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国語から消えていく「味わう」

 書き終わって、知ったことを書き記すに止まってしまったことを反省しました。ですからこの記事は、ちょっとかためのエッセイということにします。同じ話題を扱った論文がある気がするのですが、図書館にも通えませんから、いま自分なりに考えたことをまとめることを大事しようと思い書いてみました。

 国語の教科書を読んでいると、「味わう」という表現と出会うことがあります。つい先日、古典の教科書の学習目標から、古文が何を学ぶものだと示されているか、を見てみました。そこに「味わう」という表現がいくつか見えて、だいたいどういうことを目指しているのか伝わってくる気はするのですが、では説明しろと言われると、とたんに苦しくなりました。

味わうって何?

 そもそも、「味わう」ってどういう意味でしょうか。『日本国語大辞典』を紐解いてみますと、

あじ‐わ・う[あぢはふ] 【味─】
【一】〔他ワ五(ハ四)〕
(1)味見をする。食物のもつうまさをかみしめながら食べる。
(2)物事の意義や趣を深く考える。玩味する。
(3)経験して深く印象に残す。体験する。

と、3つの意味があるようです。(1)はないとして、国語の教科書や、その前提となる学習指導要領では(2)、(3)のどちらで使っているのか、すぐには判断できません。
 ここでどちらの意味なのかを考えても良いのですが、いずれにせよ感覚的なニュアンスを持っていることは間違いありません。元の意味から派生した比喩的な用法です。経験的にですが、この類の語の意味を厳密に求めようとしてもろくなことになりません。こういう言葉は、曖昧だからこそ使うわけですから。
 ただ、こうした曖昧な表現が「どのように使われているか」は見ておいて良いでしょう。

学習指導要領の「味わう」

 現行(平成21年告示)の『高等学校学習指導要領 国語』を見てみます。引用しておいて言うのもなんですが、指導要領の文章作法が苦手な人は一目見ただけでうんざりするでしょうから、一つ目だけ読んで、スクロールして飛ばしてください。

①文章に描かれた人物,情景,心情などを表現に即して読み味わうこと。(国語総合 内容 C 読むこと(1)ウ)
②文章特有の表現を味わったり,語句の用いられ方について理解を深めたりすること。(現代文A 内容 (1)イ)
③文章の調子などを味わいながら音読や朗読をしたり,印象に残った内容や場面について文章中の表現を根拠にして説明したりすること。(現代文A 内容 (2)ア)
④文章を読む楽しさを味わったり,近代以降の言語文化に触れることの意義を理解したりす ることを重視し,読書への関心を高め,読書の習慣を付けるようにする。(現代文A 内容の取扱い(1))
⑤文章を読んで,書き手の意図や,人物,情景,心情の描写などを的確にとらえ,表現を味わうこと。(現代文B 内容(1)イ)
⑥古典特有の表現を味わったり,古典の言葉と現代の言葉とのつながりについて理解したりすること。(古典A 内容(1)イ)
⑦古文や漢文の調子などを味わいながら音読,朗読,暗唱をすること。(古典A 内容(2)ア)
⑧古典を読む楽しさを味わったり,伝統的な言語文化に触れることの意義を理解したりすることを重視し,古典などへの関心を高めるようにする。(古典A 内容の取扱い(2))
⑨古典の内容や表現の特色を理解して読み味わい,作品の価値について考察すること。(古典B 内容(1)エ)

 合計9箇所、国語総合、現代文A・B、古典A・Bの内容に「味わう」が登場します。教科全体で広く使われていることがわかります
 「味わう」の対象は、「表現」「文章の調子」「読む楽しさ」といったものです。どうも慣れない表現です。
 一番わかりにくいのは、国語総合での使われ方です。もう一度引きますが、「文章に描かれた人物,情景,心情などを表現に即して読み味わうこと」。「読み味わう」という複合動詞はあまり目にしません。試しにGoogleで検索にかけてみる(※1)と、国語の授業に関するサイトが並びました。どうやら、その分野の人の間で主に通用している言葉のようです(※2)。「楽しさを味わう」「読む楽しさ」等を検索しても、教育関係のページがヒットしました。「味わう」は教育用語のようです。とにかく、辞書の意味を踏まえてその意図するところを汲み取ろうとするなら、例えば「良さを深く感じ取りながら鑑賞する」くらいのニュアンスでしょうか
※1 シークレットモード。それでも地域情報がバイアスになるとかならないとか。中学国語のサイトが多かった印象です。
※2 酒井まゆみ(2008)は「作品を読解し、さらに鑑賞する能力」と定義しています。他にご存知の方はご教示願います。

消える「味わう」

 ところが、この「味わう」は平成30年告示版では全て消えています。全てです。先に挙げた国語総合の箇所を新旧で比較してみます(学習指導要領比較対象表 青枠は私がつけました)。

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 左側は新指導要領の「言語文化」です。項目が完全には対応していませんが、とにかく「味わう」はありません。感じるだけでは足りないということになったのか。曖昧さを避けようとしたのか。すでに言われていることですが、こうした点を通して見ても、新指導要領は明らかに内容が具体的になりました(このことの賛否はここでは触れません)。

 「味わう」は国語の世界で割と多用されているイメージがあったのですが、学習指導要領からなくなる(※3)というのは驚きです。数が減るのではなく、全て消されるということからは、編纂側の明確な意図を思わずにはいられません。
※3 他教科にはあります。高等学校学習指導要領(H30)では、体育、芸術(音楽、美術、書道)に。それから生徒会活動の「儀式的行事」の内容に「味わい」が1例。

「味わう」が消えることから想像すること

 では、なぜ消えることになったのかという理由を考えようとすると、今はまだ想像の域でしか言えませんが、一つはおそらく疑問の出発点となった「味わう」の曖昧さに起因するのでしょう。もう一つは、「味わう」という表現にある種の押し付けがましさがつきまとうからでは、と想像しています。それは「味わう」が対象を肯定的に評価することを前提とした言葉だからかもしれません。「味わう」が教育用語のような存在になっていることも、こうした前提を共有できるものの間で流通してきたと考えれば筋が通ります。敢えてこの比喩の意図するところを逆手にとって言えば、「まずい」「美味しくない」といっても良いはずです。しかし、そうしたことが許される雰囲気の国語の授業というのは、少し想像しにくい。『源氏物語』を扱う授業などを思い浮かべると、リアルです。

 感性に直接訴えることのできる表現は便利です。しかし、学び手に目標・ねらい(≒指導する内容)を示す際は、それが確かに伝わり、共有できるよう具体化する努力が必要です。それはまさに、こちらが学び手に要求していることです。

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