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おれすごいぜ、って「強さの自己開示」もしたい。

毎日noteを書いていると、おもしろいもので、自分が普段考えていることの軌跡のようなものが見えてくる。

ヘンゼルが森のなかでパンくずを道しるべとして道々置いていったように、過去のnoteをながめてみると、「なるほど、こんなふうに考えてきたのか」ということがわかるのです。


パンくずとしてのnoteをながめていてわかったのが、「いかにパンツを脱ぐか」ということを、僕はずーっと考えているな、ということ。

それだけ聞くと「こいつヤバイ!」と思われそうなんですけども、安心してください。ここでいう「パンツ」は、「心のパンツ」のこと。つまり「パンツを脱ぐ」とは、言いかえれば「弱さの情報公開をする」ということです。

過去のnoteでも、次のように書きました。

「心のパンツ」とはなんなのかというと、「自分の”弱さ”を見せてはいけないという、心理的なハードル」だと思います。
「弱さの情報公開」とは、端的にいうと「自分も他人の弱さも、受け入れて、認めていく。」ということです。
この「弱さの情報公開」が、まさに「心のパンツを脱ぐ」ということ。しんどいときはしんどいと伝える。まわりは「そうなんだね」と、そのしんどさを受け止める。そうした関係があると、「あ、自分ってこのままでいいんだな」って、だんだんと自分の”弱さ”を受け入れることができるようになってきます。


こうした「心のパンツを脱ぐ」こと、つまり「弱さの情報公開をする」ことを、僕はすごく大事にしているんですね。


でも、最近友人にこう言われてハッとしたんです。

今日の山中くん、自信なさそうに見えるよ。「弱さの情報公開をする」も大事だけど、もっと自分のすごいところ、素敵なところも言葉にしていいんじゃない?

目からウロコとはこのこと。「弱さの情報公開」に対して、「強さの情報公開」もしてもいいんじゃないの、ということです。

なるほどたしかに、「弱さの情報公開」をすることで心の安心につながる。

一方で、心のエネルギーというか、「俺はできるぜ! やったるぜ!」というフツフツとした感情につながるのは、「俺はこんなことができて、こんなふうに努力して、これを達成したんだよ。えっへん!」という、「強さの情報公開」かもしれません。

松岡修造さんもいっていたような気がしますが、誰かに対して「自分はこんなにすごいんだよ」「ここがんばったよ」ということを言うと、自己肯定感が上がります。自己暗示的な効果もあるでしょうし、相手から「え、めっちゃすごいね!」といってもらえることによってはげまされることもあるでしょうし。


この「強さの自己開示」、謙虚さが美徳とされがちな日本ではけっこうむずかしいですよね。でも、実験としてやってみたいと思います。2枚目の心のパンツを脱ぐ実験。これが脱げたら、まじですっぽんぽんです。

自己肯定感や、まわりとの関係性にどういう変化があるんだろう。その結果は、またnoteでお伝えしますね。


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