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(2020/6/19)子どもとのかかわりで思うこと

こんにちは。

わが家は、息子が4月から延び延びになっていた保育園に通い始めることになり、予定よりも少しゆっくりめに、家庭以外の社会に出ることになりました。
もうすぐ2歳半を迎えるのですが、いわゆるイヤイヤ期にいて、多分に漏れず、自己主張が強くなってきました。
よく言われるような、スーパーのお菓子売り場で突っ伏して動かない、みたいなこともたまにあれど、実感としては、そんなに激しいイヤイヤはまだ少ないように感じています。
というか、なにをもって標準なのかも、よく分かりませんが。。。

食事を与えても、大人の思うようには食べてくれない、寝る時間と言っても拒否。お出かけするよと言っても、電車見たい、とテレビに仁王立ち、など、事例を出せばキリがないわけですが(笑)。表象的にはわがままを繰り返しているように見えていたんですが、よくよく観察していると、実質的にはこれは不完全なかたちの自己主張なのだな、ということに気づいてからは、関わり方を少し変えることにしました。
つまり、やりたいことに対して強制終了をしたり「〜しなさい」とおとなの都合で命令したり「〜しちゃダメ」と否定的に関わるのではなくて、なるべく本人が納得するまでやらせることと、なるべく待つことと、本人の要求を一旦は受け留めることと、本人の本質がどこにあるかを常に観察することにして、そこを外さないようにしたら、なんとなく、本人も納得して、行動することが増えてきたように思います。

確かに、そりゃそうだろうなと思います。おとなだって、誰かに命令されたり、やりたいところを途中で強引に止められたりしたら、腹が立ちますもんね。
おとななら、その気持ちを的確に伝えられますが(最近はそれも難しい人もたまにいますが・・・)、表現の手段が未熟な段階のこの時期の子どもにしてみたら、そりゃあ無理もないかなと思うのです。
逆に、「イヤ」という言葉の中に、様々な意味を含んでいるので、それをおとなが読み解いてあげないと、という意味で、結構高度なコミュニケーション力が試されるなと実感しています。なので、最近のわが家は、コミュニケーション力を高めるいいトレーニングの場と言えるかもしれない(笑)。
表象的な表現は「イヤ」でも、実質的には「まだ」や「違う」の意味であることが結構多いなあと。
立体的で多面的な想像力と思考力が養われるので、個人的には男性サラリーマンはどんどん育児に関わったら良いとおもいます。
家事育児も母親に任せっぱなしで仕事と同質性の高いコミュニティのことしか知らないおっさんのパワハラセクハラモラハラも、なんぼか減るんじゃないかと、これはほんまにそうおもいます。

話がそれましたが、僕は、この時期に「本人が納得するまでやる」という過程が、結構重要なことのひとつじゃないのかなと考えています。親からしたら、ずっと付き合わないといけないので果てしなく面倒なんですが、子どもの意志や自己肯定感を育てようと思ったら、そこは外せないように思う。
時と場合に応じた行動なんてものは、社会に出ていけばそれこそイヤでも直面することになると思うので、せめて家庭にいるときは、本人の意思や主張というものにとことん真摯に対応してあげたいなと考えています。
こういう細かな関わりって、たぶん大きくなって、芸術なりスポーツなり、ものづくりなり、学問なり、なにかに打ち込んでいくことになったときや、自分自身の生き方を決めるときに、無意識な部分で大きな影響を及ぼすのではないかと思うのです。

世の中にはいろんな情報が溢れていて、それが気になることも多くありますし、一応うちには、信頼のおける方からいただいた育児書なんかもあるのですが、基本的には、子どもとどう関わっていくか、何が良いかは、最終的には「自分たちが何を大事にしたいか」を軸にして、決めています。
そういう姿勢で関わることが、子どもにも必ず伝わっていくものだと信じています。

何が良いのか、適切かを、自分で調べ考え実感して、これだと納得したことをやれば良いのだとおもいます。たぶん、子育てのみならず。

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