見出し画像

ひとつのことに執着する危険性について。〜"失敗できる"は幸せ〜


<もくじ>

1.はじめに

2.大事だからこそ会わない

3.今こそ「日常」と向き合う

4.「体験」を「経験」として蓄積する

5.さいごに


1.はじめに

今回のnote、当初の目的は「留学で何とかなる事と何ともならない事」という題名のもと、これから留学を考えている人たちに向けた記事を書くつもりでした。

冒頭にて、コロナウイルスによる活動自粛について思うことをつらつら書いていたら、思いの外、文章が長くなってしまいました。

加えて、より深く書き進めていく途中で
「発信することの意義や目的」を絡めて書いていく必要があると感じました。

敷いては、「今後のキャリア」に関わる内容まで僕がいま感じながら悩んでいるところを書いていくつもりです。

そして、いま身近に起こっていることを実寸大に置き換えてイメージしていただけると幸いです。

どうか、最後までお付き合いください。


2.大事だからこそ会わない

約10ヶ月のデンマーク留学を終えて、日本に帰ってきてもうすぐ1ヶ月になります。終わってみるとやはり短い期間だったと思い知らされます。

1ヶ月も経ってしまうと、帰国してすぐに飲んだ味噌汁ほどの感動は、もうそれほど感じることが出来なくなっています。

渇望しているからこそ、喜びや達成感は大きい。
スポーツが出来ない状況にいる僕たちは今まさに
そんな状況ではないでしょうか?

スポーツだけではありませんね。
今までなに不自由なく会うことができていた友人にも、会うことがままならない状況だからこそ。

今まで忘れそうになっていた「ありがたみ」をますます感じていて、次に会えるときが楽しみでなりません。

実際、僕も帰国してから予定していたご飯会を中止することにしました。

「大事だからこそ、会わない。」

その選択が出来る友人は、今後も信頼できる友人の1人になると勝手に思っています。


3.今こそ「日常」と向き合う

スポーツの話に戻ると、

いままでずっとスポーツをしてきた人からすると、ここまで自分たちのスポーツをする場を奪われる機会はそうないと思います。

むしろ、僕たちの日常はいつもスポーツという片脚、(もしくは両脚。)を突っこんでいるが故に、ときより日常との境界が分からなくなることも少なくないはずです。

簡単に言うと
「何のためにやってんだろ。」

漠然とした不安や疑問が浮かんでしまう。

スポーツを始めた理由を忘れたころ、上手く行っていたことがうまく行かなくなったころ、こうした疑問が頭に浮かんでくる経験がありました。

授業が終わると、すぐに部活。
家に帰ると、疲れ果てて直ぐに就寝。
次の日にまた学校に向かい、授業が終わると部活。

ハンドボールのために日常を捧げているような状態でした。当時はそれが良いと思っていました。本気で。

毎日休みなく、上手くなるために一生懸命ハンドボールをしてきたつもりでした。
しかし、毎日ハンドボールをすることで

「自分がハンドボールをなぜしているのか?」

を、考えなくなっていました。
というより、考えられなくなっていました。

なぜなら、毎日考えてたらしんどいからです。
頭が爆発しそうになるからです。
身体が疲れてくると頭を動かす余裕がありません。

そんな頭を守るために僕がやったこと。

考えずにただやる。

これがどれほど楽なことか、と同時にどれほど危険なことか。解るようになるのはもう少し後のことでした。

スポーツとは「憂いを取り去るもの」「欲望を発散するもの」大学生になってやっと学ぶことが出来ました。本当に筑波に入って良かったと思っています。

スポーツをする場はあくまで非日常的な場。
(これは大学の恩師の言葉です。)
(プロとアマでは少し僕の捉え方が違います。)

日常生活とは一線を介したほうが肉体的にも精神的にも良い理由は、先ほど書きました。
考えずに毎日同じ練習をすることは、ストイックに見えて実は1番楽なんです。

日々、変わる自分の調子とチームの状況から
「何をすればいい?」と問い続けるほうがよっぽどしんどいし、簡単に出来ることではありません。

スポーツ選手が練習のない時間に、趣味に打ち込む様子を発信したときに現れる

「そんな時間があるなら練習しろよ」

というコメントがどれだけ的を得ていないのか、なんとなく分かると思います。

コロナウイルスで試合は元より、練習さえも出来ない状況が続く中、昨日、非常事態宣言が出されました。

工夫して練習をしていたチームも、チームとしての練習方法を絶たれたようなものです。

こんなときこそ、日常生活で自分の好きなこと、打ち込めるようなことを見つける、又は時間を割くことが今後の自分の人生の豊かさに間違いなく繋がります。

日常生活に向き合うことが、自分の「大好きなスポーツ」への欲求を高めて「またしたい」「まだまだしたい」を産み出してくれます。


4.「体験」を「経験」として蓄積する

デンマーク留学を終えて、いざ日本へ帰国、現地で体験した様々な出来事を色んな人に伝えようとしました。

しかし、どのように伝えたら良いか全然言葉に出来ませんでした。

なんとなくは話せます。しかし、イメージばかりが先行して口に出るのは「良かった。」「楽しかった。」
「これが凄かった。」と、簡単な言葉のみ。

これでは、英語で四苦八苦しながら話していたときと大差ない気がします。
この感覚が当初書く予定だった記事の内容にリンクしてきます。それはまた後日。

そこで、どうにか「言葉」にして自分の体験をコレクションしようと思い、このnoteを更新しています。

今まで約12年、スポーツ選手として小学5年生から大学4年生を過ごして来ました。

プレーヤーとして試合で結果を出せば、その結果は自分の体験になり、自分自身の経験として蓄積、そして自動的に周囲のひとたちに共有されます。

そこがプレーヤーの強みといいますか、自分自身で自分を売ることが出来るんですよね。

プレーヤー、プレーヤーじゃないに関わらず、自らの活動を自らの言葉で発信するひとには尊敬の気持ちを抱いています。

僕自身、もっと早くやっていればよかったと後悔しています。なかなか踏み出せませんでした。上手く書けないんじゃないかとか、まずいことを言うんじゃないかとか。

もちろん、今からでも遅くないと思ったからこそ始めたんです。自分の体験を経験として蓄積するために。


5.最後に

「何をすれば良い?」

と常に自分に問いただし、その都度、行動を起こして最高の結果をフィードバックする。
そして、次に活かす。そうは言ったものの。

これはただの理想です。
当たり前のことですが、上手くいくことがあれば上手くいかないことが必ずあります。

常に頭を使って行動を起こし続けることは、良いことですがそれに伴い少なからずリスクを孕む。
時には諦めも必要なのです。

完璧主義と言ったら、ポンコツ過ぎて情けなさの限りですが、以前に僕はその気質がありました。

「上手くやらないと行けない」と思ったり
「これは出来なきゃ行けない」と思ったり

知らないうちに自分のことを追い込んでしまう時期もありました。それによって家族や、恩師を始め、多くの友人に迷惑をかけたこともあります。

迷惑を掛けたことはとても申し訳ないし、謝らなければいけないことだと思います。

でも、僕はとても幸せです。
失敗することができるからです。

失敗することは必ず必要です。

全く悪いことじゃないのに。
やり直しが効くうちは、全く問題ないのに。
全然おっけいだと、ただ楽しそうに呑気にやってくれれば良かったのにと。

事前にそう、伝えられていたらと、思わずにはいられません。

コロナで大変な時期ではありますが、自分の気持ちを少しだけさらけ出してみました。
お付き合いいただき、ありがとうございました。

森永 浩壽



2022年の今、フルタイムで働きながら日本リーグ参入を目指すハンドボールチーム"富山ドリームス"の選手として活動しています。ここでのサポートは自身の競技力の向上(主に食費です...)と、富山県内の地域との交流に使わせていただきます。