【読書メモ】善人ほど悪い奴はいない

「善人ほど悪い奴はいない ニーチェの人間学」著:中島義道

善人とは弱者であるゆえに自分は善良であると思い込んでいる人のこと、言い換えれば、弱者であるゆえの「害悪」をまったく自覚しない人のことである。
弱者とは、自分の弱さを「正当化」し、自分の無知、無能力、不器用、不手際、魅力のなさに気が付いているのであるが、それをちょっとでも責める他人の視線に遭遇するや、その傲慢さを、見識のなさを、優しさのなさを、徹底的に責め立て、袋叩きにし、決して許さず、血祭りにあげる人のことである。
もしわずかでも品位を持って生きることを望むなら、「弱いこと」をけっして生きる理由にしてはならない。いかに弱者であることが理不尽であれ、自分の弱さにゆったり身を委ねてはならないのである。

「弱いこと」を自分でどう解釈するかは難しいところですが、自分の無知や無能力は「学習」や「訓練」によってある程度高めることはできそうですよね。「弱いこと」を盾にして自分は無知のままでいいとか、魅力を高めなくていいと思うのは、怠慢だというよりもむしろ、もったいない考え方だなぁと感じます。

「優しさ教」の犠牲者。彼らは生き抜くための勇気を徹底的に排除した劣悪な環境に育てられた犠牲者なのである。世の中優しい子ばかりがいれば何の問題もないが、残念ながら我々の世界はそうではない。「優しい」だけでは、生きていけない。
だから、子供を「この」世の中で生きていくように育てたいのなら、この世の中が優しさや善意だけでは生きていけないことを教えなくてはならない。弱く優しい「いい子」を転倒させようと虎視眈々と狙っている子もまたいることを教えなければならない。そして、そうした子もまた「普通の子」であり、そういう悪魔が誰のうちにも潜むことを教えなければならない。

私の親も「優しさ教」だったなぁと思いながら読んでいました。「いい子」を転倒させようと狙う子がいるのも分かります。そういう子に対して私は「いやな子だなぁ」と思うことが多々あったのですが、そうした子もまた「普通の子」だと解釈するのは私にとって新しい気づきを与えてくれました。

善人の要求する誠実性とは弱い自分たち仲間内だけで通用する誠実性、弱者の特権を信じる人にだけ通じる誠実性なのだ。
善人の誠実性とは強者のゆったりとした誠実性ではなく、眼をうろうろさせ、たえず不安におののいている誠実性なのだ。

誠実であることは「自分が誠実でありたい」と思ったから誠実であるのであって、自分から見て誠実でない人を非難するためにあるわけではないんですよね。自分の正しさは自分にとっての正しさなのであって、人を責めるための手段として使うものではないものだと感じました。この点においては私もよく注意しないといけないなぁと思います。

・まとめ

この本は善人について解説することが中心でしたが、どのようなタイプの人であれ、「自分とその仲間内だけが正しい」というような視野狭窄に陥ると他人を責めてしまったり、自分が苦しい思いをしてしまったりするんじゃないかと感じました。

ただ、自分が視野狭窄に陥っているかどうかを確かめるのもなかなか難しいように思いますので、noteの記事を読むとか、本を読むなどして、様々な人の考え方に触れてバランスが取れると良いなぁと感じます。


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