DSC00815のコピー

2011.1.3


ディンボチェは、とても居心地が良い。

ロッジの娘ティパちゃん(多分2歳ぐらいかな)とも仲良くなった。

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ティパちゃんは九官鳥のように私の話す言葉を真似するので、たくさん日本語を教えてあげた。

一番気に入った言葉は「シュゴーーーーイ(凄い)」。

そんな愛らしいティパちゃんともお別れ、本日はいよいよポカルデのベースキャンプ地まで。

遂に5,000mを超える。

果たして、自分にどれぐらいの負荷がかかるのか。

全く想像できない世界だ。

ポカルデのベースキャンプまでは、ローツェ方面のモレーンを巻き、その裏手をひたすら登りつめる。

天気は雲ひとつない快晴。少し汗ばむ陽気だ。


こっちに来て驚いたのが、日中の暑さだ。

照りつける陽射しが強いからか、北国育ちの私にとって、冬のヒマラヤの暑さは意外だった。

もちろん、朝晩は寒いけど、はっきり言って寒さでいえば北海道の方が数倍寒い。

途中、イムジャツェを遠くに望み、間近に迫るアマ・ダブラムの頂に烈風が吹き付け青白い煙をなびかせる姿に目を奪われながら、少しずつ標高を稼ぐ。

そして、それは突然きた。


・・・ずしん。

オノマトペで言い表すなら間違いなくこの表現。

ずしん。

体に鉛が圧し掛かったような鈍さ・・・。

いや、子泣き爺に突然乗っかられたと言ったほうが判りやすいか。

途端に息が切れる。

ずしん。

靴が地面にめり込むような錯覚を覚える。

・・・これが5,000mの世界か。


すべての感覚が鈍くなる境界線。

遂にそのラインを超えた。

そこは、景色は変わらねど、全くの異世界。

命の躍動がほとんどない、まさに黄泉の国への入り口。

そんな場所でも僅かに生きる、苔のような植物。

緑とは程遠い黄土色だが、その色の素晴らしさよ。

命の宿ったその色は、ひたすら死へと誘う無機質な配色に、あまりに大きな希望を与えてくれる。

下界であれば気にも留めない植物の、そんなひたむきな姿に感動。

そして、なんとか斜面を登り切った先に、見えた。


岩と氷の世界に張られた、豆粒大の小さな黄色と橙色の三角形。

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大自然に抗う、あまりに無力で、ちっぽけな人類の標。

それこそ、我々のテントなのであった。


ようやく本日の目的地、ポカルデのベースキャンプ兼ハイキャンプ(5,300m)に到着。

二張りのテントは、先行していたミンマが準備してくれたものであった。

水を確保するため、ラクパさんとミンマで氷を取に行く。

私とニマさんは、さすがに疲れ切ってテントの中にシュラフを広げ、すぐに潜り込んだ。

しばらく休み、再びテントから顔を覗かせると、眼前にポカルデの雄姿。

テントにたどり着いた時には余裕がなく、流し見していた主役を改めて拝む。

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均整のとれた三角形。

北側の斜面は思ったより着雪が少ない。

岩稜が剥き出しになった鋭い面構えは、いかにも人を寄せつけない威圧感でいっぱいだった。

思わず武者震いした。

風は強いが、天気はいまだ快晴。

辺りを見渡すと、荘厳な白い峰々に囲まれている。

ローツェ、マカルー、アマダブラム・・・。

どれも圧倒的で完璧な眺望。


私は、その山々の美しさの中に、ふと背筋が寒くなる恐怖を覚えた。

かつてない恐怖だった。

すぐに答えは出た。

その美は、際限なく冷酷な死の美しさだったからだ。

あの青白い世界は、生き物が生存することが許されない死の世界。

そんな世界がすぐそばにある。やはりここは現世と黄泉の境界線、黄泉平坂なのか。


そういえば、もうひとつ気になることがある。

それは、風が止んだ時のことだ。

全くの無音になるのである。

鼓膜にいかなる音も入ってこず、聴こえてくるのは、自分自身の鼓動と荒い息遣いのみ。

そう、ここは音のない空間なのだ。

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鳥のさえずりも、人の話し声も、木々がざわめく音も、水が流れる音も。

何もない、完全なる静寂。

何という場所に来てしまったのだ。

私は、どうしてここにいるのだろう。

ポカルデに登る意味・・・。


頭が混乱してきた。これは高度障害か?

わけのわからないことが、浮かんでは消え、また浮かんでは消え・・・。

肉体と精神が分離したみたいだ。

自分の状況を客観的に記したくて、B6版のノートとボールペンを手に取り、先端の鋼球を紙面に置いてみるが、何も書くことができない。

漢字が、思い出せない。

ん、いや、ひらがなも出てこない。

さっきから、頭痛もする。

やはり高度障害なのか。

ラクパさんに言って、ダイヤモックスを半錠もらおう。

こんな所まで来て、リタイアするのだけは絶対にごめんだ。

たとえ高山病になったとしても、私はポカルデを登りきる。


ポカルデに登る意味・・・か。


ラクパさんが氷河を融かし、水を作る。

ひたすら、それを飲む。

外はまだ明るかったが、早めの夕食。

ピリ辛のヌードルと、日本から持参したワカメご飯。

残さず全部食べた。

食べたらあとは寝るだけ。

テントは、三人用と一人用の2張り。

ラクパさんが一人用に、ニマさんとミンマ、そして私はもうひとつのテントで川の字で寝ることに。

辺りが薄暗くなった頃、小便をしようとテントから這い出ると、山並みが西日で真っ赤に燃えていた。

寒さも忘れ、小便も忘れ、その場に立ち尽くした。

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アーベントロートだ。

ローツェ、マカルー、カンテガに燈された炎は、日の傾きとともに、ゆっくりと消えていった。

そして、最後の燈火が消えた時、そこには壮大な銀河が広がっていた。

今まで見たことのない数の星たちが、天上を埋め尽くしていたのだ。

気付くと、闇に吸い込まれ、いつの間にか銀河の中心に立っていた。

どこが上で、どこが下か、それさえも分からない。

歩くと、ぐるぐる回っているような錯覚に陥った。

宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』を思い出した。

孤独な少年ジョバンニも、こうして天気輪の柱の丘で星空へ思いを馳せていたのだろうか。

ちなみに天気輪は、東北地方の寺や墓場に置かれている輪のついた石や木製の柱のことであるが、チベット仏教のマニ車をルーツとして伝わったとされている。

天気輪とジョバンニと星空、それはまさしく今の私が見ている世界であった。

旅の途中、何度もマニ車をクルクル回し、ひたすら歩き、たった今、独り星を見ている。

ジョバンニの心持ちが少しだけ理解できたような気がした。

独りきりだけど、星の光に包まれていると、不思議と孤独ではなかった。

そして、氷点下の寒気は肌に痛かったが、不思議と心は温かかった。


つづく

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