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矛盾をはらみながら、もがき続ける。-『プロフェッショナル 本木雅弘スペシャル』を観て考えたこと-

自分がいかに生きるかを考える上で、「ロールモデル」はその方向をさししめす北極星のような存在になります。

僕が「ロールモデル探し」として以前ずーっとみていたのが、『プロフェッショナル 仕事の流儀』。5年前くらいまではほぼ全話見ていたんじゃないかな。やっぱ見ると、「かっこいいな、こんなふうに生きたいな」と思うんですよね。

ただ、ある時から観なくなってしまった。なんか予定調和に思えてきたんです。

「今こんなすごい人がいて、その背景にはこんな挫折を乗り越えた経験があって、今はやっぱこんなすごい」みたいなプロット(筋)がはじめからきめられていて、そこにあるひとのライフヒストリーを当てはめているような。

だから「はいはい、その背景には知られざる挫折があった……ってなるんでしょ」とか先読みして考えちゃって、面白くなくなってみるのやめたんです。

それが先日、久しぶりに本木雅弘さんのスペシャルをみたら、感動してしびれちゃって。

本木さん自身もそうだし、番組自体も、「予定調和からはみ出てやろう」ともがいてるのがひしひしと伝わってきたんですよね。

長い間、役者として踏み迷っている感覚が抜けない。
あえて嫌なことをすれば、次に進むための“真実”が見つかるかもしれない。

ドキュメンタリーを撮られることを拒んできた本木さんが、あえて密着取材を許した背景にある思いが、「予定調和からはみ出てやろう」という思いを象徴しています。

番組としても、「本木さんの素顔を撮れるのか?」と、ディレクターの素直な困惑まで表現していて。

さらに、僕が観ていた頃のプロフェッショナルと違い、本木さんを「完成したプロフェッショナル」として描くのではなくて、「矛盾をはらんだ、不完全な人間」として描いている。

考えてみれば、「完成したプロフェッショナル」なんてどこにいるんだろう。その道を極めたように見える人でも、実は日々めちゃくちゃ悩んでいるはず。本木さんが最後に言うように、そんな悩みと向き合い続けられる人がプロフェッショナルなのかもしれない。

かつての自分は、「完成したプロフェッショナル」をかっこよく思い、ロールモデルに置こうとしていました。

でも、そうはなれないわけで。人間誰しも矛盾をはらんでいるから、「自分はああはなれない」って言うギャップに苦しみ続けることになる。

むしろ今は本木さんのように、「矛盾をはらみながら、もがき続ける」人間でありたい。そんなふうに今回プロフェッショナルを観て思うようになりました。

『プロフェッショナル』の本木さんの回は、NHKオンデマンドで視聴することができます。有料で、会員登録が必要ですが、観る価値ありますよ。


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