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ダメな自分を愛するための「自己低発本」5選

「ダメな自分を愛せはしない 強く生まれ変われ」という歌がむかし流行ったけれど、ダメな自分を愛せない人生はけっこうつらい。ぼくらが生物として生きている以上、おならをし、うんこが出るみたいに、どうしたってダメなところは自分という存在からにじみでてしまう。

30歳をすぎた頃から、ぼくはやっとダメな自分も愛せるようになってきた。それは、「自己低発本」との出会いが大きい。

書店には、人生に役立ちそうな自己啓発本がたくさんならんでいる。「20代のうちにしたい◯のこと」とか「人生が変わるほにゃらら」とか。ぼくだって、そういう本を読んだことがないわけじゃない。けれど、人生のしんどいときに寄り添ってくれたのは、どちらかといえば、人間の”低さ”に触れさせてくれる「自己低発本」なのだ。

かつて、TBSラジオの名番組「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」に「低み」という人気コーナーがあった。

「誰に迷惑はかけていない。犯罪でもなければ、マナー違反になるかもわからない。ただし、確実に、人間として、何かが“低い"……。」そんなダメ習慣を、「最強の自己低発」として紹介するコーナーで、たとえば、

「洗っただけで乾かしていない衣服を着て、バイクで出勤し、会社につくまでに許せるくらいまで乾かす」

だとか、

「銭湯に行く際にタオルを持参せず、体を洗う際は体毛で泡立て、入浴後は獣のように体を震わせ水分を切ってから、扇風機の前で仁王立ちして乾かす」

だとか、

「食べ歩き中に手についたメンチカツの油を、『トリートメントになる』と言って髪の毛になすりつけた」

だとかいう、「これ人として大丈夫か…」というエピソードが投稿され、ご飯を食べながら聴いていた僕は毎度みそ汁を吹き出しそうになったものだった。

こうした”低い”エピソードには、なにかしら人を癒す効果がある。

電車で目的地とは逆の方向に乗ってしまったとき、シャツを表裏逆で来てしまったとき、借りた本であることを忘れてがっつりマーカーで線を引いてしまったとき…ぼくたちは「なんて自分はダメな人間なんだ…」と、自分を責めてしまいがちだ。

けれど、そんなとき、自分と同じような”低い”エピソードに触れると、自分は一人じゃないと思える。むしろそうした”低さ”にこそ、人間くささがあるように思えて、自分を愛おしく思えるようになるのだ。

そんな”人間の低さ”に触れさせてくれる「自己低発本」として、ぼくがお勧めするのはこちら。

『ライムスター宇多丸も唸った人生を変える最強の「自己低発」 低み(TBSラジオ)
今回紹介した人気コーナーが本になったもの。

『そして生活はつづく』(星野源)
それまで仕事の虫だった星野源さんが、「生活をおもしろがろう」と思い立ち、日々の生活について書いたエッセイ。携帯電話の料金を払い忘れたり、部屋が荒れ放題になったり、人付き合いが苦手だったりしながらも続いていく「生活」に、どこか愛おしさを覚える。これを読んでから「くだらないのなかに」を聴くと、余計に沁みる。

『記憶スケッチアカデミー 』(ナンシー関)
人間の記憶というものがかくも不確かなものかということを知らしめてくれる。高圧的な人でも、記憶スケッチをしたらその人の”低さ”がみえて愛おしくなるかもしれない。

『ほんまにオレはアホやろか』(水木しげる)
「ゲゲゲの鬼太郎」を生んだ水木しげるさんの自伝。入学試験に失敗し、学校は落第し、就職しても寝坊でクビになり、戦争で送られた南方では片腕を失いながらも生き残ったが、終戦後は赤貧時代をすごしながら、南の島で見つけた「楽園」が忘れられない。簡単にいってしまえば水木さんは「社会不適合」なのだけど、終盤の南の島に思いを馳せるシーンなどでは、むしろおかしいのは社会の方なのでは?と思わずにはいられない。

『ダンスダンスダンス』(村上春樹)

作品すべてを通して”低い”訳ではないけれど、主人公が友人の五反田君の真似をして「何もかも下らん。まるっきりの糞だ。ひからびた糞だ。純粋に吐き気がする」と声に出して言ってみると、「不思議なことにそれで少し気分が良くなった」というシーンが好き。ぼくもむしゃくしゃしたときは五反田くんの真似をするようにしてる。けっこう効果がある。

このあたりは、一家に一冊、かならず置いたほうがいい。なにかあった時にこれらの本のページをくれば、きっと癒されて、自分を責めて病んでしまう人が減る気がする。ぼくがそうだったみたいに。

そんな「自己低発本」、きっとほかにもあるはずだ。あなたももし知っていたら、ぜひ教えてください。その「自己低発本」によって、もしかしたら他の誰かも楽になるかもしれません。

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