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文学とハードコア

バンドにおいて、最も重要なメッセージのひとつ。

それが歌詞です。

歌詞は、ことばです。

ことばは大きな力を持っています。

私は普段、高等学校で国語教員として働いています。

現場からはっきり言いますが、現在の高校国語教育は、ことばに重きを置いていません。

受験で使うか、使わないか。

それが、今の物差しです。


皆さんは、高校の国語の授業で何か印象に残っていることばはありますか。

残念ながら、私が覚えていることは、

若い国語教員の顔がアンパンマンそっくりだったこと。

口癖が「おらー!」だったこと。

古典の授業では、年配の先生が毎時間呪文を唱えていたこと。

だけです。


新しい学習指導要領では、こうした現行の教育の流れを変えるために「話すこと・聞くこと」、「書くこと」の領域や日本人として大切にしてきた言語文化を社会の中で生かしていけるような学習に力を入れるよう、科目の再編が行われました。

現行は、「国語総合」のみが共通必修科目です。

それが、

「現代の国語」…実社会・実生活に生きて働く国語の能力を育成する。

「言語文化」…上代(万葉集の歌が詠まれた時代)から近現代につながる我が国の言語文化への理解を深める。

に変わります。

ですが、この再編でないがしろにされそうなのが、文学です。

「文学国語」という科目が新たに設定されましたが、これは選択科目です。

学校側がいらない、と判断すれば、実施されることはありません。

しかし、

私個人は、文学にこそ、芳醇なことばの学びがあると考えています。

教員の私が言うのもなんですが、自分の気持ちを表現するために使うことばは、学校の授業ではなく、本から学びました。

特に宮澤賢治や中原中也、島崎藤村、芥川龍之介、太宰治、有島武郎、三浦綾子といった近代文学の有名人の本を読んでは、ステキなことばを見つけて、ノートに書きなぐり…

そうして、自然とことばが身につきました。

もちろん、話すことによって身につくことばも沢山ありますよ。


私はevylockというハードコアバンドを22年やっています。

私は、自分が培ってきたことばのルーツである文学と、

ハードコアという音楽は、

表現としてつながることができると考えています。

ハードコアは芯が太い音楽です。

みんな、メッセージを大切にしています。

だから、私も教育の世界から消えそうな文学の灯火を、ハードコア・ミュージックに託し、もっと伝えたいと考えています。

特に若い世代の子たちに。

そして、いま一番伝えたい文学が私の場合「宮澤賢治」なのです。


ハードコア・ミュージック×宮澤賢治。


面白いじゃないですか。

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