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教育者は性善説であってほしい

性善説と性悪説の使い方合ってる?笑

「塾に来させなきゃ勉強しない」とか「授業コマを入れて勉強させてる」とか僕はあまり好きじゃないんですよね。
管理して勉強させて果たしてその子は未来を楽しく生きられるのか、と。
何より管理する側も大変じゃないですか。やらなかったら怒んなきゃいけないし。
それじゃみんなハッピーじゃないなって。
「管理」って根本に「勉強しない」っていうのがあるからみなさんいかに勉強させるかを考えてそう行動されてると思うんですよね。それを僕は性悪説な考えだと思ってるんですけど。

教育者が描いている理想の未来像は同じ

性善説も性悪説も理想とするゴールイメージは変わらないと思ってて。

だから僕は「管理」よりも「自立」にこだわりたいんです。生徒に期待して任せて認めてあげる。言うのは簡単なんですけど、やると意外と難しい。
感情が邪魔をするんですよね。

期待して、任せて、認めて、期待して、任せて、認める

「期待して任せてやらなかったらどうすんだ」って詰められそうですけど、それでも期待して任せる。それをし続けるんです。思想ベースではずっとそうする。その思想でアクションする。し続ける。
僕は怒りも叱りもしません。どうなろうが常に笑顔で存在を認めてあげる。
「あなたはあなたらしくあなたの生きたい生き方のまま生きたらいいよ」と。それだけ。

可能性を信じて見ててあげることが僕が唯一できること

期待することで子どもは絶対に前向いて行動します。そう信じてます。
人間はミスをします。何度も何度も同じミスをします。でもそれは大人も子どもも一緒。

みなさんもぜひ性善説で教育現場に立ってみてください。

14歳でビジネスを始め早10年。チョットという会社をやっています。教育をより良くするために教育ベンチャーを立ち上げました。偏差値社会をぶっ壊す。教育ベンチャー代表になります。アプリ作ったりキャリア教育のコンテンツ作ったりしてます。塾もやってます。教育に興味ある方お話しましょう!