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My Story 2:「人生最初の転機は10歳」

皆さま、こんにちは!(毎週火曜、土曜に更新予定、サボり時々・・)

カナダ・バンクーバーで子育て移住8年目、パラレルワーカーのクノコウジです。

マイストーリー前回の続きとなり、前回の世の中には偶然はなく全ては必然という、ちょっとスピや自己啓発的なフレーズをお伝えしましたが、今回はボクにとっての人生に何度かある転機についてお話ししたいと思います。

プロレスが大好きになって過ごした小学生だったボクでしたが、その当時の将来の夢はプロレスラーでした。そのために始めたレスリングという競技でしたが、それこそがボク自身をどんどんを未来へと導いてくれたのでした。

レスリングを始めて数か月後の小学5年生の秋頃にその機会は訪れます。その日は試合をしに生まれて初めて、神奈川県にある米軍・座間キャンプという場所に行くことになりました。その日がまさにボクにとっては人生の転機の瞬間の1日となり。ボク自身を海外をリアルな世界へと初めて結び付けてくれたのでした。

初めて訪れた米軍キャンプ、そこは通常は一般の日本人が訪れることはできない文字通り、正真正銘の日本の中のアメリカ領です。厳重なゲートをくぐり抜けて会場であるハイスクールの体育館に向かいます。そのキャンプ内の風景は完全にアメリカだったので、子どもながらすごく感動したのを今でも覚えています。

当時、日本国内では見たことないコーラの缶もアメリカンサイズ、高校生の選手たちは、それこそ金髪でカッコよくて、本当にそのすべてが映画の中でしか見たことのない世界が目の前に広がっていました。

その眼に映る全てのものが強烈なインパクトとなり、わずか1日ながら、それこそがまさにボクの海外を結び付けた原体験です。そして、その時にボク自身は、「将来は絶対に海外に住むんだ!」と決めた、まさに人生の転機の瞬間でした。

さらに面白いことに、ボク自身の人生を変えるような出来事にその日に導かれていくのでした。それは、そのレスリング会場で出会ったアメリカ人の高校生たちが来ていたホラー映画のような怖いTシャツでした。

まさにボクを世界に導いた次なる出会いである、ヘヴィメタルという音楽のジャンルでした。興味深くジロジロと彼らの着ていたその気味悪いバンドTシャツを見ていたので、小学生のボクに対して、その高校生のお兄さんたちは、その場でそのバンドの音をカセットテープで聴かせてくれました。その瞬間に「何かわからないけれどカッコいい!」身体にまさに稲妻が走るような衝撃を受けました。

ヘヴィメタルというジャンルは一般的には誰もが好きでポピュラーなものではないですが、アメリカやヨーロッパをはじめ、広くは南米やら含めて、ボクにとってはまさに世界中を繋げてくれたパスポートのようなものでした。

そのままボクは音楽の世界へと10歳から一気にのめり込んでいきます。その同時期には前回でも書いたように、両親が離婚するというちょっと当時は苦い経験もた経験することになります。

なので、本当にその時に「プロレスと音楽」という2つに出会ってなかったら、小学生のボクの心は壊れていたかも知れません。なので、今もって振り返れば、ボクにとってはその10歳の時の経験や出会いこそが人生のターニングポイントであったのです。

その後の人生で海外に住むことや、音楽の仕事を20年に渡り携わるという道筋に進んでいくことになるのです。世の中の有名な自己啓発本には常にワクワクすることをやりなさいというメッセージが載っています。

今、人生が上手くいっていないと感じている人には、そんなワクワクって何だよと思う人もいるかも知れません、でも、ボク自身は約50年生きてきて、その10歳を皮切りに、そのワクワクした気持ちに行くことだけは実は忠実に守ってきました。

よく年齢を言い訳にする人もいますが何歳であってもまったく遅くはありません。ボクは50代、60代になっても今まで以上に、さらに自分がワクワクする、または笑顔になるものだけを選択しながら、これからの人生も突き進んでいこうと思っていますから!

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