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人生の物語には、「鶴瓶師匠みたいな存在」が必要だ。-『対話と承認のケア:ナラティヴが生み出す世界』宮坂道夫-

なんだかその人の前では、ついつい自分の人生を語りたくなっちゃうような人がいる。

僕は自分語りが苦手なのだけど、その人が「それでそれで?」「めっちゃすごいやんそれ!」「詳しく聞かせてみい」と言ってくれるので、ついつい語ってしまうのだ。

なんで関西弁なのかといえば、笑福亭鶴瓶師匠をイメージしてるからである。

NHKの『家族に乾杯』を観てると、鶴瓶師匠の前では多くの人が人生の物語を語り出す。語って、癒されているように見える。初対面だというのに。

いったいなぜ、鶴瓶師匠と話すと自分の人生を語りたくなり、語ることで癒されるんだろう?


そのヒントは、宮坂道夫さんの『対話と承認のケア:ナラティヴが生み出す世界』を読むとわかる。

この本で宮坂さんは、「ナラティブ・アプローチがなぜケアになるのか」と言う問いについて考えている。

(ナラティブ・アプローチについてはこちらに詳しく載っています。要するに「問題を抱える当事者へのケアやカウンセリングを「ナラティヴ(語り、物語)」の視点からとらえなおす動きの総称」ですね。)

宮坂さんはナラティブ・アプローチを以下の3つに分けている。

「解釈的ナラティブアプローチ」
他者を読み解こうとする。ケア者が積極的に関与して、被ケア者の人生史を再構成して、それを証人・聴衆の前で演示する。

「調停的ナラティブアプローチ」
複数の他者に向き合いながら不一致や対立を調停する。ケア者のみが正解を知っているという前提を放棄して、ケア者と被ケア者とが自由に発言できる対話空間を実現する。

「介入的ナラティブアプローチ」

他者のナラティブに対して評価をつたえ、場合によっては再考を促したり、修正を求める。ナラティブが個別バラバラの経験を「統一された、理解不能な全体」に結びつけて意味を与えるこのそれぞれが、医療や福祉などの現場で相手を癒すような効果をあげているらしい。


宮坂さんは、このいずれも相手をケアする効果があることを認めたうえで、どのアプローチにも共通する、ケアにつながる理由として、「ケア者と被ケア者とが、これらの対話実践に協働で取り組む姿勢をもっていること」をあげている。


煎じ詰めれば、ケア者と被ケア者とが、これらの対話実践に協働で取り組む姿勢をもっていることが最も肝心だということである。

<ケア者が積極的に関与して、被ケア者の人生史を再構成して、それを証人・聴衆の前で演示する>ことも、<ケア者のみが正解を知っているという前提を放棄して、ケア者と被ケア者とが自由に発言できる対話空間の実現する>ことも、<ナラティブが個別バラバラの経験を「統一された、理解不能な全体」に結びつけて意味を与える>ことも、対話実践への協働の姿勢を具体的な形にするための方法論にすぎないのかもしれない。
(宮坂道夫(2020)『対話と承認のケア:ナラティヴが生み出す世界』249頁,医学書院)


「対話実践への協働の姿勢」が、相手を癒す。

言いかえれば、相手の「一緒に、悩みとかくるしみのことを考えるから、話してみてみい」っていう姿勢と、自分の「話してみよう」という姿勢が重なり合った場で、僕らは癒されるのだ。


自分の生き方の物語をつくるときに、弱さもわかちあったうえで、生き方について共に考えていくことができる仲間がいることは、「安全基地」になる。

「安全基地( Secure Base)」は、アメリカ合衆国の心理学者メアリー・エインスワースが提唱した考え方で、子供は親との信頼関係によって育まれる『心の安全基地』の存在によって外の世界を探索でき、戻ってきたときには喜んで迎えられると確信することで帰還することができる、というもの。

これは子どもだけじゃない。大人だって、誰かしら自分を弱さも含めて受け入れてくれる存在がいるからこそ、あらたな生き方を探求できると思うのだ。

人生の物語をつくっていくことは、ひとつの冒険だ。ときにはジャングルで虎と出くわしたり、大海原で嵐に襲われたりするような困難と直面する。

そんな、スリリングな「人生の物語をつくる」営みを、一人ではなく誰かと対話をとおしておこなっていけると、困難を乗りこえていくための勇気や安心感を得ることができる。

その「誰か」は、コーチングやカウンセリング、ファシリテーションの技法を持っていることが大事なのではなくて(もちろんそれらは役に立つのだけど)、弱さもわかちあったうえで、生き方について共に考えていってくれるような存在だといい。

そう、それは、鶴瓶師匠みたいな存在だ。

でも、僕も含めてみんなが鶴瓶師匠と出会えるわけではない。街をぷらぷらしてたら『家族に乾杯』の収録に出くわした、なんてラッキーな人はそこら中にいるわけじゃない。

だから、自分が誰かにとっての、誰かが自分にとっての鶴瓶師匠になれたら、その人の人生が輝いてみえるような人生の物語が増えていくだろうなあ、なんて思うのです。


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