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「まなざしの地獄」と「わたしの語り」


そういえば、なんで僕は「ナラティブ」や「語り」にこだわるんだろう。

なんて、noteで今回は何を書こうかと考えながらふと思いました。

思い返してみると、ある一冊の本との出会いが大きかったように思います。それは、『まなざしの地獄』という本。今日はその本の紹介を少しします。


「まなざしの地獄」とは


「まなざしの地獄」とは、社会学者の見田宗介さんが著書(もともとは論文)の『まなざしの地獄 - 尽きなく生きることの社会学』で使った言葉。

この論文は1968年から1969年にかけて無差別殺人を犯した19歳の青年N・N(永山則夫元死刑囚)に注目し、人を出自などで差別する都市のまなざしと、自由な存在であろうとする一人の青年の実存とのせめぎあいから、当時の社会構造をあぶりだしたもの。

こちらの記事に、その著書の内容がわかりやすくまとめられています。

以下に少し引用。

N・Nにとって都市は、若者の「安価な労働力」としての面には関心を寄せても、その人が自由への意思や誇りを持って生きようとする人間だという面には関心を寄せない場所でした。また社会には、出身や所属によってその人を差別し排除する構造もありました。「思う通りに理解されない」ことにN・Nは苦しみ、他者のまなざしに沿って自らを変形させていきます。

一人の人間は、「こういう人間である/ありたい」という思いを持って生きている。でも、人を労働力としてしかみない社会では、そうした思いや自由はじゃまなものでしかなく、その人が「どこ出身なのか」「なに大学を出ているのか」「どんな服を着ているのか」「どこにつとめているのか」によってその人を判断する(これが「まなざし」)。

だから、一人の人間はそんなまなざしのもとで生きていけるように、まなざしに合わせて自分を変形していく。自分の「こういう人間である/ありたい」という思いをないがしろにしながら…。

さて、これこそが「まなざしの地獄」なのですが、これって1960年代後半の、N・N青年にだけ感じていたことじゃないんじゃないでしょうか。2020年になろうとしている今でも、僕なんか「超わかる!」って思ってしまうわけです。

たとえば昨日なんかも、友達とスイーツが美味しいカフェにいったのですが、そこで写真をバシャバシャ撮って、いい感じに加工してインスタにあげて、「これでlikeいくつつくかなー」なんて思ったり、とか。

たとえば就活や転職の時。スーツに身を固め、履歴書をサークルやゼミの代表歴で埋め、まさに「まなざし」に合わせて自分を変形させていくことが求めていこうとしてたなぁ、とか。

それを違和感なくこなせる人はいいけれど、そうじゃない人にとっては本当に苦しい。嫌ならやめればいいじゃん、というかもしれないですが、そうもいかないんですよね。やめちゃったら、他者から理解されなず孤独になってしまうんじゃないかって。

だから今日もせっせとインスタに映える写真を投稿するのですが。自分では自分がすすんでやっている、でも苦しい、でもやめられない…このジレンマが、「地獄」の「地獄」たる所以なんじゃないかな、と思います。


「他者のまなざし」にたいする「わたしの語り」


そんな「他者のまなざし」にたいするものとして、「わたしの語り」を置くことができるはずなんじゃないかな、と僕は思っていて。

「他者のまなざし」に近い概念として、ナラティブアプローチでは「ドミナントストーリー」という概念があります。個人の状況を支配している物語ですね。

たとえば「大企業に正社員として就職しなければならない」とか。で、そうしたドミナントストーリーはおおくの場合、同級生がそういっているからとか親にそう教え込まれたからという「他者のまなざし」が影響しています。

そうした「ドミナントストーリー」によって苦しい状況に置かれているとき、「他者のまなざし」を置いておいて「わたしはどう生きるのか」という語り、つまり「オルタナティブストーリー」をたちあらわせることを、ナラティブアプローチでは取り組んでいきます。

「周りは大企業に正社員として就職しなければならないといっているけど、よくよく考えてみると、僕は旅が好きで、自由な生活をしたいから、まずは学生時代に培ったライティングの能力を活かしてフリーランスで活動して、貯金して海外に行けたらいいな」

とかとか。そんな語りを、自分だけにとどめるのではなく、誰かに聞いてもらって承認してもらえる場。そんな場が持てたら、「まなざしの地獄」からちょっとずつ抜け出せるんじゃないかな。少なくとも僕は、最近そんな場があるので以前ほど苦しくなくなりました。


SNS時代の「わたしの語り」


SNSが生活に入り込んだ今、「他者のまなざし」はそれまで以上に僕らの生活に影響を及ぼすようになってきています。

でも、だからこそ、「わたしの語り」をつむげる場や時間が大切になってくるはずです。「まなざしの地獄」に陥らないために。

みなさんには、「わたしの語り」をつむげる場所はありますか?



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