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2021/04/19

 鳥が三匹川沿いを歩いていて、くちばしの青い鳥が川の中を泳いでいて、そのくちばしが水面を揺らしていて、魚や微生物、プカプカと浮かんでいたビニール袋なんかを咥えて、引きずり回すようにまた鳥が三匹歩き出しました。警戒してはいけない、かといって安心してもいけない。どちらも行ったり来たりしていて、黒くしみた影が寝っ転がって引きずられて、そのうちのたうちまわって遊んでいるみたいになった。三匹の鳥は青いくちばしを持っていて、それがトレードマークとか自分が持っている特有の存在感とか、個性とかそんなことを考えてはいない。いないはずだったことが、そんなつもりじゃなかったことが、血液中を流れていく。それは過ちだとか隠蔽したいと願うこと、無くしてしまいたい、懺悔とか増殖とか。じゃあ、こっちにきてみたらよかったのだろうか。向こう岸のこと。夕日が線になって、だんだん太く透明になって白みを帯びて向こう岸を包み込んでしまう。どれもこれも嘘みたいで、ああまたそうやって疑ってしまったことを悲しんでいる。

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 私、私のしていたことに疑いを持っていました。現に今も持っています。忘れてしまいたいと思っています。今のこの感情とか、過ちとか、精査しようとするそういった行いそのものを訂正したいというか、つまり懺悔したいというか、一体何に対してなのか、私は私に向かってただ無神論者の私に向かって懺悔して、声高らかに咳払いする音声だけが響いて、響いて、私が開いたこの扉の先の十字架とか精霊じみた彫刻をきっかけにして、その、つまり、ああ、こうやってまた鯔のつまりを感じていました。
 窓に垂れる水滴をひとつひとつ眺めて、繋がっていく線をひとつひとつ確認して、それが何らかの地図であるかのように、これからの未来を指し示すお告げであるかのように私は見て、私は私の見識だとか、文言を通して、この窓にある風景を解説しようとしていて、それが鳥の足跡であるとか、虫の痕跡であるとか、あるいは腐乱死体の香りであるとか、焼き払われた農地の煙であったとか、掘り返された土の香りとか切迫感を伝えて、ああまた間違ったことをしたとか、過ちを犯したとか、そのことについてとやかく言及することもなく、改善を促すでもなく、ただ、ただ私はそれらを見て、知らせて、いや、知らせてるわけではなく、ただ涙の、その湧き出る泉の、あの源泉の、その瞬間の、一枚一枚を切り取ろうとしているのです。かかった橋の隙間から湧き出る大量の水たちが私たちに語りかけるのは、水しぶきを通してなのかもしれませんし、あるいは偶然に吹く風とか、花びらひとつがそうであるのかもしれません。声はあまりに乱雑すぎたし、多くのものを含みすぎていたのかもしれません。それに比べたら、あの泉や花びらなんかは小さく細やかな情報を伝えようとしています。それに比べて風は多くの情報を呼び起こすし、反応を引き起こします。それは悪意あるものではないし、ただ何もかもを吹き飛ばして、解放し、私が抱え込んでしまったあらゆる問題や欲求をすべて風の中に、空中に散り散りに天空に運んでいく、その役割を持って風は、風は、その扉を、あの扉をこじ開けようとしてぶつかって、転がったまま眠ってしまう。ゆりかごの中で、一点だけを見つめて、眼球は動き回りながら私の内部をみつめるのです。

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 トクン、トクンと膜が張られた楽器が、丁寧に響かせていたのは静寂であったし、音の、音符の声の、その境界線の青い眼の、小さな少女の、ぶどう酒の、外套のかけられた小屋の、鉄琴のさえずるような雄叫びやあとは鳴らない木琴。それはある音楽会だった。首からは紐で通された笛を下げていつでも鳴らせるように、その時が来るまで、その時を待ちわびるように整列した子供達の発表会だった。もう夜だった。夜になると炎が煌々と輝き出し、いじけていたうさぎとか踏みちぎられた草なんかがまた別の表情を見せようとする。それがひとつの演技だったりとか、それが生とか死とか生命についての問いなどではなく、単に投影された文言の言語の羅列にすぎず、草が発した情報ではなく、あくまで自分よがりな意見。ではどうしたら、それらが澄み切って、草は内臓を通って、その意思を伝えることができるのだろうか。切り刻まれた断片をフィルムみたいに接続して、一つの映像として、物語として、すべてが愛を指し示すそれらのシーンだとして、それらが私たちの接触で、触れ合いで、口づけで、抱擁であったのだとしたら、私たちはそれらを見る観客ではなく、その場で起こる、起きているあらゆる出来事の関係者であり、傍観者でもあった。私たちは何も知らない、何も知ることはできない。それでいて同類なのだ。私たちは石ころと何ら変わりないし、あの湧き水だとか、踏みちぎられた草だとか、外套である。小屋でもあった。あの炎でもある。私たちは全てに私を見出す。窮屈なまでに全てが私で、大胆で解放的なまでに私はどこにもいない。

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 瞬間瞬間の動き。その強度と感覚に向かうみたいな。

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