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5月18日は「ことばの日」

普通に19日だけど許してくださいw

かぐや姫見て、号泣してましたw


今日は、私が考える言葉の価値や重みについて伝えたいと思います。

私は中学生の頃から、周りに合わせて物事を見ることが難しい子でした。みんなが雰囲気でぼんやり理解していることを同じ解釈で理解することが難しかったです。みんなと同じものを見ているはずなのに、私だけいつも違ったのです。

ですので、小さい頃から私はみんなと違うんだな、って孤独を感じていました。社会とつながる術を知らなかったのです。

しかし、そこまで自己主張が強いわけでもなく。周りに流されて、ぽーっと生きていました。

そんな私が高校生になり、大学の受験勉強を始めることになるのです。受験勉強こそ、普通との闘いですよね。みんなが同じ問題を読んで、同じ答えを出せたらみんな大学合格できますけど、そうでもないですもんね。

私の場合は、特にバカ+普通の人と解釈がずれているから、余計成績が悪くて、先生をよく困らせていたものです。

だけど、唯一楽しい授業がありました。

それが現代文の授業でした。

現代文の授業で、私は「言葉」を知ったのです。

言葉のおかげで、世界との繋がりを持てたように感じました。

以前は、社会と自分を切り離して考え、絶対に他の人と分かり合えないと思って居ました。そんな私に言葉を授けてくれたのが、現代文の先生です。

言葉とは自分の意見を伝える手段であり、かつ他者を受け入れるためにも使えるもの。つまり、他者と自分をつなぐためのツールなのです。それを磨くことによって、寂しくなくなったり、強くなれたりする、とても優れた価値のあるものでした。

きっと他の人は3歳くらいでそれを理解すると思うのですが、私がただしゃべってるだけで、価値や意味を伝えたり、生み出す手段には用いていませんでした。特別じゃなかったのです。

でも、言葉のおかげで、ふんわりでしか理解できなかった物事を詳しく理解することができるようになりました。辞書とか先生に聞くことでぼんやりしたことをある程度知ることができたのです。

つまり、ぼんやりとでしか共有できなかった雰囲気という社会認識を、その先生が言葉によって線引きして、物事の整理のお手伝いをしてくれたのです。すごい楽しかったです。

言葉を知ることは、他者を知ることであり、社会を知ることだったのです。自分が生きていく世界がどういったものか、先生の授業を通して知ることができました。

「周りの人はこんなことを考えていたのか」と「私もこうやって言葉を伝えれば、気持ちを表現することができるのか」と、言葉の重要性を知ったのです。

その時に、自由を得たというか。

生き方が分かった気がしました。

自分と他者をつなげるもの、生活をしていくもの、それが言葉だと学んだのです。

もし、分からないを分からないのまま流されて生きていたらと考えると、今のような幸せな日々を送ることはできなかったでしょう。

世界とのつながりを持てない人間になっていたと思います。


ですので、17歳という自己形成の段階で、言葉の意味や価値を知ることができてよかったと思っています。言葉は感情に任せて使うものではなく、他者との意思疎通に使うものなので、むやみやたらに使うものではありません。

言葉を選んで使うこともあれば、あえて使わないこともあります。そうやって、今では当たり前の言葉の使い方や重要性を学べたことは、本当に感謝しています。


ありがとう、先達。


~追伸~

当時の現代文の先生とは今でもお付き合いがあり、常に何を恩返ししようかを考えています。私の個性を認めてくれて、伸ばしてくれた恩人なのですが、当人も何を考えているのか分からない不思議系の方なので。

プレゼントや恩返しにいつも悩みます。

暇な時、考えよーw


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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人に何と言われようとも、自分は人の真似ではない自分の道を毅然として進んでいきたいという思い。
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