
文学とアート 〜第1回noハン会を終えて〜
「文学 × アート」というモットーを私は掲げている。プロフィールにも書いているため、なんとなく皆さんも分かってくれていることだと思う。
このモットーについて、実は随分と前からnoteにしたいと思っていた。なぜ「文学」と「アート」を掛け合わせるのか。掛け合わせて、一体どうしたいのか。
でも、この「noハン会」というイベントに携わることになり、数ヶ月前から準備を重ねているうちに、その「なぜ」と「どうしたい」の内容が笑ってしまうほど変わっていることに、帰りの高速バスの中で私は気づいてしまった。
自分でも驚いてしまった。
今まで「できていない」と自分を攻め続けていたことが、1つの確かのプロセスになっていたのだ。
今日はこの「文学 × アート」という自分のモットーについて、その変化について、noハン会での出来事を交えてお話したいと思う。
◉国語の授業が死ぬほど眠かった
確かイベントで何人かにもお話したような気もするけれど、私は大学生になるまで全く小説に興味がなかった。活字がただの「活字」に見えて仕方がなかった。その奥に見える空想上の世界の存在に、美しさに、そのときの私は全く気づいていなかったのだ。
早朝から体育館に赴き、何百本もシューテングをし、それが終わると授業を受け、空が真っ暗になるまでまたバスケットボールの練習をする日々。自宅に帰ったら、夕飯を食べ、課題をこなし、その後倒れるように眠ってしまっていた。
「本」というものに一切指先が触れなかった。触れたとしても、それは教科書くらいだった。図書館とも本屋とも無縁の生活を送っていた。
授業は基本眠かったけれど、一番眠かったのは国語の授業だった。順番に回されていく教科書テキストの丸読み。自分の番が来る直前まで、私は首をこくんこくんと揺らしていた。そのつまらない文字を見ただけで、教室の誰よりもおやすみモードに入ってしまうような人間だった。
これは嘘ではない。本当に私はそうだった。私は「文字」と「想像」をリンクづけすることができない人間だった。
けれどそれは、部活動内のいじめによって大いにひっくり返ることになる。精神を病むほどに傷ついた私は、小説が、文学がなければ、いつの間にか生きていけない人間になっていた。
小説を書いて生きていくなんて、ほぼ不可能だと思っていた。これは、私が以前書いたとてつもなく長いnoteにも綴ったことだ。
今の私は命と同じくらいに文学を愛しているけれど、かつての私のように「眠くなる人たち」もたくさんいるのだろうと分かっていた。
分かっていたけれど、それでも私は文学を軸にした活動をしたかった。
どうしても。どうしても。どうしても。
文学を通して、伝えたいことが確かにあったのだ。
だから私は、文学に色をつけようと思った。
子供に絵本を読んであげるように、文学をあまり知らない大人にだって色付きの物語を提供していく。そうすることによって、かつての自分が抱いていたおかたいイメージや文字の羅列というイメージを少しでも取っ払い、興味を持ってくれる人を増やせないかと思った。
だから私は「あいた口」という連載小説を初めてnoteに投稿するとき、思い切ってイラストを添えてみた。イラストを描き始めたのはブックカバーのデザインがきっかけだったけれど、それによって見つけた新たな自分の武器を、小説にも活かせないかと試してみたのだ。
その結果、少しずつではあるけれど、みんなが私のスタイルを讃えてくれた。少しずつ公開されていくイラストにドキドキすると。物語の完結後、公開されるイラストの全貌に圧倒されると。
やがてイラストは「娑婆で生きること」をきっかけにエッセイにも挿入していくようになった。私の紡ぐ文章には、そのほとんどに絵が添えられるようになったのだ。
私はここでようやく「文学 × アート」の世界観が自分の最高の武器になっていることに気づいた。
文学のかたいイメージを取っ払うためのものだったけれど、それだけではなく、文章とイラストを組み合わせることによって生まれる相乗効果のようなものの存在に、私は周囲の反応をもって気づくことができた。
卑怯だとも思う。それは文章だけで勝負をしていないから。
けれど、私がしたいのは勝負ではない。
感動を与えられるなら、誰かの心を少しでも動かすことができるなら、どんなスタイルでもいいと思った。私がここで発信できる文学を作ってしまおうと思った。
「文学 × アート」
このモットーにはそんな意味が込められている。
文学にあまり興味を持っていない方にも反応してもらえるような、はたまた文学好きの方にそれ以上の可能性を見つけてもらえるような、とにかく誰にでも楽しんでもらえる柔軟性を兼ね備えた創作物を、私は私の活動をもって作っていくことにしたのだ。
◉私の描いた絵が”対岸”で確かに笑っていた
「ブックカバーは「世界」を守りたい」というnoteを投稿してから、環境ががらりと変わった。1ヶ月でフォロワーが倍以上に増え、たくさんの方々とネット上でお話する機会が増えた。
それは自分にとってプラスでもあった反面、マイナスにはたらくものでもあった。誰かの文章を心を込めてゆっくりと読んでいきたいというのに、読めない。読む時間が、ない。
一人一人に対する愛情のようなものが薄れていく自分に嫌気がさしていた。「世界」を守ると唱っているハンドメイド作家として、失格だと思った。そうして自分の頬を引っ叩くような勢いで描いたのが「私は「世界」を守るんだ」というエッセイだった。
誰かを守りたいのであれば、まずは自分自身の執念を守れるようにならなければ、そう思った。
投稿後、本当は泣きそうなくらいに後悔していたのだけれど、自分のブックカバーを本物のお守りにするため、今考えてみればそれは必然的なものだったと思う。以来、私は肩の力を抜いて、noハン会の準備を進めることができた。
活動スタイルを我儘なほどに貫きたい自分を「かっこいいよ!」と言ってくださる存在がいたのは本当に励みで、その分、感謝でいっぱいだった。
上のようなことに悩み始める少し前の時期から、実は1つだけ新しい活動を私は始めていた。それは「みんなのフォトギャラリー」へのイラストの提供だった。
ブックカバーサイズに画用紙をカットする際、どうしても余ってしまう端くれを再利用するために始めたことだった。私の大好きなnoterの一人であるだいすーけさんも写真を提供されているということもあり、同じように(といっても枚数からして絶対に同じようにはできないのだけれど)ちょっとだけ自分の創作物を寄付をしてみたいという気持ちもあった。
とりあえず5枚描き、それをフォトギャラリーにあげて「名付け親になって下さい」というnoteを投稿したところ、予想以上にイラストを使って下さる方がいた。
特に使って下さったのは百瀬七海さんと岩代ゆいさん。私がアップしているイラストをもう全て使い切っているのではないのかと思うほど、この名付け親企画を心から楽しんで下さっていた。(まだ全部読み切れていないのが本当に申し訳ない……。イベントの残り作業が終わったら、私は必ず二人のもとへと駆けていくと決めている)
お二人が作られたショートストーリーは、スタイルは違うといえど、どちらも心打たれるものだった。しかも嬉しいことに、その物語の内容がイラストとリンクしているのだ。お二人の作品に限らず、その光景はもう心から感動するものだった。
コメント欄で「今回のイラストのこの部分をこのようなものに捉えた」と聞くことが楽しくて仕方がなかった。「そんな見方があったのか!」と、相手と自分の違いを心から楽しんでいた。
現在、私がアップしているイラストは全部で10枚。そのどれもが誰かのnoteで使用されている。
先月からほとんど自分のnoteを投稿できていなかった私は、自分のイラストが使用されたそれらのnoteによって半分助けられているような気持ちでいた。
投稿していないのに、投稿されている。
私の絵が、誰かの手によって使われ、note上で流れていく。美しい文章たちと共に。
まるで、対岸で笑っているみたいだった。
自分の手で使ってあげられない分、誰かが対岸で私の絵を輝かせてくれているような気がしていた。
私の絵はとても喜んでいた。楽しそうだった。笑っていた。
その様子に、私は心から感謝をしながら、体を半分預けたような気持ちでイベントの準備に専念していた。
今、思い返してみると、これも1つの「文学 × アート」なのだ。
私の文学ではない誰かの文学。文学でなくても、言葉。文字。それらと私のイラストが融合している。
なかなかnoteを投稿できない自分を情けなく思いながらも、いつの間にか私は自分のモットーを誰かの力を借りて達成していた。私が寄付したイラストが、誰かの言葉と結びついて、また新たな繋がりを作ってくれていた。
「文学 × アート」
自分の創作スタイルのためのモットーだったはずが、気づけば、誰かと自分を繋ぐためのものになっていた。
◉分かるけれど、分からなかった
noハン会当日が来るまでに、私はぶっちゃけLINEよりもTwitterのメッセージを読む機会の方が断然多かった。
おまゆさん、あゆみさんとサポートや経費など主に費用面のことについて話すグループ。
そこにはるさんと一伽さんを加えた、コンテンツや当日の持ち物、小冊子のプリントなどについてを共有するグループ。
神谷京介さん、おまゆさん、はるさんとの校正メンバーと共に小冊子に応募された作品や校正について共有するグループ。
常に誰かしらと連絡を取り合っていたような気がする。今まで親しくして下さっていたnoterさんたちとこのような形で連絡を取り合うなんて、活動を始めたばかりの私はまさか想像していなかっただろう。なにせ、全部ひとりでやろうと思っていたのだから。
しかもこれらの連絡を取り合う目的が、noterたちが集うイベントなのだ。つまり、私は会ってしまうのだ。
noteというシステムを通じた先にいる、大好きで大好きで、会いたくて会いたくて、本当にたまらなかった、みんなと。
連絡を取り合う日常は当たり前のことになっていたけれど、「これってすごいことだよな……」と、ときどき一歩引いてしみじみとしている自分がいた。
笑ってしまうときもあった。泣いてしまうときもあった。言葉にできないほどの大きな感情が、まるで火山の噴火のようにぶわぁ!と吹き出しては、すぐに日常に溶けて、私を「当たり前」の感覚に戻した。
奇跡。
この言葉がどうしても頭から拭えなかった。窓ガラスに付着した指紋のように、それはいつでもうっすらと残っていて、大きく膨らんで涙腺を崩壊させたり、小さく萎んで心を空っぽにしたりした。
今まで出会ったことのないふわふわとした感覚の中にいながらも、私はたくさんの連絡を取り合い、小冊子をまとめ、展示の準備をし、ブックカバーを作り、その他諸々の準備をこなしていった。
確実にその時は来る。そう分かっているのに、本当にその日が来るのかどうか、実はよく分かっていない自分もいた。
けれど、来ることを想定して、なんとか準備を進めた。来たら完璧にこなせるように、準備だけは、進めた。
◉ひた隠しにした馬鹿の連発
イベント当日、私は今までで一番ふわふわとした状態で起きた。起きたというのもおかしいほど、眠れてもいなかった。体を横にして、寝ているふりをする状態を続けていたら、いつの間にか朝が来ていたという感じだった。
心は凪の海のように静かで、ベッドから起き上がった私は、しばらく壁や天井を見続けていて、そうして10分くらいが経過した後にようやく立ち上がった。
顔を洗った後、明日はこれを着ていくと昨夜中に決めていた服に着替え、ターバンとイヤリングをつけた。
実はターバンをつけるのは本当に久しぶりだったのだ。気合いを入れたかったというのもあるけれど、本当に正直なことを述べると「ぽさ」を出したかった。
「ハンドメイド作家っぽさ」
私はやはり、どこまでも見栄っ張りだ。
コーヒーを飲んで、食パンをかじった後、スーツケースと、篭田雪江さんから頂いた山形土産、ブックカバーを入れた赤いバッグと、背中にはリュックを背負った。
車の荷台に全てをぶっ込み、自分の車のガソリンがほとんどないからという理由で、急遽妹の車を借りて最寄りのバス停まで向かった。(ごめん妹よ)
私の自宅は田舎の中のさらに田舎みたいなところにあるため、最寄りのバス停(高速バス専用)まで一時間弱程度かかる。その道中を音楽もかけずにただひたすらに走り抜けていった。
妹の車は、嫌になるほど運転手の独り言を聞いていただろう。
なぜか私は、はるさんと出会ったときの娘らしい反応の仕方や、いちとせしをりさんとご対面したときに出すちょっと知的な雰囲気や、よもぎさんとピロリさんと懇親会でうぇいうぇいと乾杯しあうテンションや、もしかしたらもしかしたらもしかしたら二次会でカラオケに行くかもしれないから、そのときのための発声練習などをしていた。(結果、どれも起きなかった)
日曜の高速バスはとても混んでいて、出発が10分遅れただけでもそわそわとした。落ち着かない気持ちを抱えながらも、ネットプリントの予約番号を13:30ぴったり公開することだけを考えていた。(このときばかりは心底予約投稿をしたいと思った)
東京駅に着き、スーツケースの上に赤いバッグをくくりつけて、リュックを背負い、ただひたすらに歩いた。四谷三丁目駅まで行くには調べたところ丸ノ内線がいい?らしく、私はひたすらそのホームへと歩みを進めた。
あまりの緊張に、実は新宿三丁目駅まで乗り過ごしてしまったことは、当日恥ずかしくて誰にも言えなかった。だいぶ早く家を出たはずなのに、私が待ち合わせ場所に着いたのは本当にぎりぎりの時間だった。(だから反対側の2番出口から出てきたんだよ……笑)
暑さというよりも、焦りと階段の上り下りで汗をかいていた。ホテルに戻ってから気づいたのだけれど、私のひざは両方ともあざだらけだった。
おそらく、階段を上がる際に持ち上げたスーツケースが思い切りひざにぶつかっていたのだと思う。このときばかりは丸ノ内線が地下鉄であることを心から呪った。
こんな馬鹿の連発みたいなことをやらかした後にようやくあゆみさん、はるさん、一伽さん、yuntaさんに出会ったものだから、当然娘みたいにきゃぴきゃぴ!とすることはできなかった。
「こじです」
そう一言だけ言った私は、どんな顔をしていたかは分からない。けれど、きっと汗まみれで疲れていたような表情を浮かべながらも、かなり緊張していたと思う。
いや、本当のところ分からない。「や〜〜〜ん!!!」と騒いでいたかもしれないし、礼儀正しく「はじめまして」と言っていたかもしれない。
とにかく覚えていない。そう、緊張のせいで。
おまゆさんとその夫さんが後から合流するということで、私たちは一足先にサイゼリアへと向かった。はるさんも一伽さんもあれだけ言葉を交わしていたというのに、なぜか話しかけられなかった。
重たいはずのスーツケースがそのときだけは軽かった。スーツケースの存在など忘れてしまうほどに、私は必死に頭の中で話のネタを作っては、勝手に消してを繰り返していた。つまり、一言も喋っていない。
サイゼリアの奥の方の席に座り、とにかくメニューの向きをあらゆる方向にまわしていたような気がする。おそらく私は隣に座るはるさんに「そわそわしますね」とか「緊張しますね」などと言って、完全に彼女を自分の緊張状態に巻き込もうとしていた。
それが移ってしまったのか、はるさんもかなり緊張している様子だった。(はるさん本当にごめーん!!!!!)
途中でおまゆさんと夫さんが来て、簡単に自己紹介をしてから席に座った。おまゆさんはやっぱり可愛くて、その隣に立つ夫さんは全くもって平和の象徴「鳩」なんかじゃなかった。とてもしっかりしていて、挨拶も話し方も、親しげながらもしゃきっとしている人だった。
そこからおまゆさんがコーヒーゼリーの上のアイスを揺らして「ぷるぷる〜」とやるところまで、私はやっぱり記憶が、ない。たらこパスタの味も、本当に覚えて、ない。(緊張のせい)
◉その瞬間、あなたが「あなた」になった
サイゼリアを出てしばらく歩いたところで、ようやく私の意識は自分の体に戻ってきた。(幽体離脱でもしていたのだろうか)
というのも、一伽さんとyuntaさんが手を繋いで歩いている光景が目の前に見えたからだ。一伽さんがお母様であるyuntaさんの手を軽く引いているような感じだった。
突然、一伽さんが以前投稿していた一重梅のご紹介noteに綴ってあったアクセサリーを作り始めたきっかけの話思い出して、それはそれはもうぐおおおおおと感動が込み上げてきて、その結ばれた親子の手に、絆に、このとき初めて私は、心から「一伽さんだ」と思った。
ずっと浮ついていた感覚があった。
SNSの向こう側にいる、顔の見えない方々とのやりとり。言葉を投げてくれる人は絶対に存在するはずなのに、どこか「天の声さん」みたいな感覚もあった。
どこからともなく、降ってくる言葉たち。
その正真正銘の相手をしっかり「見た」瞬間だった。
一伽さんだ。
一伽さんだ……。
いち、か、さん、だぁーーーー!!!!!
そこから私は緊張がほどけていったのだと思う。それからの記憶もしっかり残っている。
ちなみに、上のように相手を「見た」瞬間というのはお会いした人それぞれにある。
たとえて言うなら、はるさんは「Kojiさん何飲む〜?」とキッチンで私に飲み物を聞いてくれた瞬間。(「む〜?」が完全に母ちゃんの言葉だった)
いちとせしをりさんは、懇親会の目の前の席で、本当に小さな声でめちゃくちゃ大切な話をし始めた瞬間。
神谷京介さんは、白いシャツをまとった姿を見た瞬間。(おそらくもともとの神谷さんのイメージも白いシャツだったのだと思う)
moonさんも早かった。その笑顔を見た瞬間。(笑顔のイメージが完全に合致したのだと思う)
ぱんさくさんは可愛い目をぱっと開きながら、私の目を見て話をして下さった瞬間。
よもぎさんはプチ二次会終わりに「Kojiさんともっと話したかったな〜」と少しだけ上を向きながら切なげに呟いた瞬間。
ピロリさんはガストに入る前に少しだけ目が据わっていて、私が「酔ってるんですか?」と聞いたら、ちょびっと!というジェスチャーをした瞬間。
文豪りんごさんは、「早寝早起きを心がけている」と聞いた瞬間。(それまで私は、本当にこの方がりんごさんなのかと信じられない気持ちでいた)
そのほかにも、このnoハン会を通してイメージを知った、あるいは良い意味でイメージが変わった人もいた。
たとえば千羽はるさん。知的で静かな人なのかと思いきや、それを上回るほどに感動しいな人だった。(終始目がウルウルしていた)
あいかもさんは、とても可笑しそうに笑う人だった。おまゆさんもTwitterで言っていたけれど、私もあいかもさんの笑い声が、どこか心地よくて潔くて好きだった。
はりぃさんもとても声がよく通る人で、ムードメーカーのようなハツラツとした雰囲気をまとっていた。私の絵に関してもものすごくいろんな質問をしてくれて、答えるのがとても楽しかったのを覚えている。
しゅんたろさんは、とにかく話しやすい人だった。聞き上手と話し上手を兼ね備えている感じ。そして穏やか。この人のnoteをこれから絶対に読み続けてしまうだろうなと、ほとんど直感的に思っていた。
クマキヒロシさんは息子さんとコンビ組んでるの?とつっこみたくなるくらいに、息子さんとのやり取りがおもしろかった。そして、とても気さくで優しいパパだった。
その息子さんといえば超がつくほどのイケメンだった。何がイケメンって、私が新作ブックカバーのアンケートを取っていた「半熟」と「自由のしるし」を見た瞬間、「どっちもいいから」と言って両方にシールを貼ってくれたことだ。(あの瞬間、本気で君に恋をしたよお姉さん!!!!!)
あゆみさんは相変わらずリーダーシップを取っていて、そしてやっぱり本当に気が利く人だった。同じハンドメイド作家として、どこまでも憧れてしまう私のお姉さんだ。
おまゆさんとその夫さんも、他の方のTwitterやイベントレポなどを読んだところ、会場を訪れた人々に大きな安心感を与えていたのだと思う。(残念ながら私は別室にいたため、あまり2人の様子が見れなかった)
2人の素敵なところは、たまにふざけながらもどこまでも協力し合っているところだ。2人で1つ。誰よりもそんな言葉が似合うご夫婦だった。
(あゆみさんとおまゆさんにはイベントの打ち合わせですでに一度お会いしている。あゆみさんにはマルシェにお伺いしたこともあったので二度目)
ここまで話すと、大体イベントの雰囲気が分かってしまったのではないだろうかと思う。他の方も素敵なイベントレポを書いているため、具体的な内容に関してはちょっぴり省略させて頂く。
とりあえず、現段階で確認しているイベントレポだけ下に並べておいた。出店者、運営スタッフ、参加者それぞれから見た今回のnoハン会は同じようで違うのだと思う。
ぜひ確認してほしい。
誰かから見たひかりのいしむろさんや一重梅さんのアクセサリーを。私が店主を務める心象風景のブックカバーを、イラストを。
その人を、その心を。自分で自分に話しかけた、その言葉たちを。その先にある、まだ訪れていない未来を。
noハン会という初の試みが、ただのnoterたちの集まりではなかったことが、明らかに分かるはずだ。
※他にもイベントレポが見つかり次第追加していきます。(すごいたくさん!!!)
◉私が見つけた本当の「文学 × アート」
冒頭部分で、私は自分のモットーである「文学 × アート」にどのような意味があるのかを話してきた。そして、それがどのように変化してきたのかも話してきた。
ここからお話したいのは、この第1回noハン会を開催したことによって、またさらに変化した私の掲げる「文学 × アート」の意味だ。
繋がってたんだよ、いつの間にかみんな。
文学のかたいイメージを取っ払うことで、誰にでも読んでもらえるようにする。そこから始まった私の「文学 × アート」という意識は活動を通して徐々に変化していき、自分自身と誰かを繋ぐ手段となっていった。
今回の第1回noハン会を終えて思ったこと。
それは、もしかすると「文学 × アート」というモットーが、自分ではない誰かと誰かを繋ぐものになっていたのかもしれないということだ。
自意識過剰で、大袈裟な見解かもしれない。私だって「そんなことない」と自分で自分を攻めたくなるほどだ。
けれど、ほんの僅かでも思ってしまったのだから仕方がない。
望んでしまったのだ。これだけたくさんの繋がりを作ったイベントの心臓の一部に、ブックカバーがあったらいいなって。
イラストと文章があったらいいなって。
「文学 × アート」の世界観があったら、本当に本当にいいなって。
これだけのことを言ってしまうのは本当に恥ずかしいことだけれど、もしそうではなかったとしても、やってみたいと思ってしまったから仕方がない。
そう、私が見つけた新しい「文学 × アート」は、きっとこれから起こしていくものだ。
自分の「文学 × アート」な世界観で、誰かと誰かを繋げたい。ブックカバー、イラスト、文章、それらの融合体、誰かとのコラボ、何だっていい、これからあらゆるものを考えて、必要であれば誰かと協力して、もっともっと繋げたいのだ、人と人を。
誰かと誰かを繋げられるアーティストでいたいと、帰りの高速バスの中でふと思ってしまった。作品を評価されることも純粋に嬉しい。けれどそれ以上に、繋がりのきっかけになりたいという欲が、私の中に芽生えてしまった。
楽しんでほしいんだ、とにかく。
誰かと誰かを繋げすぎることはマイナスな影響をもたらすことも知っている。嫉妬の原因になったり、自信喪失の原因になったりすることもある。自分がそのドツボに何度もはまっているから、よく分かる。
だからこそ、誰もが関わりたい!協力したい!と能動的に手を伸ばしてくれるような機会やテーマを作っていきたい。それこそ、今回のnoハン会のようなもの。率先して携わりたいと願う先の物に、嫌なものはないのではないかと思う。
ハンドメイドは、真心や愛情を強くするだけでなく、携わる誰かの能動性をぐっと引き立ててくれるものなのだと、今回のイベントを通じて私は実感した。
次にイベントを開催する際にスタッフをやりたい、お手伝いをしたいと言ってくださる方々が本当にたくさんいた。
今までの私であれば「そんなにやらなくていいですよ〜!」と断っていたかもしれない。でも、今は違う。なぜなら、そのスタッフやお手伝いといった関わり方こそが、誰もが楽しむことのできる最高の方法だと気づいてしまったから。
これからもみんなで作り上げていこう。
私は人に頼るのが下手くそだ。今回のnoハン会の準備だって、それが顕著に表れていたのではないかと思う。何でもかんでも自分でやってしまう、それは私の悪い癖だ。本当に多くの方に心配させてしまったように思う。
でもこうして、みんなが私の中の「文学 × アート」を徐々に徐々に広げてくれたからこそ、そして、私自身に「誰かを繋げたい」と思わせてくれたからこそ、きっと私はいい意味で、これから自分の仕事を手放していくのだと思う。
みんなで作り上げたいから。
そして、誰もが自分のペースで関わることができる、どこまでも自由で楽しい輪を、作っていきたいと思ってしまったから。
どうかやらせてほしい。
というよりも、やっていきましょう、みんなで。
もうすでに、おまゆさんとあゆみさんとは、次回開催の話をしようと日程調整をしている。それ以外にも、noハン会を通じて出会った方々とゆっくりお話をするために再度お会いする予定を立てている。
第1回noハン会は、私たちの1歩目だ。
2歩、3歩と歩みを進めていくうちに、どんなものが見えてくるのだろうと、今から楽しみで仕方がない。それは私だけに限ったことではなく、みんながそうだと思う。誰もが「次」を楽しみにしているような気がする。
「文学 × アート」を背負って、私はきっとこれから、どこまでもとんでいってしまうのだと思う。ブックカバーとイラストをスーツケースに入れて、地下鉄でさまよいながらも、その目的地へと急ぐのだと思う。
一人ではない。現実で、ネット上で、心で、誰かと手を繋いでいるから。
"私たち"の物語は、まだまだ始まったばかりだ。
◉最後に
私に展示会の開催を提案して下さり、どこまでもチームを引っ張ってくれた原口あゆみさんに、心から感謝を申し上げます。一人でなんとかしようと思っている癖に結局一人では何もできていなかった私を、本当にすごい場所まで連れてきてくれました。
私だけでなく、今回のnoハン会を見てくださっていた誰もがあゆみさんについていきたいと強く思ったことでしょう。あゆみさんをこの手で支えたいと思ったことでしょう。
どうか自信を持ってください。あなたが成功していく光景が、私はすでに浮かんでいます。
そして、どこまでもサービス精神旺盛なおまゆさん。おまゆさんがいなかったら、こんなに温かいイベントにならなかったんじゃないかと私は思っています。
一人一人に対して何か与えられないかと本当にたくさん動き回ってくれました。誰かの中に芽生えるちょっとした笑顔に、曇りに、誰よりもはやく反応する人でした。
あなたがいたからこそ、ひかりのいしむろさんも、一重梅さんも、心象風景もそれぞれが輝くことができたのだと思います。そんな最高のサポーターの近くに、こんな私でもよければずっといさせて下さい。
そして、はるさん。はるさんの持つ安心感と優しさは、みんなのイベントレポで完全に証明されてしまっているのではないでしょうか。
まだまだ恥ずかしがり屋な娘ですが、どうかいつか、本当にハグをさせて下さい。今回のイベントの件のみならず、あの時あの瞬間に出会ってから、私の活動をずっとずっと支え続けてくれていたことに対して。
自身で創作を進めながらもみんなの創作活動を優しく見守ってくれる、そんなはるさんの大きな優しさは、強さは、これから生まれていくものに絶対に欠かせないでしょう。
はるさんは、みんなのお母さんです。
一伽さん、yuntaさん。お二人のご関係は本当に私の憧れでした。一重梅のアクセサリーを身につけるたびに、きっと私は思い出すでしょう。
お誘いしたのは私だけれど、感謝しなければならないのも私の方です。どうか今回限りだけでなく、無理のない範囲でこれからも携わって下さればと本気で思っています。
一伽さんが引いていく手を、yuntaさんが引かれていく手を、その手と手が生み出している美しいアクセサリーたちを、私はより多くの方々に見て頂きたいです。いや、見て頂くべきだと思っています。そのためならいくらでもサポートするつもりです。
今後とも同じminne作家として、ぜひともよろしくお願いいたします。
神谷京介さん。私を見つけてくれたときから今の今まで、本当に離れることなく活動を見てくれていましたよね。私だけでなく、誰かの作品を欠かさずに読み続けていくというその姿勢に助けられている方は、とても多いのではないかと思います。
そういう意味でも、様々な作品を集める小冊子企画で神谷さんにご協力頂けたことは、何よりも必要なことだったのかもしれません。誰もが認める強力なサポーターでした。
誰が書いた作品にも感動できるその読解力と心があるからこそ、神谷さんの小説も眩しいほどの光を放っているのです。
そして、当日ご参加頂いたあいかもさん、いちとせしをりさん、文豪りんごさん、ピロリさん、よもぎさん、moonさん、千羽はるさん、ぱんさくさん、クマキヒロシさん、はりぃさん、しゅんたろさん。参加しようと決めて下さっていた岩代ゆいさん。
そして、小冊子に作品をご提供して下さった皆さま。イベントの運営費のためにサポートを送って下さった皆さま。SNSでとても盛り上げて下さった皆さま。イベントをひっそりと見守って下さっていた皆さま。
本当に、本当に、ありがとうございました。心から素晴らしい時間を過ごすことができました。
またまた長くなってしまいましたね(笑)
字数はあえて言いません(笑)
最後までお付き合い頂きありがとうございました。これをもってイベントレポと、少し早いですが8月の振り返りとさせて頂きます。
こんな私でよければ、これからも見守って下さると幸いです。
2019.8.27 Koji
p.s.
イベント中にアンケートを取っていた新作ブックカバーのデザインですが……
今回買ったのは
「自由のしるし」でした!!!
(おめでとう!!!!!)
Twitterとイベント会場の投票を合わせて、21票 対 19票でした。かなりの接戦だった……。
投票して下さった皆さま、本当にありがとうございました。10月頭の販売に向けて、すぐに布を発注しようと思います。
こちらも素敵なブックカバーになりますように。皆さんのお守りになるよう、真心を込めてハンドメイドします。