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【短編小説】  落ちる

「ありがとうございました」

満面の笑みを浮かべながら、店を離れていくお客様の背後で深く頭を下げる。店舗の中でリピートされる流行りの洋楽は、あまり好きではない。

少しだけ視線をあげて、袋を下げたお客様と、その後ろをついていく『ありがとう』を目で追う。子供が握る風船のようにふわふわとついていくそれは、順調に浮かび続けているように見えたが、急にぶるぶる震え始めると気を失ったように床へと落ちていった。

べちゃ。

勢いよく身が打ち付けられると同時に、不吉な音が鳴る。ぺしゃんこに潰れてびくともしないそれは、床に吐き捨てられたガムのようにも見えるし、脱ぎ散らかされた女性の下着のようにも見える。

ハイテンションな洋楽が、耳の中で嫌味ったらしくふくらみ続けている。内側からガンガンと頭蓋骨を叩かれるように、ぼんやりと意識が遠のいてゆく。

再度前方を確認したときには、既にお客様の姿はなかった。自分が吐き出した『ありがとう』の残骸だけが、賑わうショッピングモールの中心で、静かに倒れていた。


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何者かになることが昔から苦手だった僕は、唯一「隙間」に生息することだけは得意だった。どこにも属さない隙間にすっぽりと入り、誰かと喧嘩することもなく、かといって忘れられることもなく、都合のいい存在として扱われ続ける能力にすこぶる長けていた。

小学生のときは、みんながやりたがらない係や委員会にほぼ強制的に配役され、中学生のときは貧乏ゆすりが止まらない生徒会長(鬼女)の隣の席に座らされることで、いつのまにか教室全体の平和を守っていた。

彼女と放課後カラオケを楽しむために掃除当番の交代をお願いされるのが高校時代の僕だったし、失恋した女が寂しさを埋めるために近づいてきたのが大学生の僕だった。

いつだって僕は他人ありきの存在だった。他人の行動によって、自分の行動が決まった。態度が決まった。「ことば」が決まった。

僕はそんな自分のはっきりとしない生き方に、それほど不満を覚えていなかった。不満どころか、ちょっとした陶酔を感じていた。

目立つチャンスこそないが、友人にも女にも不便を感じることはなかった。特別なものは手に入らないが、必要最低限のものは当たり前のように供給された。僕はそれで満足だった。むしろ隙間は美味しい場所だとすら思っていた。


社会人になってからも、僕のその「隙間的生活」は続いた。続いたというよりも、ますます加速した。

タイプの女性を追いかけるよりも、天から涙と共に降ってくる女をすかさずキャッチすることに専念し、ボーリングもカラオケも本領を発揮するのではなく、あえて70%くらいの力に抑えておくことで毎度のように誘われるようになった。もちろん合コンに誘われる機会だって絶えなかった。

大学卒業と同時に就職したファッションブランドの現場でも、「隙間的生活」で身につけた先読み能力と気配りで、店舗の売り上げをうなぎのぼりにさせた。それがきっかけでマネージャー格の人間にも好かれるようになったが、個人の売り上げ額はあえて2位にセーブした。「エース」という肩書きを得ることよりも、2番目でうまくやっていく方法を僕は知っていた。

尊敬されることもなく、見捨てられることもなかった。満腹感に動けなくなることもなく、飢えてむしゃくしゃすることもなかった。

いつのまにか僕は、隙間で生きていくことに生きがいを感じるようになっていた。相手の凸に合わせて自分を凹ませることが、そしてそれが成功するときが、僕にとって一番嬉しい瞬間になっていった。



そんな中だったのだ。

「声」が落ち始めたのは。


店長にかける『おつかれさまです』も、後輩にかける『大丈夫』も、お客様の背中に向かって投げる『ありがとうございました』も、女性の耳元でつぶやく『好きだよ』も、その全てが、ぽとん、と床に落ちるようになったのだ。

ある時は空気の抜けた風船のように、ある時はくす玉のようにパカンと割れて。あと1センチで届くというときに、故障したエンジンのように激しい機械音と火花を飛び散らせながら、もがくように落ちていったときだってある。

そのたびに僕は、今までに感じたことのない不快感を覚えた。鼓動が震えあがるように大きくなってくるのを感じた。体中に悪寒が走った。


他人に合わせる生き方に不満など感じていなかった。むしろ、そんな自分の生き方を全肯定して生きてきた。なんなら世界で一番うまい生き方だとも思っていた。

けれど、自分の出した「声」が落ちていくのを目撃した日は、必ず食事がまずくなった。自分の生き方に少しだけ疑問を抱いた。鏡の前で大きく口を開けて、不具合はないかとわざわざ確かめたときもあった。


ぴたりと隙間にはめこまれた人生に、小さな亀裂が入ったような気分だった。目立つことにも、トップに躍り出ることにも興味のない僕は、その亀裂にだけは苦虫を噛んだような気持ちになった。

そして、ひりひり、ひりひり、と恐怖が募った。


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久々に喫煙室で煙草を吸った。午前の勤務でまた落ちていく『ありがとう』を目撃してしまった僕は、何かにのしかかられたように体が重く、思ってもないため息ばかりを吐いていた。

これが俗に言う「ストレス」なのかと思った。ストレスというものを、今までの僕は一瞬たりとも感じたことがなかった。煙草を吸うのも、上司との付き合いを円滑にするための手段だった。

ぽっかりと、まるで穴が空いてしまったかのような気分だった。煙草の煙はどんなにふかしてもつまらない。口から出た瞬間にすぐに消えてしまう。まるで、僕が出す「声」みたいに。

体がひりつく。噛むように、蝕んでいくように、不安と焦りと恐怖が、静かな虚無の中をぞくぞくとよじ登ってくる。いろんな声を掠めてきた、唇が熱くなる。


気づけば休憩時間終了の5分前で、僕は喫煙所を出ると急いで店舗に戻っていった。相変わらず体のだるさは抜け切れておらず、大したことはないと自分に言い聞かせながら騙し騙し歩いていくしかなかった。

バックヤードに入ると、同じタイミングで休憩をとっていたアルバイトの女の子が鏡の前でメイク直しをしていた。

「おつかれさまで〜す」

彼女のその言葉にいつも通り返事をしようとしたが、

「お……」

なぜか頭文字の部分で口の動きが止まってしまった。熱くなった唇が、まるでセメントで固められたかのようにびくとも動かなかったのだ。


べちゃ。


”落ちていく”残像とともに口から出てきたのは、声ではなく吐瀉物だった。昼食を食べなかったため、ほとんどが胃液だった。口の中がただれるほどの酸の味でいっぱいになった。

僕は真っ先にバイトの女の子を見た。女の子はマスカラがたっぷりと塗られたまつげを上下にぱっくりと開くと、すぐに表へと飛び出ていった。「店長」という声がうっすらと聞こえてきた。


ぐらぐらと揺れる。頭が、意識が、揺れる。


吐瀉物を見て、猛烈に悲しくなった。そして、自分には”こんなもの”しか吐き出せないのかと思うと、ぐつぐつと煮えたぎるような感情も沸き出てきた。朦朧とするままに、目の前の吐瀉物と今朝方見た『ありがとう』の残骸が徐々に重なってゆく。


見たくない。


全てを回収しようと、いつのまにか僕はその場にしゃがみこみ、吐瀉物に手を伸ばしていた。もう少しで触れるというところで後ろから店長に抑えられ、僕は急遽、仕事を早退することになった。


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『いいから病院に行け』

店長にかけられた言葉から、離れていくように帰路をたどった。診察してもらったところで何も変わらないことは分かっていた。これは体の不具合ではなく、心の問題だった。そう思うと、余計に顔を上げることができなかった。

駅は騒音で溢れていた。すれ違っていく人々の足音や通路脇で屯する女子高生たちの声など、その全てに嫌気がさしていた。

今までいろんなものに鈍感であった、そのツケが回ってきたのかもしれない。僕は今、従来の自分からは信じられないほどに敏感なセンサーを抱え、声に苛立っては、声に怯えていた。


ほとんど目をつむりながら歩いていたせいで、突然誰かの肩に勢いよくぶつかった。それは反対側から急ぎ足で歩いてきていた中年サラリーマンだった。

焦げた額に性の悪そうなシワがいくつも刻まれ、ワックスで固められた髪は駅構内の照明によってぎらぎらと反射していた。床を見ると、スマートフォンが落ちていた。

男はかなり腹を立てているようだった。むしゃくしゃした様子でスマートフォンを拾うと、僕の顔を見ながら凄まじい罵声を浴びせてきた。

男が何を言っているのかはよく聞き取れなかった。『乗り遅れた』とか『弁償しろ』とかいう声が時折聞こえてくるだけで、あとは膜に閉じ込められたかのようにこもってしまい、激怒する表情と、強烈なワックスの臭いと、飛んでくる唾液の飛沫だけが、無音の中で暴れまわっていた。まとわりついてくる蝿のようで、僕はこのときはっきりと「うざい」と思った。









気づけば口が勝手に動いていた。不安と恐怖を圧倒的な快楽が貫くように、切り裂くように、僕は声を発していた。

急に辺りが静かになった。それは僕の耳に張られた膜のせいなんかではなく、本当にひとりひとりが黙っていたからだった。周囲の視線が僕に集まっていた。どうやら、とても大きな声を出していたようだった。

目の前の男に目をやった瞬間、衝撃を受けた。男の腹部に一本のナイフが刺さっていた。それはどこからどう見ても、僕の「声」だった。どんなに届けようとしてもすぐに落ちてしまった無力な代物が、今度は鋭く尖って彼の腹を貫いていたのだった。

ぼとぼとと溢れ落ち、白いワイシャツを赤黒く染めていく血。男はただまっすぐに、ぴくりとも表情を動かすことなく僕のことを見ていた。

頭が真っ白になった。急に息が吸いづらくなり、「ヒィ」という情けない音が喉元から漏れた。

気づけば走っていた。意識ごとぐらぐらと揺れる中で、人をかき分けながら行くあてもなく走り続けていた。

走っていく僕をいろんな人が見た。そして何かをこそこそと話した。そのたびに僕は銃弾で肺を撃ち抜かれた。ナイフで脇腹を切り刻まれた。ありとあらゆる方向から、声が僕を攻撃してきた。

体の痛みを引きずりながら、とにかく人のいないところへ行こうと、僕は、逃げ続けた。


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落ち着いたのは汚い路地裏だった。居酒屋の裏側だったようで、生ゴミと油の臭いで鼻が曲がりそうだった。

手の震えが止まらなかった。刺してはいない。しかし、本当にこの手で人を刺してしまったかのような感触だった。体から滲み出てくる汗がやけに冷たかった。流れる血を思い出し、何度も嘔吐を繰り返したが、そのたびに出てくるのは粘り気のある胃液だけだった。

このまま死んでしまうのではないかと思った。具合が悪いわけではない。ただ、自分の心に殺されそうなのだ。

ぼんやりとする中で、急に頬をなぞりながら落ちていくものがあった。それは涙だった。自分を憐れむ、腐った涙だった。こんなものが自分の目から流れることを、僕は初めて知った。


死にたくない。


そう思うと、涙は決壊したダムのように溢れ出てきた。頬がぐっしょりと塗れ、水気の多い鼻水と混じった。口の中に入った涙は、どこか親しい味がした。古くからの友人に慰められているような、そんなぬくもりに安堵している自分がいた。

声を上げて泣いた。その声が、涙とともに激しく溢れた。僕が泣くと、涙が叫んだ。目や鼻や口から漏れる水が声を上げながら、顔や手のひらを濡らした。それは止まらなかった。僕はそれの止め方を、知らなかった。






































そうか。


ようやく気づいた自分がいた。


本当の声は、他人に合わせて”出す”ものではなく、自分の心から自然と”出る”ものなんだ。


濡れた手のひらに反射する光を追って、僕は頭上を見上げた。路地裏からのぞける細い夜空に、ぴたりとはまるように満月が浮かんでいた。

喉が枯れ、詰まり切った鼻を無理やりすすりながら、時折ぼやける視界で眺めたその月は。


その、丸くて、美しい、月は。





絶対に、落ちてこなかった。



(完)


ゆくえ

2019.10.18『ゆくえ』Koji



あきらとさん企画の#同じテーマで書こうで、『声』をテーマに書いた作品です。今回もたくさん集まる予感!


また、以前より拝見させて頂いていた嶋津亮太さん主催の#教養のエチュード賞にも応募させていただきました。だぶってしまっていますが、枠を超えて思い切り書くことができた小説だったので……ダメですかね……?


書くことを思い切り楽しませてくれるお二人の企画に心から感謝いたします。書くのはやっぱり楽しいのが一番。さまざまな『楽しい』の延長線上に輝く何かがあることを願って。

明日、『ゆくえ』の制作動画もアップするので、よければ観てもらえると嬉しいです。最後までお読み頂き、ありがとうございました。

Koji



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「文学 × アート」をモットーに書いたり描いたり作ったりするマルチアーティスト。手作りブックカバーのお店「心象風景」店主。小説・エッセイ / 抽象画 / お店ブログ / 有料連載「ゆめごと」 ショップはこちら https://koji-bookart.jimdosite.com/

コメント12件

コーイチさん

ありがとうございます!声ってただの「声」なのに、いろんな感じ方があるから面白いですよね。それをテーマに取り上げたあきらとさんも凄いなって個人的には思っています✨
私はコーイチさんからいつも忽然とした態度とか明るさとか優しさとか(とりあえず私にないもの全部)を学ばせてもらっています(笑)いつもコメントありがとうございます!!
Kojiさん、読んでいただいてありがとうございます。
勢い、大事ですね!
これからもKojiさんの描く世界を、絵でもことばでも見せてもらえるのを楽しみにしています(^^)
凄かった。
鳥肌が立ったよ。
はるさん

読んでくれてありがとうございます!そしてサポートまで!
伝えられてよかったです😊
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