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Pathが終わって2ヶ月強。2018年も暮れていくので

好きなサービスはなんですか?

PathっていうSNSです。

友達とのご飯中、打ち合わせのアイスブレーク、時には面接だったり。いろんな時に聞かれたこの質問には常にそう答えてきた。
Pathとは、端的にはクローズドなSNS。オープンに情報公開したり実名で発信したり、そんな方向に進む世界に疲れた時に、少数の友だちとだけコミュニケーションすることを想定したSNS。

(↑Gigazineの2014年当時の記事があったのでそこから拝借した)

だいたいサービス自体知らないか、あぁ〜懐かしい!って反応と表情が返ってくる。知ってる人にもなぜかいつも「懐かしい」が残るサービス。
どこが好きかと言うとね…という具体を皮切りに話は続いていく。そのくらい大好きで、自分の日常に溶け込んでいた数少ないものの1つだった。

言ってもたかがWebサービスだし、それが終わった時にここまで悲しい気持ちに耽ることってなかなかないと思う。モノよりもヒトとかコトに少しだけ近かったのかもしれない。
プライベートではこれが初note。2018年末にいくつかのテーマで書こうと思い立って、まずは心に残ってたPathの話から。何がよかったかいつか忘れちゃうかもしれないから、今年中に一度書いておこうと思ってスマホにつらつらと打ち始めた。

使いはじめ

2010年10月ローンチらしいけど、いつ始めたか全く覚えてない。当時は大学2年生だった。色々デジタル的なものを手広く使い始めたのが翌年なので、きっかけはそこらへんだったのだろうと思う。foursquareとかと同じ時期な気がする。はじめは、とりあえずインストールしてみよーくらいのモノの1つでしかなかった。50人しか友だち登録できないという初期の仕様はなかなかコンセプト通りで印象的だった記憶が薄っすらある。

なんで当初ハマらなかったか考えてみると、そもそも自分を取り巻く環境にオンオフなんてなかったからかもしれない。環境はだんだんと変わっていって、いつの間にかどっぷりだった。

何が良かったか

Pathを最後まで使っていたユーザー群が複数あったとして、そのかたまりによっても使われ方はもちろん違うはず。そのなかで自分の周りの場合は、ポジな話もネガな話もとにかく思いダダ漏れ系が多かった。Path民ということば。なつかしい。2018年風にいうとエモかったんだと思う。

社会人になってから公私の「公」割合は過ごす時間的にも脳内的にも爆発的に増える。真面目に考えることも増えるし、悩みも増えるし、それが何かしら解けたりした時の喜びも増える。「私」も徐々に大人になっていくとやっぱりみんな色々あるから()、感情の波が立ちやすくなる。そんな諸々を乗っけやすい場所がきっとPathだった。繋がってる人ってそもそもクローズな関係ばっかりだから、しばらく数年会ってなくても興味がある人の話がとても多い(無ければそっとフォローを外せばよかった)。

別に反応がなくても良かった。Tweetしてる感覚と近い。自分の中に溜まってきたものをただ流す感じ。レスする時もあるし、ただリアクションだけ送る時もあった。たぶん、対面で会話してたら親しい間でももうちょっとだけ気を遣う(相槌打つとか)かもしれないし、話す雰囲気も大事になってくるかと思う。でもそこはオンラインの良いところで、非同期(情報をログして可視化しておける、リアルタイムに情報をやり取りしない)にただ眺めたり発信したりすることができた。ただそれでも、ダダ漏れだからとっても生っぽい。人感を求めていたのかわからないけど、疲れた平日の帰りの電車でも無意識にタップしてるものだった。

「めっちゃ面白いことがあってとにかく聞いて聞いて!」
「すごい悩んでてまじで困った…」
「この人、割と真剣にないと思う」
「やっと実現できた・・!嬉しすぎる」
「ここにいるよ!これ聴いてるよ!起きたよ(寝たよ)!

何となく、こういう感情の投稿が(自分も)多かった気がする。対面でする会話にとても近くて、喜怒哀楽が出てた。同年代で近い関係だと響く話も多い。「自分だけじゃないんだ」を感じやすくもあったのだとも思う。

もちろんWebサービスとして機能も素晴らしくて、なかでも、

▼投稿するまでの体験
(フッターの+ボタンを押すとテキストや写真、位置情報などのアイコンがくるくる回って出てきて投稿したい形式を選ぶ)
▼タイムラインのUI
(ユーザー投稿ごとに投稿した日付/時刻が時計アイコンと一緒に付随し、時系列を遡るとスクロールダウンしていく、時計がその時間に合うようにくるくる回る)
▼リアクションアイコンの多様性
(後追いでFBでも実装されたLove, Wow, Sadなどはだいぶ前からPathにあった)
▼Inner Circle
(徐々にユーザーの利用者数範囲が広がった後は、Path内でも更に親しい友人を選んで限定投稿できる機能ができた。その投稿は☆で表された)

あたりは本当に良い機能だった(文字だけで読むと全然伝わらなくてやばい...だからキャプチャとか見つけ次第貼っていこうと思う笑)。
更新頻度や情報種類の幅がTwitterやFacebookと異なる(小さい)のに毎日見たくなる気持ちが自然に作られてたことを考えても、学びが多いと思う。

それでもって、今年の9月17日にほぼ1ヶ月後にあたる10月18日をもってPathが終わると発表された。自分の周りのPath民ではそれはやっぱり悲しみが起き続いて、思い出を綴ったりPath的な他の場所を作ろうしたりとか卒業前っぽくて好きだった。それは最終日をちょっと過ぎても続いていた。

依存したものがなくなると、人が取る行動ってちょっとずつ変わっていく。
思いを思ったままに書ける場所が無くなった自分の場合は、いまだに代わりになるオンラインの場所は見つけられてないけど、前より直接人に話すことが少しだけ増えた気がする。Pathに読む・Pathに書くそれぞれ良さがあったんだけど、書く(発する)方は少しずつほかで担保できてきているのかもしれない。読む方もどこかで持っておきたいなと思ってるけどまだむずかしそう。

Pathはコンセプト的にも、サービスが伸びると逆にその良さが失われる。多くのサービスはそこでリブランドしたり別ラインで出したりして転換していく。ビジネスっぽい話でいくと、SNSとして当初のまま進むにはそもそも厳しかったのかもしれない。けれども、なにかこういう「デジタルだけど肌感ある」モノっていうのは心底いいなあと思うし、今後も出てきてほしい。見つけたい。

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