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ヒマラヤ 第一章 プロローグ

そもそも、私がどうしてアマ・ダブラムに登りたいのか。

それを説明するには、2010年まで遡らなければならない。


私が初めて直にアマ・ダブラムを見たのは、忘れもしない2010年12月29日。

ネパールのナムチェバザールという町でのことだった。

パクディンという村から7時間かけて、ようやくナムチェバザールにたどり着き、その日宿泊するロッジを目指し歩いていたときだった。

ふと顔を上げると、ロッジの背景遥か彼方に、夕陽に照らされ光り輝く頂が突然視界に飛び込んできた。


その山、アマ・ダブラム。


山肌の白さは、白熱灯のようにまぶしく、眼球を突き刺すようだった。

その山に見とれていた私は、いつの間にか泣いていた。

なぜ泣いているんだろう、訳が分からなかった。

山を見て涙が出るなんて、生まれてから一度も経験したことがなかった。

涙が止まらなかった。

しばらく、白い一点を見つめ、その場に立ち尽くした。

何事にも形容しがたい、不思議な感覚だった。

これが本当に「感動」するということなのかもしれない。

僕はそのときに決意した。

いつか、あの山に登ろう、と。



私のヒマラヤ初挑戦は、2010年12月末から2011年1月初めにかけて。

ポカルデ・ヒマラヤ・エクスペディションと銘打って、標高5,802mのポカルデという山に挑んだ。

ポカルデはヒマラヤ山脈において、エベレストを中心とするクンブ山群にあり、ヌプツェからの屋根が延びた末端に位置している。

西田敏行氏が主演した映画「植村直己物語」のロケでも使用されたので、実は多くの日本人がスクリーン越しに目にしている山である。

私はこの山の存在を、石原裕一郎氏の著書「ネパール ピークハント トレック」(山と渓谷社)で知った。

石原氏の著書は、私のような素人山ノボラーでも「ヒマラヤ登山」という夢を描けるように、ヒマラヤの6,000mクラスまでの登山やトレッキングコースが、詳細にわたって丁寧に記されている良書である。


ただしかし、実際にヒマラヤ登山に行きたいと思ってみても、実際はそう簡単に行ける場所ではない。

エベレスト街道のトレッキングやポカラ周遊ツアー、カラパタールまでのコースなど、一部の旅行会社が組織するツアーなどで目にすることはあっても、いずれも高額でなかなか手が出ない。

じゃあ、個人で実際にヒマラヤ登山をするためにはどうすればよいのか、何が必要なのか。

山岳会など山の組織に入っていれば、実際に経験した人からノウハウを聞くことができるので、それほど難しくないかもしれないが、組織に属していない個人が行こうとすると、かなり障壁は高い。

私自身、どの山岳会にも属していないので、ヒマラヤなどは、最初は夢のまた夢物語であった。



しかし、そんな折、千載一遇のチャンスが訪れた。

それは、私の職場で働いている校務のニマさんの存在である。


ニマさんは、ネパール人。現在は札幌在住で、日本人と結婚し2人の娘さんのパパ。

本名はニマ・シェルパ。

そう、実はシェルパ族で、元登山ガイドという経歴の持ち主。

シシャパンマ、チョ・オユー、マカルーなど8,000mの頂にも立った屈強なシェルパだったのだ。

その昔、北海道高等学校山岳連盟のヒマラヤ遠征でガイドを務めたのがニマさんで、そこで私の勤める高校で当時教員をしていた現在の奥様と知り合った。

結婚のためガイドの仕事を辞め来日したニマさん、それ以来、私の勤める高校で働いている。


2010年の夏ごろだったか、ニマさんと談笑中、ひょんなことからネパールの話になった。

冬休みを利用して生まれ故郷の村に帰るというニマさん。

興味本位で、ネパールに行ってみたい旨を伝えると、

「一緒に来ますか?」

という言葉が。

何も考えず、

「はい!」と二つ返事。

そこから話はどんどん進み、

―どうせネパールに行くのであれば、ヒマラヤの山々を生で見たい!
―どうせなら、エベレスト街道を歩いてみたい!
―どうせなら、山に登りたい!

と、気がつけば山に登る話になっていた。

エベレスト街道沿いで登れそうな山をピックアップしていくと、ポカルデとアイランド・ピーク(イムジャツェ)に絞られた。

日程的にアイランド・ピークは厳しいとのことだったので、最終的な行き先はポカルデに決まった。

いざ山に行く方向で旅程をプランニングしてみると、ニマさんの地元に帰る時間がなくなってしまったが、ニマさんも久しぶりにヒマラヤの山に登りたいとのことで、この遠征は決まったのだった。


それまで遠く夢の話であったヒマラヤ登山が、一気に現実的な目的へと変わった。

それは、ヒマラヤに憧れる山好きの教師が赴任した高校に、たまたまシェルパ族のネパール人がいるという、奇跡に近い偶然によってもたらされた。

そういった意味では、私は職場に恵まれていた。



つづく

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