「自分を疎外しない働き方」ってどんなもの?(1)「現在が未来の手段になる」ことについて
僕は、「働くことって最高!イエイ!」とはいえない。
はあ、マジ会社行きたくない、バイト行きたくない、って気持ちを嫌という程経験してきたので。
でも、だからといって仕事を「労苦」としてしぶしぶ受け入れたくもないわけです。きっと「働くこと」は労苦にもなるし、その人の人生をかがやかせるきっかけにもなるはず。
じゃあ、どうしたら「その人の人生をかがやかせるきっかけ」になるだろう。ってことを、ここ1ヶ月ほど考えてきました。
いいかえれば、「自分を疎外しない働き方」ってどんなものだろう?と。
そのことを何回かにわたって考えていこうと思います。今日は「現在が未来の手段になる」ことについて。
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ちなみに「疎外」とは、哲学、経済学用語で「人間が作った物が人間自身から離れ、逆に人間を支配するような疎遠な力として現れること。またそれによって、人間があるべき自己の本質を失う状態のこと」です。(むずかしい)
「働く」という文脈でいえば、本来僕たち自信のことであるはずの「働く」が、よそよそしくなり、自分を縛るようになるような状態ですな。
もうちょっと分解していえば、次のような状態なんじゃないかな、と思っています。
(1)現在が未来の手段になっている
(2)自分が他者の手段になっている
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まずは、「現在が未来の手段になっている」こと。
これは哲学者の鷲田清一さんが、<前のめりの時間意識>といっていることです。
産業革命以降広まってきた「生産性の論理」、つまり人間は絶えず価値を生産しなければならない、常により多く、速やかに、効率的に…!という考え方が、強迫観念のように僕らにはりついています。
はりついています、というか学校や、病院、工場などによって、社会がそのような考え方を持つように僕らを訓練しているわけです。学校の時間割や、テスト、受験のシステム、なんかを通じて。
そうした「生産性の論理」のもとでは、成長がよしとされ、現在は未来がより良くなるための手段という考え方になります。
こんな心当たりはありませんか? 10年後の夢のために、今は我慢して会社員でいようと思ったり、自分はまだ本当の自分になりきっていないと思ったり。
でも結局10年後にも、また「10年後にこうなっているために…」と思うとしたら、「自分はなんのために生きているのか?」「いつのために生きているのか?」という“そもそも論”な問いが浮かんできます。
それが、現在が未来の手段になっている、ということです。
僕の好きな言葉に「Carpe diem カルペ・ディエム」という言葉があります。紀元前1世紀の古代ローマの詩人ホラティウスの詩に登場する言葉で、「一日の花を摘め」、つまり「今を生きる」という意味だそう。
その言葉のように、未来のために今を生きるのではなくて、今この瞬間を生きたい、と僕は思うのだけど、みなさんはどうでしょう。
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ちなみに、「じゃあ目標を持たずに生きてきたほうがいいの?」という疑問も浮かびますが、目標は現在、“いまここ”の私の人生を充実させてくれます。
大谷翔平選手が、「目標を達成するかどうかじゃなくて、そのプロセス自体に意味がある」というようなことを言っていました。大谷選手の場合、現在が未来の目標を達成するための手段になっているのではなくて、未来の目標が現在を輝かせてくれているんでしょう。
もちろん、目標がただ苦しみになる場合もある。今この瞬間を輝かせるために、目標と上手に付き合っていくのが良さそうです。
さてさて次回は、「自分が他者の手段になっていること」について考えていきます。ひゃー小難しい。あとちっとばかりお付き合いください。
参考文献
『だれのための仕事―労働vs余暇を超えて』鷲田清一,2011,講談社学術文庫
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