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人を助けない

「困っている人を助ける」これに意を唱える人はいないだろう。道徳的な話というのはそういうものだ。

では、これならどうか。親が困っている、友人も困っている、同僚も困っている、親戚も子供も困っている。はては別な国の人も困っている。誰が困っているかでは助ける人が決まらないかもしれない。

困りごとにも大小さまざまなものがある。それが決まれば誰を助けるかが決まるのか。そういうものでもないだろう。

誰かを助けることは助けない誰かを決めることだ。こんな判断を迫られる場面が増えている。こうした際に優先順位をつけるために、正義について学ぶ必要があると感じる。


僕はエドガーシャインの「人を助けるとはどういうことか」で「支援学」という考え方に触れて、本の中身はもう忘れたけれど、一つだけ意識していることがある。

それは、支援を必要としている人に手を差し伸べることだ。世の中には、支援を必要としているけど、声も出せないほど弱った人もいる。しかし、ビジネスではそういう状態の人はあまりいない。仮にいても専門家に任せればよい。支援を必要としているのであれば、声をかけてくる。声を掛けてすら来ない人は苦境にないか、苦境にあることを認識していないかだ。

今は難しい時代である。声をあげない人に声をかけたら迷惑がられることすらある。不要な支援はときに余計なお世話なのだ。

本の中身とは違うかもしれないが、このように明確に線引をすることにしてからマネジメントが楽になった。必要としているかわからない相手に手を差し伸べるほど暇ではない。

もちろん、周りにはこういうスタンスであることは周知する必要はあるが、マネジメントはこういうジレンマ状況であることが常である。

ちなみに、声を上げてきたからといってすべて助けていたらきりがないので、支援がいると分かったら次は内容に応じて支援の方法を変えたりする。それはまた別な話で書きたい。

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