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参加者は私、一緒に活動している友達、会場を紹介してくださった市議さん、八街市障害福祉課の社会福祉士の方4名でした。

私は自分の話をするときに、「被害とは言えないかもしれませんが」とか
「被害かどうかは解らないのですが」と言う言い方をしていました。
振り返って、私はまだまだ被害と認められないところがあると気が付きました。

10代後半で、心の引っ掛かりについてうすうす気が付いてはいましたが、
父とのことを、ずっと「私はあんなことで傷つかない」「大したことじゃない」
と思って、強くなろうと生きていました。
家族を捨てた父のことを、反面教師にして生きてきた私は
父のことを本当は愛していた、大好きだった、そして裏切りの言動が
どれほどの悲しみだったか認めることができませんでした。
生活の為に離婚を受け入れる聞き分けのいい子の私は
14歳のその時から感情を割り切って生きていく術を身につけていたのです。
そして、その術によって
「あんなやつのことで傷つかない」と被害を認められない私になっていたのです。
けれど、本当は父のことを愛していたので、とても深く傷ついていたと
幼い私の心の傷を素直に見つめてあげること
それは確かに被害だったと認めること
そこからはじめようと思いました。

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