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家族写真は、家族との出会いなおし。

先日、大切な友人のマタニティフォトを撮影させてもらった。

彼女とは大学1年のときに知り合っているので、かれこれ14年くらいの付き合いだ。そんな友人の、大事な節目に写真を撮らせてもらえること、旦那さんとはじめてお会いできること、そしてひさしぶりに慣れ親しんだ土地(彼女が住むところは、僕が育った北関東のまちのちかく)に撮影で行けることがうれしく、精一杯撮影させてもらった。

レタッチした写真を送ると、「家族になったんだっていうことが伝わってきた!」と、彼女。ほんとうに喜んでくれてることが文面から伝わってきた。あ〜、いい写真が撮れたみたいでよかった!

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写真は、家族との出会いなおしになるのかもしれない。

自分の顔は鏡を使わないと自分では見れないのと同じように、夫婦や家族の関係も、自分たちでは見えない。「夫婦」や「親子」、「家族」といった世の中にある言葉でカテゴライズされるけれど、その関係性は100の家族がいたら100通りある。けれど、自分たちがどんな関係性なのかは、自分たちではなかなかわからない。

そんなとき、その家族にとっての「鏡」となる第三者がいると、「あ、わたしたちってこんな関係だったんだ」と気づける。自分たちは、喧嘩ばかりしてる、と思っていた夫婦が、「仲がいいですね〜!相手を信じてるから素直な意見も言えるんでしょうね」と言われて、あぁそうかもと気づく、みたいなことってあると思うのだ。

「鏡」となる第三者は、親でも友人でも近所の人でも、ウェディングプランナーでも、誰でもいいと思うのだけど、カメラマンも「鏡」となる第三者になる可能性を大いに秘めてる。その家族の写真を撮って、「こんなふうに見えてますよ」と届けることで、自分たちの関係性を知ることができる。写真という媒体の強みは、とてもありそうだ。

だから、テンプレみたいな背景やポーズにその人たちを当てはめることは、撮影者としてしたくない。それは単なるプリクラだ。

僕はプリクラじゃなくて、よき「鏡」になりたい。


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