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My Story 1:「人生に偶然はなく全ては必然」

皆さま、こんにちは!(毎週火曜、土曜に更新予定、サボり時々・・)

カナダ・バンクーバーで子育て移住8年目、パラレルワーカーのクノコウジです。

今年に入ってから、このブログは同世代はもちろんですが、将来の若い世代に向けて書き始めました。実際にボクがどんな人生の経験を送ってきて、どんな考え方や人生観をもって今に至っているかもお話しした方が、より皆さんにとっても今の自分自身と比較が出来るかなと思います。

ボクは40代の人生中休みを実践してきて、たまたま人生で1回しかない子育ての期間を海外ですると決めて、カナダへの移住を選択しました。でも、このような自分の中休み期間に何をするか、どこで過ごすかなどなどは、通常の夏休みと一緒で人それぞれで違うでしょう。

ボクのように海外に行って住むことに憧れる人もいるでしょう、他にも日本の田舎で古民家を借りて、夫婦で自給自足生活をやってみたいという人もいるでしょう。

他にも離島でのんびり海で夕日を眺めながらビールを飲める生活をやってみたい、またはノンビリする中休みではなく、仕事として起業する、お店をつくりたいというチャレンジ体験コースで遊びたい人もいっぱいいるでしょう。

このように誰かに縛られのでなく、本当に自由で自分が選択して後悔ない人生を作っていくことこそが、「40代人生中休み!」ということなのです。

ということで、ボク自身のストーリーを何回かに分けて書いていきたいと思います。皆さんにとって、何かしらの人生のヒントになってくれたら嬉しく思いますので、しばしお付き合いください。

40代はカナダ移住にたどり着きましたが、東京で生まれたボクと海外という世界を結びつけてくれたもの・・・それは小学生の時に好きになったプロレス、音楽、映画など、いわゆる遊びや趣味の世界でした。

今から振り返れば、すべては自分が小学生の時にハマった趣味のワクワクこそが、まさにボクに世界や海外という扉を開いてくれて、未来の人生を大きく変える道へと導いてくれたのでした。

だから、今これを読んでくれている皆さんにお伝えたいこと、それは絶対に自分の感情がワクワクする直観を信じて、それを選択する人生を歩んで欲しいということです。これは年齢は関係ないと思います。

ボク自身、小学生の時に両親が離婚したので客観的には幼少期の家庭環境は決して順風満帆とは言いがたかったと思います。でも、その結果として自分の中で自由を追い求めていくことになりました。小学生の途中からは両親も、個々でいっぱいいっぱいだったのか、何でも自分の好きなことをやらせてくれた環境という点においては本当に恵まれていたかなと思います。なので、そんな意味では自分に与えられた人生をどのようにデザインしていくかは、その時に培った手法かも知れません。

両親はボクが10歳、小学校5年の時に離婚しました。ボクにとって、この10歳という年齢はまさに人生の最初のターニングポイントだった気がします。今でこそ、日本の家庭も3分の1が離婚すると言われていますし、実際にシングルマザーの家庭なども社会問題になっていたりします。でも、ボクの幼少期は、いろいろあってもまだ離婚まで至る家庭も少なかった気がします。

そんな物心ついた頃の離婚前のわが家でしたが、外から見れば、本人の意思とは別に幼稚園の時から渋谷の塾に通わされ、小学校はお受験させられるような環境で育ち、神奈川でも有名な付属私立校に行かされました。

きっと他人から見れば、それは恵まれた教育を受けれた環境だったかも知れませんが、皮肉なことに小学校の時点で既に落ちこぼれというコンプレックス経験もできました。中学は別の大学付属校へ転校しましたが、その30年という月日で、学校の偏差値ランキングも大きく変わり、そこに一喜一憂する日本の偏差値教育に否定的な立場になったのも無理ないかなと思います。

でも、そんなボクは中学からも親の離婚したこともあり、完全なる放任主義ライフを満喫することになりました。完全に自由に好きなことだけをやっていたので、結果的にそれが日本の教育メインストリームからも外れて、高校からはアメリカに留学という道を選択します。

実際に自分が親になってからの教育方針も、自分がやってきたようなお受験とは真逆の考えだったので、受験というものが存在しないカナダでのびのび子育てや、ゆとりすぎる教育に憧れて選択したのでした。

ここで話を戻しますと、ボクの両親はそんな子どもたちの教育方針をめぐってよくケンカをしていました。自らも親の立場になれば、子育てのことで揉めることは多々あると思います。きっと他にも理由はいろいろあったとは思いますが、やはり家の中で両親がよく激しいケンカをしているのは子どもの環境的にとっては良くありません。なので、実際に家の中では、少し孤独感を抱えるような時間を過ごしていたような気がします。

そんな小学生の時に狭苦しいと感じていた時、そこから抜けさせてくれるきっかけを作ってくれたのがプロレスでした。そんなボクの人生を変えたプロレスとの出会い、それは小学一年生の冬まで遡ります。たまたま知り合いのプロレス好きなおじさんに連れて行かれた後楽園ホール。その独特な空気の中ですっかりとその生々しさにハマってしまいました。それは、まるでリアルな仮面ライダーのような世界を見たような衝撃だった気がします。

プロレスの虜になって世界をつなげてくれたもの、それは毎月アメリカを中心に世界中の海外からやって来る外国人レスラーたちでした。そんな彼らのカッコよい姿に胸をときめかせながら、当時は一人でも後楽園ホールに観戦のために通い、彼らのサインをもらうために出待ちするようなオタクっぷりでした。

そんな、小学生のボクが最初に描いた、将来なりたい夢として選んだのがプロレスラーでした。それは自由な考えを持つ子どもにとって、好きなことを仕事にしたいというのは自然の流れでした。そして、その夢に少しでも近づくために、10歳の時に習い始めたのがレスリングというスポーツでした。

今でこそオリンピックなどで女子選手の活躍で少しポピュラーなりましたが、当時の日本ではやはり周りではなかなかやらないようなマイナースポーツでした。でも、プロレスラーになりたいために選んだ、このレスリングというスポーツこそが、その後のボクの人生の流れを大きく変えてくれることになるのは、その時には知る由もありませんでした・・・笑

よく人の人生に「偶然はない、すべては必然!」なんて言われますが、ボク自身も、振り返ればその言葉はまさにその通りだなと思います。
ということで、続きはまた次回にお届けします・・・

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