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松島聡の努力を,とある男セクラバが振り返ってみた〜聡と新幹線〜

 昨日,ボクは新幹線のなかで「関ジャニ∞と新幹線」というタイトルで,メンバーにとって新幹線という場はどんな空間だったのか,あの車内で一体どのような時間を過ごしてきたかについて考えてみた.

 実はこの記事を書くにあたって,ボクはネタ構想の段階でもうひとつの案が浮かんでいた.それが,「松島聡と新幹線」というテーマであった.

 エイトと異なり,彼は静岡出身ではあるが,芸能界に入ってから1年も経たないうちにSexy Zoneのメンバーとして大抜擢され,その後2年間は実家のある静岡から仕事現場である東京まで新幹線を使って通勤していたのだ.

 彼の所属するSexy Zoneがデビューしたのは2011年(下旬).「デビューしてから2年間は静岡から通っていた」とのことで,単純計算すると彼は2013年までは静岡から通っていたと推測することができる.

 デビューからの2年間はSexy Zoneにとって,そして聡ちゃん自身にとって初めてのことを多く経験した激動の期間であったに違いない.

 彼は,地元[静岡]と戦場[東京]の橋渡しをする新幹線のなかでどのようなことを考えていたのであろう.今日はそれについて考えてみようと思う.

Sexy Zoneにとっての2011年から2013年

 Wikipediaに掲載されているSexy Zoneのページを覗いてみたら超絶わかりやすい年譜があった.彼ら,そして聡ちゃんのデビューしてからの2年をざっとみてみると以下のような形になるようだ(ちなみに,太字になっているところは,ボク視点で考える彼らにとって「なかでもめっちゃ大きな仕事」を抜粋しているところである).

2011年
9月29日、東京都千代田区にある帝国劇場において、開催された記者会見の中で、「Sexy Zone」結成を発表。
11月14日放送開始の『ワールドカップバレーボール2011』のスペシャル・サポーターに就任。
11月16日、シングル「Sexy Zone」を発売して、デビュー。
2012年
1月5日放送開始の『第64回全日本バレーボール高等学校選手権大会』の情熱サポーターに就任。
2月11日、グループ単独初となるコンサート『Sexy Zone First Concert 2012』開催。
3月29日、コンサート『Sexy Zoneアリーナコンサート2012』開催。
4月放送開始のバラエティ番組『超潜入!リアルスコープZ』に出演。
4月5日、グループ初となる冠ラジオ番組『Sexy ZoneのQrzone』の放送開始。

4月11日、2枚目のシングル「Lady ダイヤモンド」発売。
5月19日放送開始の『2012ロンドンオリンピックバレーボール世界最終予選』のスペシャルサポーターに就任。
8月1日、写真集『Sexy Zoneファースト写真集 Sweetz-スイーツ』(集英社)発売。
8月10日、『東日本大震災復興チャリティー 2012 神宮外苑花火大会 国立競技場』出演
8月11日、『Johnny‘s Dome Theatre ~SUMMARY~』開催。
10月3日、3枚目のシングル「Sexy Summerに雪が降る」発売。
11月14日、初のオリジナルアルバム『one Sexy Zone』発売。
2013年
1月2日、『Sexy Zone 新春アリーナコンサート 2013』開催。
3月16日、『JOHNNYS‘ World の感謝祭 in 東京ドーム・大阪ドーム』開催。
3月26日、初の全国ツアー『Sexy Zone Japan Tour 2013』開催。
5月1日、4枚目のシングルで、初の両A面シングル「Real Sexy!/BAD BOYS」発売。
8月4日放送開始の『女子バレーボール ワールドグランプリ2013』スペシャルサポーターに就任。
10月9日、5枚目のシングル「バィバィDuバィ〜See you again〜/A MY GIRL FRIEND」発売。
12月31日、『第64回NHK紅白歌合戦』に出演。初出演アーティストとして白組トップバッターを務める。「Sexy平和Zone組曲」と題し、「Sexy Zone」「Lady ダイヤモンド」「Sexy Summerに雪が降る」「Real Sexy!」「バィバィDuバィ〜See you again〜」の5曲をメドレーで披露した。

 Wikipediaに掲載されている年譜のなかには彼らがレギュラーで出演していた『ザ少年倶楽部』や諸々の雑誌連載については触れられていなかったが,ルーティン的な仕事に加えて,以上のような大きな仕事が次々とまいこんできたこの2年間は本当に激動の年であったことがみてわかる.

 しかも,聡ちゃん自身に関してはこの期間,入所・デビューをする2011年になったばかりの時期,そこらへんにいる中学生と立場がまだ変わらず,家族と居間で楽しく元旦を迎える,いわば「普通の男の子」であった.

 それが同年にジャニーズ事務所への入所がきまり,Jr.としてテレビに映りはじめたかと思いきや,すぐさま11月にメジャーデビューを果たし,メディアにこぞって取り上げられるようになる..... 人生,本当に何が起きるか分からない...!!

 聡ちゃんはこのデビューをきっかけに本格的な芸能活動へ足を踏み入れることになるのだが,とはいえそのときはまだ中学2年生.身体も精神も不安定なこの時期に,客観的にみても非常に分かりやすく身の回りの環境がガラっと変わってしまったこの期間は,彼にとっても“大変”な時期であっただろうと容易に推察することができる.

 考えてみれば,聡ちゃんはデビュー直後に行った握手会で無数のファンたちと長時間握手をした後の去り際,「この握手会は一生の宝物です」と涙をながしながら,来てくれたファンたちに自身の気持ちを投げかけていた.

 きっとこの時に見せてくれた涙というのは,様々な不安のなか会場に立ち,まだまだ歴の浅い自分がここに存在していてもいいのかどうかなどといった不安を抱えながら,その日を迎えていたことに起因する涙だったのであろう.温かいファンたちの直接的な応援と長時間にも及ぶ初めての仕事を完遂しきったという安心感で見せてくれた涙には本当に感慨深いものがある.

 彼にとって初めて且つ大きな仕事は2012年,2013年になっても次々に舞い込んでくる.具体的には,バレーボールの応援サポーターであったり初めてのコンサートであったり,長期間にも及ぶハードなジャニーズ定番の舞台SUMMARYへ主役として出演したり... 文章にはなかなか収められないくらい多くの仕事をやり遂げてきた.


 聡ちゃんは生まれ持ってのアイドルだ.多くの女性ファンの前に立ち,歌って踊って,バラエティー番組でも芸人から振られてもちゃんとそのフリに応える... しかもこれを,手で数えられるくらいの芸歴(年数)でやってのける.なかなかの才能の持ち主だ.

 しかし,この成功を裏打ちする要因として,彼が孤独な中で悩み苦しんだ時間というものがあるのではないかとボクは思う.その現場というのが「新幹線」なのであった.

聡ちゃんを静岡から東京へ繋げる,「新幹線」という空間

 聡ちゃんが自身の「新幹線」についてのエピソードを話すことはそう多くあるわけではないのだが,2015年の11月にA.B.C-Zの河合くんと一緒に出演した『本能Z』という番組で詳しく,新幹線での通勤エピソードについて語ってくれた.

「静岡から2年間くらい、ずっと新幹線で通ってて。行楽シーズンとかになると(大変で)。それで僕、自由席だったんですよ。ずっと」
「(席が)埋まっちゃうと。僕、トイレの中でお弁当食べたんですよ。(席が)いっぱいだから。ラッシュとかになっちゃうと、座れないから。通路にしゃがんでお弁当食べたりとか」

http://music-book.jp/music/news/news/102655

 事務所から手配される新幹線のチケットは「グリーン」でもなければ「指定」でもない,いちばんリーズナブルな「自由」の席だったらしい.自由席は時期によって席が満杯になってしまい,デッキに立ってその移動時間を過ごすこともある.よく出張中のサラリーマンがそれについて嘆く話をボクはよく聞く.

 そんな場所に当時,まだ顔も声も幼い一人の少年,松島聡はあの狭い空間のなかで静岡から東京までの時間を過ごし,1人しか入れるスペースしかない窮屈なトイレに入って,便座にすわりながら弁当を食べる....

 こんなにも寂しい経験をしておきながら,表では悲しみを露わにせずボクらに笑顔を与えくれていた聡ちゃんには感謝と尊敬の意を表す他ない.

 昨日の記事でも紹介した,元関ジャニ∞の錦戸と渋谷が共作で書いた『9号車2番A席』という,彼らが少年時代に過ごした大阪ー東京間の新幹線におけるエピソードを歌った曲がある.紹介しきれなかった2番の歌詞をみてみよう.

信じてるから僕ら笑い合えるよ 今までもこれからも
信じてるんだ なんか変えて行けると あなたの夢も乗せて
いつの日かひとつになり奇麗な虹描けるんだ
だから僕ら忘れない デッキで語っていたあの話

 大阪ー東京間を“共に”移動することの多かったJr.時代のエイトメンバーたちは,電車のなかで将来について語らいあったり,不安をぶちまけたりと,一緒にいた思い出が,かなり色濃いものとして残っているようだ.

 しかし,聡ちゃんには席で笑い合う仲間もいなければ,デッキで語りあう仲間もいない.静岡という彼にとっての心安らぐ生まれ故郷から,まだ見ぬ東京という自身にとっての戦場への移動はいつも孤独だ.

 直接,聡ちゃんが言及していた訳ではないので予測する他ないのだが,先述の年譜をみるとただでさえ大人がやるにしてもプレッシャーの大きい仕事であるのにも関わらず,それをまだまだ10代の少年たちがそれを担い,その現場へまだ中学生だった聡ちゃんは1人で向かう.その時は決して楽しいひと時ではなかっただろう

 『9号車2番A席』を歌った彼らは,昨日少しだけ触れた,仕事の帰りの少年とグリーン席に座る兄ちゃんの会話が印象的なセリフパートのあと,当時の自分自身に向けたメッセージを力強く歌い上げる.

泣いたっていいよ 切り取られた空の下
涙も夢もあなたにこだまする
明日へと続く僕らのひかり
明日へと続く僕らののぞみ
〜中略〜
新大阪発 始発のぞみ1号 僕らの夢を乗せて・・・

 聡を想ってこの曲を聴くと,関西からの兄ちゃんたちが聡一人に語りかけているようにみえてしまう.「泣いたっていいよ 切り取られた空の下 涙も夢もあなたにこだまする」という歌詞をみると,きっと新幹線に乗っているときのその空間というのは,自分(たち)だけの時間を過ごすということもあり,嫌でも不安と対峙しなければならないところであったのだろう

 聡ちゃんはそんな場所に2年間も自身の時間の多くを費やしていたのだ.苦しい環境のなか,他のメンバーと比べて歴も経験も浅い彼は,誰よりも早くレッスン場へ行き,自主練を欠かさず行っていたり,メンバーとの練習が終わっても,1人で残ったりマリウスと残ったりして,時間の許す限り居残り練習を欠かさず行っていた.それは,何よりもSexy Zoneのファンたちのために...

松島聡は“努力”の人間

 彼は現在パニック障害による療養で2018年の下旬あたりから芸能活動を休止している状態にあり,未だ復帰の目処は知らされていない.きっとこれまでの尋常ではない努力と,アイドルであるが故の忍耐でもって身体が「休め!」と叫んだのだろう.ボクも一セクラバとして早く彼の姿を見たい気持ちを抱いているのだが,こう言ってしまうと彼の性格上,無理に治そうとしそうなので,今後の活動を見据えて,彼には本気でゆっくり休んでほしいと思う次第だ.

 ボクにとって松島聡という人間は,ジャニーズきっての努力の人間だと思っている.彼は現在22歳の若い青年.彼の容姿であればいくらでもモテるだろうし,立場次第ではブイブイいわせて女の子を捕まえることもできるだろう.

 個人的な話で申し訳ないのだが,ボクはそのような,親からの遺伝子にモノをいわせて図に乗っている人間が一番嫌いだ.自分は大した努力もしていないのに,親が大変な思いをしてまで生み,育て上げたという歴史があるのにもかかわらず,苦労もせずにヘラヘラしている人間を見るのが好きではない.きっと,自分で苦労を語っていないだけだと信じたいが,世の中にはそんなチャランポランな人は結構多いとボクは感じる.

 誰しも本能的に苦しみは避けたい.こういうボクだって,本当はできることなら苦しみは味わいたくない.

 しかし,松島聡は自分から茨の道へと突き進み,グループのためファンのため,自身を投げ打って周りの人たちを幸せにする.

 自身の苦労を直接的に明かさず,そして匂わせもせず,アイドルとしてキラキラの笑顔を見せてくれたり,時にはお笑い芸人のように体を張って,それを観る人々を元気づけたりする松島聡というアイドルを見るとき,彼がまだ幼い時の「新幹線」という空間で過ごした時間を鑑みる視座があれば,もっともっと聡のことを好きになり,密接な関係性を構築させ,ファン自身の人生も薔薇色に染まる,最高なセクラバへとなるであろう.

 そんなファンが増えれば,「Sexy時代」は創り出せるはずだとボクは確信している.

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