カンバン23

《第10回SCCしずおかコピー大賞 独りごと反省会。》 vol.23

課題3:社会貢献したくなるコピー
 ・「ぜんいん」の中に、「ぜんい」はある。

しまった。一週間が、あっという間に過ぎていった。

先週はペースを掴みつつありましたが、また間が空いてしまいました。ただし、私の記事は、週に1回のペースの方が読者のペースに合っているようで、記事へのアクセスも安定してくる。この辺りが、悩ましいところでもありますが・・・。

『社会貢献したくなるコピー』の3回目にして、同じ名字の方のコピーです。しずおかコピー大賞の常連でもあり、協賛賞を安定して持っていく方。今回のコピーはどう味わえるのか、読み解いていきます。

画像1

この一行のコピーそのものが、ダブルミーニングになっている。

一つの意味は、『ぜんいん』は課題が示す全ての人々を指し、その人たちの中には他人を思う親切心が備わっている。だから、社会貢献しましょう! という誘いの意味。

※善意 goo辞書
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%96%84%E6%84%8F/

もう一つは、『ぜんいん』という単語には『ぜんい』という文字列が入っているという事実を伝えるコトバ遊びのユーモアだ。

ダブルミーニングのコピーは上手く機能しないとも言うが、読んだ限りその問題はなさそうだ。韻を踏んだ「コピーらしいコピー」になっていて、文字の並びに赤を入れる余地はない。ファイナリストに選ばれに相応しいテクニックは、さすがである。無駄のない完成度も感じる。

ただし、ごく個人的なこととして思うのは、この手の完成されたコトバ遊びのコピーは、世の中を動かす力があるのか? 無いのか? という本質的な悩みだ。それは、完成されているということが、人の気持ちにフックしない可能性を示唆するというジレンマだ。

フックとは引っかかり。尖っていたり、凹んでいたり・・・。どこか不恰好だから、整っていないから、本音だから心に引っかかってくるモノゴトの表れ。その例としてあげるなら、

vol.12のコピー、

vol.21のコピー、

などがあたるだろう。

こういった若さの中にある荒削りなコトバには、装わない本音を裸のままに放り投げてきたような生々しさや体温が感じられ、グイッと引き込んでくる強さを感じる。実に人間臭い。人は人を好きになる公式からも、強い結びつきをつくるコトバになるように思えるのだ。

それに比べると、完成したコトバのコピーは弱い。「うまい!」と膝を叩くことはあっても、その膝を叩いたことで満足し、次の機会まで忘れ去られてしまうような、型通りよくできた量産品のような、目の前を通り過ぎる存在のようにも感じてしまう。

あくまでも受け手の一人として感想を書くとすれば、この一行には、更に匂い立つ人間臭さも欲しかった。(いや、私が欲した、と言うべきか。)

コピーは自らの思いのみを具現化したアートではなく、広告の媒体において受け手を想いながら届けられるメッセージだ。心を鷲掴みにする、人間臭い強さも必要なのでは無いかと思います。このコピーが広告になるときは、きっとデザインがその人間臭い強さを担当し、心を鷲掴みにしていくと思いますが、いかがでしょうか・・・。

ファイナリストに止まったのは、この物足りなさからではないかと推測します。とはいえ、テクニックの完成度は非常に高い。このコピーは、テクニックだけが受賞の条件では無いことを、改めて検討させてくれるコピーとして、みなさんにも一度は分析してほしい作品と言えます。

※作品(コピー)の版権・著作権等の使用に関する権利は、静岡コピーライターズクラブに帰属します。
https://shizuokacc.com/award/

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