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「とりあえず」を肯定する小さな儀式

こうしてnoteを書くのは、なんだか久しぶりのような気がします。ちょっぴり文字が浮ついていて、落ち着きがない。

けれどこうやってタイプする指を止めないのは、リハビリでもなんでもなく、「伝えたい」と思ったことが浮かんだからです。コンテンツ的にどうとか、マーケティングの一環とかではなく、ただ純粋に「伝えたい」という想いが、私の中にふわっと咲いたように感じたのです。

いろんなものが削ぎ落とされた、格好良くはないけれど、格好悪くもない、今の私にしか伝えられない気持ちでした。薄れないうちに残しておこうと思います。



私が今回書きたいのは、自分が作った「しおり」についてです。手作りブックカバーのお店「心象風景」の新商品としても販売しています。

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下のnoteに、ポストカードとまとめて商品のラインナップを掲載しているので、まだお読みになっていない方は、商品だけでも見て欲しいなと思います。「みんなのフォトギャラリー」にアップしている画像を使用した、ロゴ付きの手作りしおりです。


上のnoteに書いているように、本当は制作ストーリーを投稿するつもりでした。けれど、今の私が伝えたいのは商品開発の苦労でも、完成したときの喜びでもないように思います。

まず伝えたいのは、最近の私がようやく見つけた「しおりの使い方」です。


『ブックカバーは「世界」を守りたい』を読んで下さった方は既にご存知かと思いますが、私のブックカバーのコンセプトは「世界」を守ることです。

「世界」とは、人それぞれが「大事にしたい」と思っているもの全てを指します。私の場合は言葉なのですが、ほかにも価値観であったり愛であったり仕事であったり生活であったり、目に見える見えない関係なく、世の中は誰かの「大事なもの」で溢れています。

心象風景のブックカバーは、言わばそれらを無条件で守るひとつのサービスです。だから、別に小説を挟めなんて言わないし、むしろ何も挟まずに目の届く場所に置いておくだけでも構いません。その人がその人の「世界」を守れる一番の方法でブックカバーを使用して頂ければ、私もそれが本望なのです。


こんなことを言うのは不謹慎かもしれませんが、「捨てる」だってひとつの手段だと思います。

購入してすぐに捨てられてしまうのは流石に落ち込みますが(笑)、何かの決断をするとき、新しいスタートを切るとき、生まれ変わりたいと思ったとき、ブックカバーがその足枷になってしまうのであれば、迷わず手放してほしいと思います。

前述したように、ブックカバーはサービスです。それに囚われるようなことがあってはならないし、そもそも人の心は変化して当たり前のもの。歩みを阻むようなことは一切しないつもりです。

とにかく「世界」さえ守れていればいいのです。ブックカバーがその一助になれば、それでいいと思っています。



しかし、ここ数日で私はとある感覚を経験しました。それは「世界」が見つからないという感覚です。

蓄積し続けた精神的な疲労や、勝手に作り上げていた自分へのプレッシャー、ほかにも様々な要因が重なったことで引き起こしてしまった無気力でした。自分の中で何かがぽきりと折れた瞬間、今まではっきりと「好きだ」と思っていたものが、瞬く間にただの砂となりました。

ブックカバーがあればなんでも守れる。そう思っていた私にとって、これは本当に予想外の出来事でした。空っぽの自分をいくら包んでも救われることはなく、体調はみるみる悪化し、とうとう食事も入浴もできなくなってしまいました。

イベント前ということで、やるべきことは本当にたくさんありました。たくさんあるにも関わらず、いろいろとごまかしながら隠れるように塞ぎ込むことしかできない自分が醜くて、申し訳なくて、仕方がありませんでした。鬱状態が酷かった学生時代に戻ってしまったかもしれないと思ったほどでした。もう何も描けないと、この場を去る覚悟までしていました。


そんな中、唯一すがるように書いていたのが日記でした。

継続することがとことん苦手な私は、心が揺れたとき用の日記を1冊用意しています。何時間ごとのペースで更新されることもあれば、1ヶ月間ほったらかしのときもあります。とにかくどうしようもないときに頭の中を言語化していくような、精神安定剤みたいなものです。

とにかく今の混乱を整理したいと思い、浮かんだ考えや言葉を吐き出すように書き続けていました。同じ言葉を何度も繰り返し、ときには殴るように書き、それは読み返すのも嫌になるほどの稚拙な文章でした。私の情緒は、明らかに不安定でした。


いくら文章を綴っても何も解決されない中、ふと、私はあるものを挟むことを思いつきました。それが、先日自分で作り上げた心象風景のしおりだったのです。

日記にしおりなんて似合わないなと思いながら、ぐちゃぐちゃな紙面の上になんとなくそれを置き、日記を閉じました。すると不思議なことに散々込み上げていたものが、すぅ、と降りていく感覚がしたのです。


それからも私はまとまらない考えを日記の中に書き込み続けました。そしてやっぱりまとまらないまま、しおりを挟んでぱたんと閉じました。何日も何日もそれは続きました。そうしているうちに、少しずつ、本当に少しずつ、私の心は穏やかになっていきました。

解決したわけではありませんでした。けれど、なぜかしおりを挟むことで”一安心”している自分がいたことは確かです。それからまた数日が経ち、ようやく私はSOSを出すことができました。だから私は今、また自分の「世界」を取り戻して、この場所に立っているのです。


しおりほど小さなもので「世界」なんていう立派なものは守れません。

けれど、しおりほど小さいからこそ、自分の中途半端さを肯定することはできるような気がします。


あの時日記に挟み始めたしおりが、私のまとまりのない文章に「途中」という印を添え続けてくれたからこそ、私は書くことを諦めなかったように思うのです。

まだ「途中」なんだ。そんな意識が、呼吸をすることをやめさせなかったように思うのです。


ブックカバーが「世界」を守るものなのであれば、しおりは「とりあえず」を肯定するものなのかもしれない。


なんとなくではありますが、崖から登ってきた私は数日前よりちょっぴり高い場所からそんな風にしおりを見つめています。

考えてみれば、しおりは「途中」に挟むものですよね。物語の始まりや終わりにではなく、途中を見失わないために付けておく目印こそが、しおりの役割なんです。



しおりの意義について書き連ねてしまいましたが、だからといって私の使い方を押し付けるようなことはいたしません。いくら作家であったとしても。人の数だけ使い方があればいいと思っています。

でも、きっと私はこれから、完璧ではないことやまっすぐでないことへの恐怖を小さなしおりで埋めていくのでしょう。しおりを挟むという儀式を通して「とりあえず」を肯定し、迷わず点を打っていくのでしょう。

それがたとえ正解でなくとも。誰かに認められるようなものでなくとも。

私がそこに”いた”という証は、紆余曲折しながらも、結局はどこかに辿り着くのではないかと、今の私は思えているのです。



* 手作りブックカバー店「心象風景」はこちら *



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膨らむように生きてゆく🎈
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「文学 × アート」をモットーに書いたり描いたり作ったりするマルチアーティスト。手作りブックカバーのお店「心象風景」店主。商品はストア&ショップページからどうぞ https://koji-bookart.jimdosite.com/shop/

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