さくらももこさんのこと

同じようにショックを受けた方も多いと思いますし、それについて書かれた記事もたくさんありますね。
かくいう自分も、ここ最近で一番ショックを受けました。ショックというよりも、寂しさというか、戸惑いのようなものといおうか、そんな気持ちです。

さくらももこさんがデビューして、「ちびまる子ちゃん」が爆発的に売れていった1980年代後半から1990年代前半は、まさに自分は小中学生の多感な時代の入り口から真っ只中のころ。その頃に見て聴いて読んで過ごしたものが、今の自分の根っこになっているからこそ、ある意味そのコアなものが突然消失してしまったことに戸惑いを感じているのかなと思います。
さくらももこさんの著作は、そんな今の自分の「日常的なものやありふれたものを大事にしたい」という価値観を形成するに至った重要な要素で、最も影響を受けた方のひとりです。

そんな自分の、さくらももこさんとの出会いは、ちびまる子ちゃんの連載が始まるそのもう少し前のことでした。多分小学3年生か4年生くらい。ちなみに「ちびまる子ちゃん」のテレビ放映が始まったのが1990年。中学1年生の頃です。
当時小学生の自分は、通っていたピアノ教室の先生の家に無造作に置かれていた「りぼん」などの少女漫画雑誌を教室に行くたびにたのしみに読んでました。むしろピアノのレッスンより、そっちの方が楽しみだったのですが、たまたまその中の一冊にあった「りぼんオリジナル」(だったと思う)に掲載されていた読み切り漫画「うちはびんぼう」や「教えてやるんだありがたく思え」が、自分が最初に読んださくらももこ漫画でした。今思えばけっこうませた子どもだったのかもしれません。そのわりに「ドラえもん」も好きで全巻集めてたりもしたんですけど。
話が逸れましたが、それらは、後の「ちびまる子ちゃん」のプロトタイプにもなるような衝撃的な漫画でした。自身の体験や日常生活を俯瞰したところから捉え、おもしろおかしく「あるある!」と思わせてくれる、見たこともないような漫画でした。ヘタウマなテイストの画も一気に惹きつけられた。エッセイ漫画の先駆者をあのとき自分はリアルタイムに体験していたんだなと、今となっては思います。(そういう意味での岡田あーみんも凄かった)
そのずっとあとに出会うことになる「コジコジ」にも随分ハマりました。
シュールでブラックジョークあふれた作品の合間に、素直な気持ちがポロっと吐露された短編にもホロリとさせられました。とくに印象深いのは、自身が漫画家になる夢を捨てきれないままに、上京して就職する際の母娘のやりとりをつづった「ひとりになった日」という作品。なんともいえない情緒に満ちた作品で、最も好きな作品かも。

そして、自身がさらに影響を受けたのは彼女のエッセイ。
それまで本を読むのが大嫌いで、読み始めても読み切ることがほとんどなかった自分が、「もものかんづめ」を1時間で読み切ってしまい、何度も読み返すくらいに好きになったのでした。
漫画同様に、一歩引いたところから独自の視点で掘り下げていくあの文体にハマってしまいました。
いま、こうやって文章を書くのがとても好きなんですけど、文章を構成したり内容を考えるときに、あの頃読んださくらさんのエッセイは、自分にとって文章のお手本のようなものでした。それらにちりばめられていたいくつもの視点や書き振りは、形を変えていまもなお自分にも影響をおよぼしていると思います。こうやって書くことが楽しいと思うのも、さくらももこさんの影響がたくさんあるとおもいます。

そして、もうひとつ忘れてはいけないのが、さくらももこさんの著作から、いろんな扉を開くきっかけになったことです。
70年代の歌謡曲や大瀧詠一、YMO、みうらじゅんやいとうせいこうに仏像趣味などのサブカルチャーを知る入り口になったのも、すべてきっかけはさくらももこさんでした。
私、音楽に関して同様な位置を占めているのが槇原敬之だったりするのですが、サブカル面では間違いなく、さくらさんです。
同世代だと、同じような人がもっといるんじゃないかなあと思うのですが、どうなんでしょう。

それにしてもあまりに早すぎるお別れです。寂しい悲しい思いよりも、戸惑いのほうがやはり大きい。
皮肉にも平成というひとつの時代が終わるタイミングで。
自分が子どものころ、あるいはまだまた若い頃に日常的に活躍していた人たちが少しずつ亡くなっていきます。
時代のかわりめ、というにはちょっとまだついていけてないなあ、と思う今日この頃です。

さくらさんのご冥福をお祈りします。

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