見出し画像

それで、0点 (1)

(実在の成功者達をモデルにし、ひとりの人物「先生」として描く小説です)

「御厨さんって、おじさんだよね」

 渋谷のとあるお店でうな重を一緒にいただいている時、先生は唐突にそう言った。

 いや、唐突に感じたのは私の方であって、先生からしたら自然な流れだったのだと思う。ずっと思っていたことが言葉になるようなことが起きた(私がやった)に違いない。

「え、私、おじさんですかっ?」

「御厨さんに限らず、まあ、そういう女性は日本は特に多い気がするけどね。パッと見て性別がわからない」

「あー、わからない人多いですねぇ」

 私の横に座っていた高橋さんがこくこくと頷いた。

「そもそも香りすらまとっていない」

「香りって香水です?」

 私は箸をとめて、高橋さんの方を見た。高橋さんは幸せそうにうなぎとご飯のミルフィーユを口に運びながら頷いた。この食べ方が重要らしい。

「あ、御厨さん、ここのうな重はちゃんとうなぎ・ご飯・うなぎ・ご飯って重ねたまま食べてね」

 先生は最初にそうおっしゃった。先生はいつも「最高の食べ方」を必ずする。

「御厨さん、香水をまとわないのはなぜ?」

 先生は私の答えを知っているというような顔で聞いた。

「まとってますよ」

「え、まじで?」

 私の答えに高橋さんがつっこむ。

「それ、つけてるうちに入らないよ。まったくわかんない。パーティーの時はちゃんとまとってたよね」

「あれは、パーティーですから20プッシュくらいしました。でも今日は普段づかいだから」

「普段づかいだから何?」

 高橋さんはちょっと私をバカにしたような顔で笑った。

「まとってることがわかんなきゃ、意味がなくない?」

「香水つけてると電車の中で嫌がられるんですよ」

「どんな風に?」

 先生に聞かれて私は「あれ、どんな風だったかな」と考えた。

 20代前半の頃、電車で隣にいた女性のお化粧と香水の香りがきつくて嫌だなぁと思ったのを思い出した。バイト先にいた先輩の香りがきつくて嫌だったことも。

 あれ? 私が嫌がられた記憶じゃないぞ、これ。私が嫌だった記憶だ。

 む、私、自分が嫌だったから他人も嫌だろうと思ったんだな・・・。そして、同じことをして見知らぬ誰かに嫌われるのも嫌だったんだな・・・。

 そんな気づきを口にすると先生は「だよね」と微笑んだ。 

「御厨さん、正しい香水のつけ方を覚えるといいよ。香水をまとわないのは、完全なコーディネートをしたつもりで、裸足ででかけてしまうようなものだよ」

 高橋さんがそう言うと先生もうなずいた。

「高橋、御厨さんに香水を選んであげたら?」

「お、マジですか?」

 その瞬間、高橋さんの大きな体が一瞬かたくなり少し縮んだように見えた。いつもの太く響く声が少し上ずっている。

「女性に香水を選ぶなんて、高橋はやったことないだろう? それくらいできるのが当たり前になった方がいい。御厨さんに香水を選んであげてほしいな」

「わかりました。いやー、参ったな。まさか俺が試されることになるとは!初のワイン選びぶりくらい緊張してきた」

 高橋さんが本当に緊張しているのが、横からビシビシ伝わってきた。でも、イエス即答。できるかどうかなんて事前に計算しない。やると先に決める。こういうことなんだなぁ・・・。

 私の考えていることを読みとったような笑みを浮かべて先生は言った。

「神様は突然テストするんだよ。そしてそのテストにはパスした方がいい」

 神様というのは先生のことではない、もちろん。
 そう言えば、神様についても先生はおもしろいことをおっしゃっていた。だけど、今は香水だ!

「俺の日常の生き方がチェックされる関門にさしかかったわけですね」

 高橋さんはいたずらっ子のような目をして私を見た。


 食事の後、私たちは銀座の百貨店へ移動した。高橋さんが私に選んでくれたのは「Dior」の「ジャドール」だった。
 甘くて華やかな香りは私には不似合いに思えたけれど、それは私が今は「おじさん」だからなのだ。

 手首にそれぞれ2プッシュ。両方の太ももに1プッシュ。足首にも1プッシュずつ。耳の後ろにも1プッシュずつ。そしてふと、伸ばした髪の先にも軽くふりかけた。

 香りに包まれて百貨店のお化粧室から出ると、世界が違って見えた。
 私が歩くと、香りが遅れてついてくる。くるりと回ると、香りもくるりと渦を描く。

 私、幸せだな。
  

「先生、高橋さん、私、素敵でしょ!」

「素敵だね。それで、0点」

「0点?!」

「点をあまくして、0点」

 先生は普通の顔でそう言った。冗談じゃなく、本気なのだ。

「今まではマイナスがひどかっただけ。・・・続きを聞きたい?」

「はい!」

 やばい、やばい。楽しすぎる。なんだ、先生の基準は!

「じゃあ、高橋も冒険しないと。高橋、御厨さんに服を買ってあげたら? クローゼット全部入れ替えるくらい」

「え?!」

 高橋さんの体がまた一瞬、少し縮んだ気がした。

「ダメっすよ、女の子に服買ったなんて、嫁が知ったらブチギレです。クレカ明細チェックするんですよ、うちの嫁!」

「だから、何?」

 さっき、高橋さんが私に言った言葉を今度は先生が高橋さんに言った。

「神様のテストって、日常どう過ごしてるかを試されるんだよねー」

 先生はにやりと笑った。

「いたいなぁ・・・」

 高橋さんは右手を頭にやって首を傾けた。

 そりゃ困るよね。奥さんがいい気持ちがするわけないもの。私とは何にもないのに変な関係じゃないかって誤解される恐れもあるわけだし。何もなくても、よその女性に服を買ってあげるなんて奥さん、絶対いい気しないよね。

 そんな気持ちから私は思い切り首を振った。

「いえいえ、いえいえ、お洋服買っていただくなんてとんでもありません!選んで下さったら自分で買います」

「ブス」

 先生はじろりと横目で私をにらんだ。

 なんだとぉぉぉぉ! 「ブス」またきたぁぁぁ!

「高橋の成長のチャンスを一般常識の思い込みで握りつブス」

 え、だじゃれ?! 先生・・・っ。

 つっこもうかと思った矢先、向こうから毛皮のコートを着た華やかなオーラの女性が笑顔で近寄ってくるのが見えた。

「先生!高橋さんも!すごいぐうぜーん!」

「おー、愛!」

 白地に黒ぶちのラビットファーのショートコート、ギャザーがたっぷり入った黒レザーのミニスカート、細い足は生身・・・かな? 白のショートブーツをあわせている。そして、お財布と携帯がギリギリ入るくらいの小さな赤いバッグを持った指にはキラキラの指輪がいくつも。耳にも大きな白いファーのピアス。うー、かわいいかっこ!
 そして、極めつけに顔もかわいい!!!!

 愛、と呼ばれた女性は先生と高橋さんに挨拶すると私にも笑顔を向けてくれた。

 メイク濃いなぁ。でも、かわいいなぁ・・・。

 私は自分のメイクが薄いことがなぜかとても恥ずかしい気持ちになった。
せめて香りを身につけていてよかった。知らなかった。香りは、武器にもなるのだ。

「銀座で買い物?」

 高橋さんの質問に愛さんはうんうんとうなずいた。

「今から、木津さんと待ち合わせして誕生日プレゼント買ってもらうんですよー!」

「あれ、誕生日いつ?」

「明日ー!じゃあ、もう5分遅れてるので行きます!お会いできてうれしかったー!」

 愛さんは満面の笑みのまま軽く会釈をし、遅れていると言ったわりに悠然と歩いて行った。彼女が通りすぎた一瞬、ふわりと甘くスパイシーな香りがした。

「かわいいだろ」

 先生の言葉に私は素直にうなずいた。

「はい。でも、友達になれるかというと、多分なれない。嫌いなタイプの予感です」

「だから君はブスなんだよね。愛がこれからプレゼント買ってもらうって言ってた木津って、愛の彼氏でもなんでもないんだよ。愛にはああやって色々買ってくれる男が複数いる。君はそういう女性が嫌いだよね」

「嫌い・・・だけど、うらやましいというのは正直あります」

「じゃあ、重症ってわけでもないかな」

 先生はそう言うと、あらためて高橋さんの方を向いた。

「どうだ、高橋? このブス、どうにかしてあげないとダメだろう?」

「マイナスがひどいですもんねー」

 高橋さんは観念したようにうなずいた。

「御厨、お前、俺の『プレゼント』を受け取る覚悟はあるんだろうな?」

「そ、それは、男女の関係になるってことですかっ?」

「ばーーーーか!世間に頭こすられすぎなんだよ。俺、女に困ってませんし、奥さん大好きなんで! いい女になる覚悟はあるのかと聞いてんだよ」

「はいっ!」

 私は即答した。その後、私は試練に出会うことになる・・・。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?