駄だからです。
あれって、乾くのに時間がかかるんですよ。
そのわりに、洗い物とかパソコンとか日常の諸々してるとすぐはがれてきちゃうんです。
かといって、サロンでやってもらうと高い上に、1時間半とかかかるんですよね。その間、じーっとどうでもいいお店で流れてる映画を見てるか、担当の人とおしゃべりです。そんな時間があれば、本を読みたいし、仕事したいし、じゃなかったら、友達と喋ってる方が楽しいです」

「うわ・・・ブスだな〜」

 先生は顔を歪めてそうつぶやいたのだった。

 ブス、という言葉はなかなかにインパクトがある。私は外見にコンプレックスもあったから、この言葉は人生でずっとけっこうきつかった。

 でも、この時は、

 言葉を言葉通りにとるということ
 言い方に左右されず情報の本質をフラットに受け取ること

を、教えてもらった後だったので「ブス」という言葉にダメージは受けなかった。

「ブスなんですね?! じゃあ、ブスやめます!マニキュア塗ります!」

 そう答えた私に先生は、私の職業を確認し、特に制限がないことを知るとこうアドバイスしてくれた。

 では、きれいな明るい赤のマニキュアから始めなさい。
 ゴテゴテしたデコレーションはなし。一色塗りにしなさい。

 
 こうして、私のドレッサーにはマニキュアが加わった。その日、私のお部屋は少しだけ女っぽくなったような気がした。


 
 そのマニキュアが、高橋さんという遠くにいたはずの成功者があちらから話しかけてくるという出来事を引き寄せたのか・・・。

 マニキュアをきれいに塗り終えた後、私はうれしくて先生にすぐに報告のメッセージを送った。

 すると先生から誰か女性の手元の写真が送り返されてきた。

 その指先にも赤いマニキュアが塗られていた。でも、爪からはみ出して、指にもマニキュアが付いていた。

「どう塗るか、ということにもその人のあり方や態度が現れるよね。高橋を引き寄せたのはマニキュアなのか、それを扱う君のあり方なのか、どっちだろうね」

「あり方です」

 私はそう返した。


 実は、マニキュアを塗り始めてほどなくして、私はまた塗るのをやめてしまっていた時期がある。
 やめた理由は「すぐ剥がれる」「爪が弱った」のふたつ。

 そんな私の指先を見て先生はおっしゃったのだった。

「成功の階段を昇ったかと思ったら、踊り場まで降りてしまう。それが御厨さん」


 そこで私は、どうしたらマニキュアを塗り続けることができるか考えることになり、爪の強度を上げるには日頃のケアや、食べ物などにも意識を配ることが必要だと気がついた。
 爪をしっかり見て、状態を理解し、最高の姿にして上げるためにやるべきことは大したことはないけれど、たくさんあるし、毎日のこと。

 成功者が愛しているもの、それはこうした手間暇をかけること、なのかもしれない。そういう生き方なのかもしれない。

 私の中にあった「成功者像」は、先生を通して崩れ始めたのだった。


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