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安田章大と,生きる。〜やすを見つめて命と人生を考える〜

はじめに 改めて考える,安田章大という1人の人間について

 ボクが安田章大という関ジャニ∞の1メンバーを知って今年で12年が経つ。小6の頃から日々彼を追いかけ,彼のパフォーマンスや言動行動を見つめてきた11歳から23歳までの人生を歩むなかで,確実に多大なる影響を受けてきた。もし,ボクがあの時にあの時のやすと出会っていなかったら,今自分が抱えている,たとえば価値観や美的センスたちなんかはきっと存在していなかっただろうし,大袈裟ではなく,きっと違った人生を歩んでいったんだろうなとも思える。

 やすを見つめてきて,それまで「当たり前」だとみなしていた考え方が大幅に刷新されたり,それは変でしょ〜とすぐに切り捨ててしまうようなコトやモノだって,彼と出会ったおかげで一度立ち止まってちゃんと考えられるようにもなった。時にそれまでの価値観は壊され,時に新しくしてくれたり,時に植え付けてくれたりもする。人にここまでの影響を与えてくれる人物なんて,家族や学校,職場というコミュニケーションの場で出会うことなんてまずないのに,「アイドル」というボクらのいる世界からは遠く離れたところから,自身の考え方や人生までをも変えてくれた安田章大という1人の人間・アイドルの存在に恐れ慄いている今日だ。

 彼の人となりを知っている方々ならきっと同意してくれるだろうが,それだけの影響力を持っている彼は別にめっちゃ変な人というワケでもないし,クセが強すぎて奇異な考え方や思想を持っているというワケでもない。ボクが思うに彼の長所は,常識だとか人の目だとかに縛られず,どんなことにおいてもそれぞれのオリジナルを見出して,素直にそれらを評価したり繊細かつ広い感情のアンテナを持ち合わせているところなんじゃないかなと思う。ボクらはどこかで自分の感情や感覚における素直さというものが,自分ではない何かや誰かからの影響やまなざしによってせき止められてしまうことが往々にして起きがちだ。それこそ,ボクが研究しているジェンダーという観点においても「女子力」だとか「男らしさ」だとか,そういった社会的構築物によって無意識に自身の言動や行動に大きな影響を与えられることが多い。

 数年前にやすは病を患い,その尾がいまでも後を引く今だからこそ強く意識している「生きることの素晴らしさ」を,写真集という形で,ボクらはそれをようやく手に取れるようになった。「生きる」という多くの人にとって当たり前すぎてなかなか目立って意識しないこの実践は,それが危ぶまれたときに初めてハッキリと意識するようになる。幸か不幸か,やすはこのようなボクらにとっての当たり前を意識せざるを得ないような状況に置かれることになった。

 けれど,ボクは今のやすもそうだし,それまでのやすを見ていても,日々を生きることの素晴らしさやそこから見出せる期待への可能性を確実に感じ取れていた。これは絶対に間違いない。今日は一度,彼のどのような言動や行動が自分の価値観や考え方などに大きな影響を与えてきてくれたのだろうかついてじっくり考えてみたい。

「かわいい」男性の発見と,「素直」を思い出すこと

 ボクがやすと出会ったのは小学6年生の頃,ちょうど『無責任ヒーロー』がリリースされたくらいのときである。一応,ボクがエイトにはまるきっかけを申し上げておくと,シングルリリースに際してMステでこの新曲を披露するのだが,曲の感じも合わさって「なんてこの人たちは自由なんだ」という衝撃を受けたのが最初の入りだ。「気になったらとことん調べ尽くす」というのがボクの昔からの性格なので,この時もその例に漏れず,とにかく彼らの出演するバラエティ番組を録画したりそれまでにリリースされた楽曲を聴いてみることにした。

 その中でボクは安田章大と出会うことになる。ボクはこの当時から今までずっとエイトのなかでは安田担として変わらず応援してきたのだが,ほぼ一目惚れに近い形でここまで追いかけることになった。彼への第一印象は「男”なのに”かわいい!」ということだった。

 今でこそ「男なのに〜」とか「女なのに〜」みたいな,性別による変な固定観念は(こういう分野を研究している身でもあるので)自分のなかではもはやほぼ存在しないのだけれど,小6の当時は「男でかわいいはダメ,かっこよくいなきゃ」とか「男で赤色の上履きを履くのはヤバい,絶対に青!」といった自分のいる周辺にある当たり前だとか風潮だとかをガンガン吸収して,「男」「女」というのを強く意識しはじめる頃だった。ボクの下の名前は「こうき」で,幼なじみの友人やそのお母さんやお父さんからは「こうちゃん」とよく呼ばれていたのだが,「”ちゃん”って女の呼び方だから嫌だ」と言って「こう”くん”」に訂正させたのもちょうどこの時だった記憶がある。

 そんな敏感な時期に安田章大を発見したとき,最初はたしかに「身長低いし,声高いし,木村拓哉(←当時のボクにとっての男の模範)とはほど遠い。」みたいなことは思ったのだが,なぜだか,だからといって彼にネガティブな感情は持たなかった。何の映像や曲を観たり聴いたりしてこう思うようになったのかは覚えていないけれど「この人,めっちゃかわいいな」というポジティブな印象が勝った。

 例えば,大倉と何かの拍子で並んだ時のカップル並みにあるあの身長差であったり,当時やっていた「canジャニ」や「ジャニ勉」でみせる素直なリアクションであったり,歌声などを見聴きする度に,今まで感じたことのないような興奮を覚えた。この当時のボクは男で声が高かったり,身長が低かったり,女々しい感じを出すのはアウトという価値観でいたはずなのに,やすに対しては全然許せる...許せるというよりも,「これが魅力ってやつか...」とたしかに感じていた。

 これは,何かに「目覚めた」というよりも,「思い出した」のだ。大人になるにつれて,それぞれ個性や性格は多様化していく。ボクはたまたま「男」として生まれ,見事に「男とは」という社会的な風潮を敏感に察知して生きていた。本当はめちゃくちゃ悔しかったり悲しんだりしたとしても,「男だから」泣かないよう努めたり,本当はめっちゃ嬉しいんだけど,クールに反応していたほうがかっこいいみたいな感じで,小学生ながらにして無意識にそういった「男」を演じていた。

 だけど,自分がもっと子どもだったときのことを振り返ってみると,そんな無駄な演技なんてせずに,自分の思ったこと感じたままに振る舞っていたはず。喜ぶときは本気で喜ぶし,泣きたくなってしまったときには泣く,みたいな感じで自分の気持ちに対して素直であった。

 当時のボクにハッキリとこのような差を意識していたワケではなかったが,彼の素直な言動や行動であったり,クセのないストレートな歌声で歌われる歌詞がそのまま心に届けられる感じがして,自分がもっと子どもだったときの,あの時の純粋無垢な感覚を思い出した。エイトの曲をひたすら聴きまくっているときに見つけた『あの言葉に』で丸と歌われた「傷ついたり 見失ったり しだいに枯れてゆく 僕の大地に 君の種(ことば) 道しるべになる」というパートは,言葉自身も素敵な上に,やすと丸の飾らなくとも綺麗で純粋な歌声に惹かれてここの数秒を何回もリピートさせた記憶を鮮明に思い出せる。最近でいうところの『友よ』で最初に歌われるやすのパートなんかも,聴く人皆にとって心に訴えかけてくるものがあるだろう。

 そんな,素直な気持ちを思い出させてくれて,いつまでもその純粋さを変わらず持ち続けてくれているという点できっと,気がつけばやすの姿をずっと目で追っているんだろうなと思うのである。

魅力というのはまなざしでなく,自らの心によって...

  大人になっていくにつれて忘れてしまいそうになったり,何かに覆い隠されてしまいそうになる素直さなどを思い出させてくれるやすの言動や行動は,もはや彼が生きてくれているだけで大きく人の人生に影響を与える可能性を持っている。持とうと思っても持つことのできない彼の人間としての素晴らしさは,目に見える姿によっても感じ取ることができる。

 ボクがやすと出会ってから大きく変わった要素のもう一つに美的センスがある。美的センスというのは主に自分の思う「かっこいい」という概念が広くなったり,「かわいい」をかなり肯定的に思えるようになったりすることを指し... 具体的にはファッションなどの見た目においてやすからは多くのことを学んだなと今になって強く思う。

 当時,まだまだやすのことをあまり知らなかったボクが幼いながらに驚いたのは,2007年(ボクが小5のとき)に開催された47ツアーでの後半のバンドセッションである(観たことある人からすれば,ボクが何に驚いたのかきっと分かると思います笑)。

 大倉の激しいドラムソロからはじまり,丸のベースが加わり,最後にかっこよくエレキをかきならしてそのセッションに割り込むやすの衣装は,上はきらびやかなパーカーを着ている一方で,下はピンクのレギンスの上に膝くらいの丈のスカートだったのだ。今まで香取慎吾で色んなファッションを見てきてある程度の耐性はついていたけれど,コントでもないのに衣装としてスカートを履いているのはかなりの衝撃だった。けれど,さすがやすと言うべきか「めっちゃ似合ってる!」と幼いながら最初からこう思っていた。

 彼のことを追ってわかったのは,「メンズ」やら「レディース」やらという世に言われるようなこういったジャンル彼にとってはどうでもよく,自分が「良い!」と思ったことをとことん取り入れていくといった考え方を持っているということだ。これは,ファッションでもそうだが,髪型においても同じことがいえる。ある時はサラサラストレートな茶髪のときがあれば,もうある時は金髪且つくしゃ髪のときもあるし,短髪で黒髪のときもあるし,ロングのときもある。そのどれもが「着せられてる」感は一切なく,全てを自分のモノにしている。たとえ,その髪型が「珍しい」スタイルだったとしても(例えば,『マイホーム』くらいのきのこヘアーや,『今』くらいのときの青髪とか)やすの手にかかれば,なんだってサマになる。

 オリジナルなファッションと髪型でばっちりセットして,出し惜しみせずに全力で笑顔を振りまく姿は何よりも美しいし,自信をもらえる。常識にとらわれない彼の身なりやファッション,そして言動と行動を通じてボクは人の目に囚われずに自分が「良い!」と思えることを素直に実践することの勇気もをもやすから貰った。彼と出会うまでのボクは上履きの色でさえ,本当は赤がかっこいいのに,男子はみんな青を履いていて,女子だけが赤を履いているという理由で自分のなかでの「かっこいい」を押さえ込んでしまったり,今までは周りの友だちや大人たちから自分の姿や性格をみたうえで「こうちゃん」と呼んでくれていたのに,「ちゃん」なんて女の呼び方だから嫌だ!と否定するなどなど,自分の価値観というよりも人からどう見られるんだろうという,外からのまなざしによって様々なことを決めていた。ここに挙げたボクの例がたまたま「男」や「女」といった性関係の分け方だったけれど,それ以外にも,単純に「みんなやってないから,オレもやらない」とか「みんなやってるから,オレもやる」という決め方もよくしていた。

 そんな当時の少年は今や数年前に成人を迎え(てしまい...),親からは「なにその髪色??笑」とからかわれながら,髪の毛をゴールド×ピンクにしてみたり,エメラルドグリーンにしてみたり,ロング丈のレディースの服を着たりするなど,ファッション面ではやすから多大な影響を受け,人からどう見られるかというよりも,あくまで”自分が”「かっこいい」「かわいい」や「いい!」と思えばそれを優先するようにしている。

 見た目以外にも,考え方や人生観に関してもやすのエッセンスを多分に受け止めている。ボクは学部を卒業するときは院試の勉強も特にせず,そして就職活動も1ミリも行わず,「オレはブランク1年を設けて将来のことをじっくり考える」という,少なからずボクのまわりでは前例がない上に将来の保証も全くない選択肢を選んだ。誰もやらないような選択肢だったけれど,これもまさに自分が「いい!」と思ったから選択した。ボクはきっと,安田章大という人間と出会ってなかったらそもそもここまで自分の考え方を信じることはしなかっただろうし,自分を信じるより第三者の声に従っていたんだろうなと強く思う。

 だからこそ,ボクはやすに対して「かっこいい」とか「かわいい」とか(時折みせる「エロさ」だとか...笑)に魅了される一方で,1人の人間として非常に感謝の気持ちを抱いている。大きな病気を患い,死さえをも意識し,ここで「オレもうしんどいから辞めるわ」と言っても絶対に誰からも止められることなく,人生の半分以上を捧げてきたアイドルという道のりにピリオドを打つこともできたのに,それでも今もこうやって現役で活動してくれていること。そして何よりも,開頭手術を受けたことによってできた頭の傷や副作用までをも自分のファッションとして取り入れ,無精髭を蓄えたり,今までやったことのない髪色にしてみたりだとか,普通だったら絶望や悲観などのネガティブな感情で打ちひしがれるだろうに,少なからずボクらの前では全くそんな感情を見せることがないということ。

 やすのそういった心から尊敬できるところであったり,メンバーから突っ込まれるような(ちょっと)ネジの外れた言動や行動だったりなど,やすの全てから魅力を見出せるボクを含めた特にeighterの人たちはそう容易く何かを諦めたり投げ出したりすることなんてできない。

 彼のことだから,たとえすぐに悲しみに溺れてしまったとしてもきっと優しく寄り添って救ってくれるとは思うけど,軽率に依存してしまうよりも,少しでも彼から色んなことを学んでそれを自分の人生の一要素として取り入れるほうが自身にとっての幸せにも繋がるし,こっちのほうが「やすはこういう時どうするんだろう」ともっと深く,実存的に安田章大のことを考え,ますますこの素晴らしい1人の人間のことを知れることだろうし,自分もきっと近づけるはず。もちろん優劣をつけるワケではないけれど,eighterのなかでも安田担の人たちはきっと誰よりも強くて自分を大切にしている方々なんだろうなとボクは常日頃から思っている。

さいごに 「青」の世界と命と人生

 ボクは最近,研究やら勉強やらで忙しくて正直そこまでエイトの活動をリアルタイムで追えているワケではなく,以上に書いたことのほとんどは今のやすというよりも,これまでのやすを振り返って,彼から何を学んできたのかについて考えてきた。何度もいうように,ボクは彼と出会っていなかったら確実に今のように自分の考えや思いを他の何よりも信じる人にはなっていなかったはずだ。きっとボクと同じようにどこかの面でやすから影響を受けたり,もしかすると人生までをも変えてくれたと断言できる人もそう少なくないだろう。

 ボクはこの記事の最初に,彼の長所を常識だとか人の目だとかに縛られず,どんなことにおいてもそれぞれのオリジナルを見出して,素直にそれらを評価したり繊細かつ広い感情のアンテナを持ち合わせているところと言ってみたが,一見これはまるで人としての理想のように聞こえてしまって自分には難しいなーと思ってしまう要素かもしれない。けれど,まずは,やすから学ぶ自身のオリジナリティを何よりも優先させることを実践していけば,自分だってこういった素敵な素質を持った人間になれるんじゃないかなと,ボクは思う。

 ダイビングが好きでライセンスを取得するほどのめりこむ彼は海へ飛び込んで,日常ではみられない「青」の世界を眺めて何を思うんだろうとふと考える。ボクの研究室の先生が友人と赴いた沖縄での旅のなかで人生初のシュノーケリングをして至福の体験を過ごしたときのエピソードを,自身の著書のなかで綴っている。

 コバルトブルーに輝く海のなかはサンゴ礁や舞う色とりどりの魚たちに囲まれ,一度フィンで空間を蹴って前進するたびに新たな景色が目の前に広がり,もしこの世に竜宮城が存在するのだとしたら,まさに自分が今いるここが竜宮城の世界なのだろうとさえ思う。海から上がって,民宿の部屋で窓から入ってくる自然の風にあたりながら,普段の都会の生活のなかでは感じることのできない「海」を感じる。

あの海はぼくが生まれる前からそこにあり,ぼくが死んでからもずっと続いていくだろう。それまでのぼくなら、ぼくという存在のちっぽけさを感じていたはずだ。でも全然違っていた。ぼくはそのことがとってもうれしかった。ぼくがいなくなってもあの海はある。そしてぼくはあの海とともにあるんだ。

上田紀行『愛する意味』pp.195-196

 ボクはダイビングの経験もシュノーケリングの経験もないので正直よくわからない。だけど,日常とは全く異なる美しい世界をこの世に存在していながらも心から感じ取れる場所があるんだなと,先生のこの綴りやダイビングサークルに所属する友人からのエピソードを聞いて強く思う。

 やすもこれと同じようなことを思うのか。それとも,やすの心のフィルターを通せばまた違った言葉や表現でその感動を表すのだろうか。エイトの名曲『Heavenly Psycho』のなかで「そこに僕の姿がなくても 世界は簡単にまわった」という詞があるけれど,青/コバルトブルーの世界を経験したことによって,自身の存在のちっぽけさを肯定的に捉え,こういった自然世界が存在しているのであれば特にこういった事実に寂しいなんて感情を抱く余地はないと思うのだろうか。

 安田章大から色々と学べば学ぶほど人生を生きる上でのヒントや,彼と出会えた自分を褒め称えて自己肯定感を上げさせてくれると思うと同時に,学べば学ぶほど彼のことについてもっと知りたくなったり,今まで当たり前に思ってたことが急に分からなくなる。安田章大を見つめるということは,自分自身の命や人生を見つめることなのかもしれない。


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⭐️ 「”ジャニ男タ研究者”のジャニーズ史」と「AMto. J」について

この記事が収録されている「“ジャニ男タ研究者”のジャニーズ史」では東京工業大学大学院で男性ジャニーズファンやジャニーズ,男性について研究している私(小埜)が,男性ジャニーズファンの当事者として今まで1人でジャニーズを楽しみ,何を感じてきたのかについて振り返ってみたり,ただただ思いを綴ったりしています。

そして,ジャニーズのある人物や楽曲やグループなどについてボクの研究分野(文化人類学/社会学/ジェンダー)などを絡めて,そこそこマジメに考察してみる記事を以下の「AMto. J」にて更新しております。

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