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こぼれ落ちたもの

作家の西加奈子さんが好きだ。彼女の口から出てきた大阪弁は、全部飲み込んで、血肉にしてしまうくらい。

どうしても眠れない夜、私はいつも彼女が出演していたトーク番組やラジオなどをYouTubeで見たり聞いたりしながら心を落ち着かせている。


特におすすめなのは、2015年に放送された『さんまのまんま』にゲスト出演した時の西さん。

さんまさんを「お札の人」とか「お祭りの名称」とずっと思ってきた彼女は、本人を目の前にした途端テンションが爆発し、「さんまさんと話が合いそうだから」ということで葛飾北斎の画集を押し付けたり、さんまさんがぼたもちを食べる様子を見て「さんまさんが食べてる!」と物珍しそうに笑ったりして、どこまでもさんまさんを困惑させるのだ。


とにかく彼女はぶっとんでいる。感性の次元が明らかに違うのだ。

その何かのしがらみから一歩外に出た、ある意味宇宙人のような彼女の佇まいと朗らかさに、私はいつも安心し、そしていつのまにかぐっすりと眠りについているのだ。


朝になると、YouTubeの画面が開きっぱなしのスマホがいつも隣に横たわっている。充電は残り30パーセント。むくむくと起き上がって、洗面台で顔を洗う。化粧水だけをぺちぺちとつけて、髪を一つにまとめる。化粧はしない。

コーヒーを淹れ、眼鏡をかけ、そして、3ミリほど執筆を進める。そうしてようやく、今日が始まる気がする。



私が少し変わった物語や表現の仕方をしたくなるのは、おそらく、いや、絶対に西さんに憧れているからだ。たくさんの色を使って絵を描くのも、彼女のイラスト(画家としても活動しているのだ)の持つエネルギーと鮮やかさに完全に引っぱられているからだ。


いつか彼女に会えたら、と思ったことは、残念ながら一度もない。だから、熱狂的なファンにも関わらずサイン会にも赴かない。

本当に憧れを抱いている人というのは、画面越しでちょうどいいのだ。それこそ彼女がさんまさんに対して思っていた「お札の人」という感じに。


直接お目にかかることができたとしても、私はきっと帽子を深く被って人混みに紛れているだろう。そして彼女が大きな口を開けて笑う姿を、息をひそめて目に焼き付けているだろう。

西さんの熱狂的なファンである私は、彼女の名言をこれでもかというほどにかき集めているのだけど、そのうちの一つに下のようなものがある。

歴史を振り返った時、大きなシャベルですくった時に、そこからこぼれ落ちるものを書くのが小説なんじゃないかなと思ってます、私は。
(『第152回「芥川賞・直木賞」受賞者記者会見』より)


金屏風の前で全国から注目される中、こんなことを言えてしまう西さんをやっぱり私は尊敬する。


歴史を大きなシャベルですくった時にこぼれ落ちるもの、それが小説。


以前からいろんなトーク番組か何かでよく聞く言葉ではあったけれど、直木賞受賞者記者会見で改めて聞いたその言葉は私の胸を打った。いや、打ったどころではない。奪ってしまった。彼女の言葉に運命ごと持って行かれてしまったような感覚に、その時の私は身体中が痺れていた。


「こぼれ落ちるもの」を書こう。


気づけばそう決心していた。そこにしかない美しさを見つけようと、そしてそれを文章にする人になりたいと強く思った。



こぼれ落ちてくるものは、きっとシャベルですくわれる部分よりも圧倒的に多い。履歴書だけが全てではないように、一人一人の人間には公にしていない事情が多すぎる。


大学の4年間ずっとAちゃんと付き合っていたけれど、実はBちゃんと惰性でキスをしてしまったことがあるとか。公務員試験に向けて一途に勉強していたけれど、実は作家を目指していて、近所の猫に話しかけまくっていたとか。

自他共に認める親友に本当はこそばゆい恋愛感情を抱いていたとか。定時で上がってから自宅に帰る途中に降りた駅のホームで、いつもお月様を恨んでいたとか。


履歴書から弾かれた部分に、これだけの「自分」がいる。細くこぼれ落ちていくものの中に、これだけの「感情」がある。

自分や他人のこぼれ落ちてしまった砂を見て、だから、いつも私は「もったいない」と思ってしまう。手のひらで受け止めて、とりあえずポケットにしまっておきたくなってしまう。

それらは私にとって、人間らしい光を放つ宝石なのだ。一粒一粒がドラマなのだ。



あくまで私の書く小説はフィクションだ。実際に起きたことではない。けれど、こんなことがあったかもしれない、あの時あの場所であんなことが起きていたのかもしれないと想像することはとても楽しいし、何らかの意味があることだと思っている。


自分の心だけでなく誰かの心や秘密を想像する。そしてそれを文章にするということは、うまく言えないけれど、せめて似たような砂を落とした人たちにとっては優しい行為のように感じる。


万人受けする小説なんておそらくどこにもない。本屋大賞を受賞したって、芥川賞や直木賞を受賞したって、ノーベル文学賞を受賞したって、読めない人は読めないし、嫌いな人は嫌いだ。


だけど、様々な人が小説を書き、いろんなドラマや感情が表現されればされるほど、小説というジャンル自体が万人に受けるようになる可能性はなくもないように感じる。


小説を書くという行為自体は一人だけど、広い意味で捉えれば、これはきっと団体戦なのだ。違う感性が違う物語を書き、大きさや場所の異なる穴をそれぞれが埋めていくからこそ、「小説」という一つのジャンルは社会全体を包み込むことができる。


そうやって小説が、いつしか「みんな」にとって優しいものになればいいと思う。こうして誰もがネットで小説を投稿できるようになった今、それは難しいことではないようにも思う。


言葉中毒の私が抱く、ちっぽけな願い。

こぼれ落ちていく砂たちが、誰かの言葉によって報われる世の中であってほしい。



ちなみに西さんは、文学賞ではなく出版社への持ち込みで作家デビューを果たしている。彼女はそこらかしこに散らばっている名誉に一切目を向けることなく、「書きたい」という気持ちをまっすぐに出版社へと送りつけたのだ。


それからも彼女は精力的に書き続けている。休むことなくずっと。出産を経て母親になった今も、新たなテーマを見つけて、誰か一人に寄り添うのだとはりきりながら、ずっと、ずっと、ずっと。


そんな作家を知っていたら、私も書きますと手を上げるに決まっているじゃないか。名誉も何もすっかり忘れてしまうほど夢中になって書き続けるような、とんだ馬鹿になりたいのだ、私は。


砂がこぼれ落ちていく。


自分の砂も、誰かの砂も、私はきっと拾い続けて、想像して、文章にして、時に苦しみながらも、そして、最後には微笑みながら物語にしていくだろう。


ワードでも、noteでも、原稿用紙でも、チラシの裏でも、何でもいい。とにかく書きたい。そして、読んでもらいたい。伝えたいのだ。





こんなことを言っておきながら、現在の私は文学賞用の作品の執筆に専念している。

やっぱり名誉に拘っているじゃないかって?

拘りたいけれど、たぶんこの気持ちは違う。私が現在執筆している小説は、審査員を務める大好きな「彼」への感謝状であり、ラブレターなのだ。


命を救ってくれてありがとう。

少しはあなたみたいになれたかな。

読まれるところまで届いてほしい。あなたのたった一つの細胞に、私の一文字を封じ込めることができたら、それだけで報われるから。



2019.711『砂の雫』Koji




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コメント12件

さんまのまんまも見てしまいました。「輪廻転生の最後のおまつり」という言葉が頭を離れません。
ありのすさん

見てくださったんですね!嬉しいです!
あのやり取りは面白すぎて何度も見てしまいます。「さいごやぞ〜〜!!」ですよね(笑)
はじめまして。『一人一人の人間には公にしていない事情が多すぎる。』の一文がとくに素敵でした♪
natsukoさん

はじめまして。コメントありがとうございます☺️
誰にだって隠し事はあると思いまして。いや、たぶん出し切ろうと思っても自分の全てを表に出すことはできないんだと思います。自分でも忘れちゃうくらいですし(笑)

公にしていない部分こそ自分の体を地味に支えているような気がします。気に入って下さり嬉しいです!
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