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実は始めから失敗続きだった

お久しぶりです。
前回の記事を読んでいただいてありがとうございました。

はじめての記事だったのにも関わらず、多くの方に反応をいただけてめちゃくちゃ嬉しかったです!

https://note.com/kojuhand/n/n9648966e0762

これからも自分のペースでコツコツ書いていくつもりなので、どうぞよろしくお願いします。

今日は留学の序盤にぶつかってしまった2つの大きな失敗について話をしていきたいと思います。

「おっ!どんな失敗したんや!どれどれ。」
こんな感じで読んで貰えれば!

今回の記事は全て読み切るのに5〜6分ほどかかります。目次に沿って書いていきますので、興味を持っていただいた項目を読んでください!

以下目次です。

1.はじめに

2.2つの失敗について

 a. 入国してすぐが学校に誰もいない時期だった。

** b. みんなハンドをやるときはコーチを含めデンマーク語で話す。**

3.さいごに


1.はじめに

僕はデンマークに行く前、留学している先輩や友人のSNSを見て、次のように思っていました。

「なんかすごく楽しそうだなあ」
「あの子だから出来るんだよ」

みなさんも留学に行っている友達や知り合いのSNSをみて、このように感じたことのある人は少なくないと思います。

留学生活を発信していた、もしくは発信している人のSNSは、ほとんどが”楽しいこと”で溢れているように見えてしまいますよね。

しかし実際は違いました。
まあ、ほとんどが不安なことです。
特に最初。話しかけらそうなときはビクビクしてました。笑

元も子もありませんが、留学の様相は
“人それぞれ”です。
当たり前ですね。

そんなこと当たり前じゃない!と思う方もいらっしゃると思いますが、良い意味で捉えると自分次第でその留学を良いものに出来るということです。
→つまり自分次第。笑

誰がどこでどんな活動をしていようが全く気にする必要はありませんでした。自分の留学の目的に集中することが何よりも大切なことでした。

たまーに、寂しくなったり孤独になったり。
インスタグラムでラーメン食べてるような場面を目にすると心がキュッとなるときはありました。笑

僕目線ですが、現実はもっとリアルで、とても日常的で、それがかえって残酷ともいえるような生活環境でした。

最初から、同じ学校の友達からご飯に誘われることはありませんでしたし、楽しいことが降ってくることもほとんどありませんでした。

自分でアクションを起こして、始めて得ることが出来る機会がほとんどだったので、気を抜いていたら周りの友達が出かけてしまっている!なんてことも。

そして残念ながら、自分の身の回りの環境が変わったことで、突然社交的になったり、英語が話せるようになるわけではありませんでした。

留学生活は自分で何かを考えて行動することがほとんどです。つまり、何もしないでいることは簡単なんですよね。すごく楽です。

生活している中で自分なりの”やりがい”を見つける。
たとえば、楽しみなことだったり乗り越えたいと思うことです。

たまに疲れて「ぐだーっと」しまうときもありましたが、なんとか現地の人に支えてもらいながら、日本の友達にエールを貰いながら9ヶ月生活していました。

これだけマイナスなイメージを並べてはいますが、これから留学する方を不安にさせたいわけではありません。というか、留学に不安がないわけないですよね。

そういう勇気や興味を持っている方に対して、楽観し過ぎず、なおかつ深刻になり過ぎないようにして欲しい気持ちがこもっていることをご理解ください。

終わってみれば凄く良い経験をすることが出来たと心から思っています。

周りの人達に助けて貰いながら生活出来れば、留学という機会が凄く良い経験になることは間違いないと思います。

2.留学の序盤に起きた2つの失敗

次の2つの失敗について。
汎用性があるかどうかはわかりませんが
「こんな失敗もあるのね!」くらいで。

失敗その1:入国してすぐが学校に誰もいな  い時期だった。

失敗その2:みんなハンドをやるときはコーチを含めデンマーク語で話す。

まず、僕の留学で”スタートの1ヶ月”は2種類ありました。

1つ目は
日本からデンマークに渡ってからの1ヶ月
(6月中頃から8月までの1ヶ月)

2つ目は
学校(ホイスコーレ)が始まってからの1ヶ月
(8月からの1ヶ月)

上記の失敗はこの2つのスタートのタイミングで僕が直面したものになります。

失敗その1:生徒の入れ替え時期間際に入国したこと。

前回の記事にホイスコーレが始まる時期に書きました。

1年の中で2つの学期(セミスター)があります。
秋学期:8月〜12月中旬
春学期:1月〜6月中旬

学校が休みの期間は各学期の合間の
「12月の中旬から1月の初旬まで」

「6月中旬から8月初旬まで」
は学校は完全にお休み。
その時期、生徒はみんな家に帰ります。

「12月の中旬から1月の初旬」までの休みは、友達の家で過ごすことが出来たと書きました。

では、「6月中旬から8月初旬」までの休みはなにをして過ごしていたのか。

約1ヶ月間の独り暮らし

「せっかくデンマークにきたのに1人で暮らしてたらもったいないじゃーん!」と思いましたね。笑

デンマークにきてたった半月だったこともあり、友達の家にお世話になるなんてことは出来ませんでした。

画像の部屋で過ごしていました。
どのような経緯でこの部屋に住むことが出来るようになったのかはこの後すぐに書きます。

本来、秋学期からはごっそりと生徒が入れ替わるタイミングです。

僕自身、3月に大学を卒業し、同時に留学の準備を整えていました。ビザの取得やホイスコーレへの入金を終えて出国の準備ができたのが5月の中頃。

日本でやる事がほとんどなかったことと、次年の3月には留学を終えて帰国しなければならないことを踏まえると、出来るだけ早く現地に渡りたいと思っていました。

デンマークと日本の時差の関係と、3月ごろはデンマークはイースターというお祭りがありオフィスの方が3週間ほど長期で休みを取っています。

それが理由で学校自体となかなか連絡がつかず、かなりもどかしい想いに、早く渡航したいという気持ちが重なり、かなり焦っていました。

それが理由で上記にあるホイスコーレの学校が始まる時期について、なにも確認もせずにとにかく早く現地へ!という気持ちでデンマークに入国しました。

着いてすぐ、前の学期の生徒と半月ほど一緒に過ごせたんですけど、その生徒たちは6月の後半には全員ホイスコーレからはいなくなってしまいました。

そのときの僕は凄く楽観的で、学校が始まる8月まで何とかなると思っていたんですよ。
本当にバカです。笑

約1ヶ月間の宿泊先はオフィスの事務員さんに勇気を出して相談したところ、夏の期間中に寝泊りできる部屋を用意していただきました。
まじでありがたかった…。

食事も、ホイスコーレで3週間に渡って年配者むけにゴルフ教室が開かれており、その為に用意される予定のご飯を3食全て分けて貰っていました。

もし事務員さんが部屋を用意してくれなかったらと思うとゾッとします。
自分で縁もゆかりもない言葉もろくに理解できない土地で、かなり高かったあろうホテル暮らしを余儀なくされた可能性だってあったからです。

その1ヶ月の時間の使い方は主に3つです。

・トレーニング

正直、筋トレはあまり好きではありません。
ただこの1ヶ月で頑張ったときに自分の身体がどれくらい変わるのかは興味がありました。

部位を変えながら毎日筋トレしていました。
(胸・背中)、(下半身)、(腕・肩)
大学時代にしていたトレーニング方法です。

・英語の勉強

英語の勉強は主にパソコンで。
YouTubeで英語系の動画を見漁って、それが飽きたら映画を英語字幕で見てました。

そのおかげで入国した頃と比べて格段にコミュニケーションを取ることができるようになっていました。
語彙力や表現も生活しながら増やしていきました。

普通に勉強するのが苦手なんで、動画見ながらボソボソいうやり方が合っていたのかもしれません。
慣れが1番大事なのは間違いないです!

あと、仲良くなれば間違ってても構わん!って思えるんでめちゃくちゃな文法でもなんとかなりました。笑

・ひとり旅

デンマークはとても小さい国です。
日帰りでも充分に満足ができる旅ができます。

1人での生活に慣れてきて変化が欲しくなった頃、デンマークで第二の都市と言われているÅrhus(オーフス)に行きました。

そこでは川の横にあるカフェでランチをしたり、美術館に行ったり、歩いて回れるとても小さな街だったので1日かけてゆっくり楽しみました。

結果的に、7月いっぱい”語学力の向上”と”基礎体力の向上”という課題に向き合い、これからの学校生活で必要なことになるであろうことを想像しながら生活していました。

まだ日本からきて間もないタイミングだったので、帰りたいという気持ちにはなりませんでした。
(本当は帰りたかったです。)

学校でいきなりみんなとコミュニケーションを取らなければならない環境より、準備期間があって助かったな。と正直思いました。ラッキーでした。

失敗その2:チームに自分の役割を持てなかったこと。

もう一つの失敗はコーチングについてです。
うちの学校では「ハンドボールコーチングコース」と「ハンドボールプレーヤーコース」があります。

コーチングを学びたかった僕は「コーチングコース」に所属する予定でした。

「コーチングコース」の学生は地元チームの希望した各カテゴリー(例えば、U-15boy)に配属され、ヘッドコーチの下で”コーチ見習い”として活動することになります。

僕も事前にU-17の男子のコーチとして配属されることが決まっていましたが、すぐにそこがコーチとして活動するにはあまりに難しい環境だとわかります。

実際にその後、僕はそのチームでコーチングをすることを諦めることになります。

その理由は2つ。

a.言葉の問題

デンマーク人はほとんど全員英語が話せます。
日常生活において英語で会話ができれば全く困ることはありません。

しかしハンドボールをするときはデンマーク語です。
インターナショナルの選手が多い場合はコーチが英語で話してくれることもありますが、基本は無いです。

実際にコーチの指示もデンマーク語で行われるため、わからないことがある度に
「今なんて言ってた?」
と英語で質問し直すことになります。

もちろんそんなことを聞く余裕や時間のない時がほとんどなので、わけわからん!と思いながらいることがほとんどです。泣

b.すでに学生コーチが2人

同じホイスコーレからかなり優秀な学生コーチがその年代のコーチとして2人付いていました。

彼らはいち早くヘッドコーチと選手の情報を共有し、練習メニューの一部を任されていました。
どんだけ優秀やねん。と思いましたね。笑

U-17は人数が多かったため、10人程度の3チームに分けられていて、1チームは1部に、他の2チームは2部のリーグ戦に参戦する予定でした。

そして、1チームはヘッドコーチが主に率いて、他の2チームを学生コーチが1人ずつ付く様な形。

チームにおける僕の役割はほとんどありませんでした。というより、チームに貢献できる力が僕にはありませんでした。

この2つの問題を機に僕はU-17のコーチを辞めることを考え始めます。無力感が凄かったんです。

同時に、デンマークを勉強してこなかったことと、あまりにもチームに自分の力を注げないことざ情けなく思えてきました。

デンマーク語難し過ぎて、英語がちょっとわかり始めると勉強したくなくなっちゃったんですよね。
書いたりしたら英語に少し似てるけど、発音難しいし、なに言ってるか全然わからん。

その無力感に僕は耐えられませんでした。
それはチームのためにもならないし、自分のためにもならないという結論に至りました。

デンマーク(海外)でコーチをするに当たって、語学の問題は常につきまといます。
結果チームのお荷物にもなりかねません。

コーチが不足している場合、文化や言葉の違いをチームが受け入れてくれた上でチームに尽力することはできると思います。

しかし、それは滅多にある機会ではないと思いますし、僕の場合も違いました。
そこに未来のある選手が大勢いるのです。
無責任なことはできませんでした。

そこで、僕はプレーヤーとして地元のシニアクラブに所属する決意をしました。インターナショナルの選手が数人いたためチームも英語でコミュニケーションを取る機会が多かったです。

U-17のコーチにその旨を伝えたところ、応援するし、いつでもチームに顔を出して欲しい。と言ってくれました。

僕はそのコーチとデンマークから日本へ帰る直前まで関わらせていただくことになります。

既にシニアチームに所属していた友人に
「チームに入りたいんだけど、次に練習に行くときに一緒に行ってもいい?」
と尋ね、実際に練習に顔を出したとき、シニアのコーチにチームに所属したいことを伝えました。

こうした経緯の末に、プレーヤーとして地元Ikastのクラブチームに所属することになりました。

この日の帰り道は

「やったぁぁぁあどぅわああああ!」

って感じでした。訳わかりませんね。はい。

デンマークでコーチングを学ぶという目的を果たすために、U-17のコーチとして活動するという「最高」の形は叶いませんでしたが。

プレーヤーとして肌でデンマークのプレーを感じるという「最善」の方法を選ぶ事にしました。
シニアのコーチには本当にお世話になりました。

その話はまたの機会に詳しく書きたいと思います。

3.さいごに

留学の序盤の3ヶ月だけみても、これだけのトラブルとこれだけの失敗があります。全くと言っていいほど順調な留学ではありませんでした。

「デンマークに来たからには手ぶらで日本に帰るわけには行かない」という気持ちで持ち堪えていました。

始めにも書きましたが、留学にきたからといって特別な力が急に備わるわけではないと思います。

手ぶらで帰ってたまるか。という意地や、学びたいという意欲がその状況を打開したり、改善する原動力になってくれている。そう感じました。

ただ、すぐに帰りたくなります。
天丼食べたくなります。
あと、焼肉?なんでもいいか。

重ねて申し上げますが、この記事を通してこれから留学をしようとしている方々を怖がらせたいわけではありません。

僕の失敗を踏まえて、留学する際、事前になにか準備できることがあったとしたらこの記事を書いた甲斐があります。

次回は、お世話になったコーチの方々の話をしたいと思っています。
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(シェアしてくださぁい!)

今回も最後まで読んでいただいてありがとうございました。ではまた!

森永 浩壽

2022年の今、フルタイムで働きながら日本リーグ参入を目指すハンドボールチーム"富山ドリームス"の選手として活動しています。ここでのサポートは自身の競技力の向上(主に食費です...)と、富山県内の地域との交流に使わせていただきます。