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半農半アートフォーラム「農とアートの営み」講演原稿

2022年2月20日、初めて講演の機会を頂きました。

が、欲張りでしゃべりたいことがありすぎて、30分に収めるためにめちゃくちゃ早口で喋って、オンラインで視聴してくれた方には、多分すごいストレスをかけて半分も頭に入って来なかったと思うので原稿をアップします。

第2回半農半アートフォーラム「農とアートの営み」講演原稿

「はじめに」

こんにちは。

初めての講演ということで張り切っていますが、見ての通り、僕はパワポが使えません。ですのでしゃべり倒します。オンラインなんで圧も強めに行きます。

このフォーラムに参加するって時点で意識高い系の人が集まっていると思うので、僕のプロフィールは見てくれてますよね?はい!

ぼくの目標は、世界を平和にすることです。
言い換えると、世界中の人が飢えることなく食べられる世界にすることです。
その為に、半農で自給農をする人が増えたらいいな思います。
さらにその農が地球に負担をかけづらい自然農だと嬉しいです。
トライしてほしいです。

今日は参加者のほとんどが日本で生活する人だと思うので、日本に限ってお話しします。
一番は、皆が足るを知って、地産地消をすることだと思います。
というのは、まだ日本は力があり、ジャパニーズ¥も力があり、日本で暮らしているとどうしても海外や地球や未来から搾取してしまうからです。
極論ですが、お金をあまり稼がず、あまり使わない生活をしたらいいと思います。

ぼくは半農を始めてから、何をしたらいいのか迷うような時間はなくなり、生きることに思い悩むことも無くなりました。
俳優業が暇な時でも、不安に苛まれず、嬉々として自給農をしています。

これに参加している人にはいないと思いますが、車でジムに行って、ランニングマシンやサイクルマシンに乗るなんて、頭がバグっています。無駄なエネルギーを摂取して無為に消費するこんな贅沢が許されているなんて、なんて豊かな国なんだろうと思います。限りあるエネルギーは実りあることに使うべきです。
と、ストレートに言ってもなかなか聞いてもらえないので、アートの力を借りて人に伝わるように試みています。
こうやって馬鹿みたいに理想を語り世界平和とか口にできることがアーティスト、アートの強みだとも思っています。

前置きが長くなりましたが

「自己紹介」

山崎皓司、39歳、俳優です。
僕は半農半Xっていうよりは、百の性を持つ、百の屋号を持つ、百の仕事をするって意味での百姓を目指して、なんでもやろうとしています。
ってのはバイトも嫌いじゃないし、いろんなことでちょいちょい稼いで、自給できることは自給して、あんまりお金かけずに生きていけば良いんじゃないかなって思っています。今のところ。ぼくが今どんな生活を送っているのか。

2年半前に東京から静岡県掛川市に帰郷しました。
半アートということで、主な収入源は俳優で、舞台がメインです。あとは暇な時に友人の現場仕事を手伝ったり、親戚の宴会仕出し業を手伝ったりしています。
半農という点では、親戚や家の近所の人の耕作放棄地をタダで借りて、田んぼ、畑、果樹園など合わせて三反(3000㎡)くらいやっています。
自給用に米や野菜を作ったり、未来のために果樹を植えたり、養蜂をしたり、罠で狩猟をして、猪や鹿の肉を獲ったりしています。余った分はご近所さんや友人、お世話になった人に配っています。

里山の古民家に住んでいると思われがちですが、市街地に住んでいて、駅、畑、田んぼ、山まではそれぞれ2km、活動エリアの真ん中くらいに住んでいます。よくいく喫茶店のマスターに「お前みたいに好き勝手やってるやつはどうせ独り身で実家暮らしだろう」と言われ図星でしたが、昨年結婚し、奥さんと2人でアパートを借りて住んでいます。子供はいません。ちなみに奥さんは農とかじゃなく全然異なる趣向の人です。

こんなぼくがなぜ世界平和にこだわるのか、半農半アートになったのか。
僕が今やっていることは全部最近の流行りでやってみたいなあって思っている人は多いと思います。でもなかなか実際にはできないわってよく言われます。
だから、どんな経緯で行動に移せたのかっていう話をします。


「仕事の対価としてのお金」

今の奥さんと付き合いだしたのは、2011年3月で、俗にいう震災ラブです。
ある日、富士急ハイランドにデートに行きました。
アトラクションに乗れるフリーパスと各アトラクションにプラス千円で並ばずに乗れるファストパス的なものがあり、僕たちと同世代くらいのカップルがスイスイそれで行く中、僕は気持ちよく払えるほどの稼ぎがないのでただ並んでいました。結果つまらない喧嘩をしました。
その当時の僕は、俳優として脂が乗ってて大忙しでした。
でも千円も気持ちよく払えない自分の俳優としての仕事と、スイスイ行った彼の仕事の違いはなんなんだろう?俺の社会的な価値は如何程なんだろう?

人間の限界を超えた忙しさの飲食のアルバイト時給1100円、タバコ休憩もあってゆとりのある友人の現場仕事は時給2000円、芸能人と少し関わって後ろでチラッと踊るお菓子のテレビコマーシャルのギャラは半日で30万(まあ半分は事務所に行きました)、1ヶ月リハーサルをして10回公演する演劇のギャラ15万。
良くわからなくなりました。

「物の価値」

僕は長いことインコを飼っていました。
年に数個、卵を産んだのですが、大変そうでした。
ふと鶏の卵、安すぎるでしょと思って調べると、ひどい環境で産んでいる物だと知りました。
じゃあ、と幸せな鶏の卵を買おうとしたら、放牧されている鶏の卵は1個200円。僕には買えません。買えるけど、買いません。だからと言って食べませんともなりません。結局鶏の幸せを搾取して安い卵を食べています。
肉も安いものは100g100円以下、僕なら65kgで6万5000円、歩留まり30%なら骨や内臓抜いて正肉20kgで、2万円。
あと、他の都道府県で育てられパッケージングされ輸送され陳列された野菜の値段や、海外から輸入した物の値段が考えられないほど安いのも何かが犠牲になっていないはずがない。
こんな風に世界に後ろめたさを感じず、胸を張って気持ちよく生きたいと考えた時、お金を介すと良くわからなくなるので、どの程度の仕事をしたら、食べ物が手に入るのかを試して、物の本来の価値というか、自分と物の関係を捉え直したい、繋ぎ直したいと考えるようになりました。

ちなみに僕が搾取に敏感になったのは、俳優って「やる気の搾取」をされがちだと思うんですよね。チケットノルマとかノーギャラとかです。

「農」

まず僕の実家は農家ではなく、両親はサラリーマンです。

ここからも敬意の話は長く続くのですが、徹夜して考えたものの30分に収まらないのでざっくり割愛します。
もし興味持っていただけたら、僕のnoteに「東京で俳優をしていた僕が地元に帰った理由」という記事があるので読んでください。

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(ここから割愛部分)

高校生の時に父が他界し、長男の僕が家を建てるようにと実家の前に宅地を用意してくれていましたが、上京して、もう帰郷することはないという最悪感から、そこを畑にして申し訳程度に実家の自給用にしていました。
7年ほど前に母が大病を患い、僕が民間療法、健康食品、東洋医学、西洋医学と製薬会社の利権など、情報に惑わされる中、結局母が家で取れた野菜が一番でしょと信じていたので、どうせなら無農薬で本当に体にいいものを作ろうと、月一で帰っては種まきや世話をして、母に消費してもらうようになりました。
そんな頃、千葉の陶芸作家の友人宅で畑を始める準備を手伝ってほしい、これを参考にやりたいと渡された本で、初めて自然農法という考えを知りました。耕さず、草の生えた畑に衝撃を受け、僕の中のいい畑=草がなく耕された畑というイメージが覆されました。

あとある劇団の主宰が、むしゃくしゃすると人の庭に花の種を入れた泥団子を投げ込んでいたという話を耳にして、友人の映像作家から、その元祖が福岡正信さんということを教えてもらい、「わら一本の革命」などを読み感銘を受けました。福岡さん曰く「日本の農地はひとり一反分あって、一反で、家を建て野菜を作り米を作れば5、6人が食える。自然農でやれば何もいらなくて日曜百姓で少し働いてあとは好きなことをやれば良い」ってのに夢をみて試してみたくなりました。

で、最後に僕の住んでいた家は、東京と神奈川の境を流れる多摩川沿いにあるマンションで、二子玉川駅のそばでした。

それでこれが決め手なんですが、アルバイトに行くために満員電車に乗るのが辛いので、出勤前の気分転換に河川敷でトランペットの練習をしていました。ある日、石ころがゴロゴロしているところから、トマトみたいなやつが生えてて、毎日観察していたら、やっぱりトマトで、黄色い花が咲き、実りました。ミニトマトや中玉トマト、アイコみたいな細長いのとか、河川敷に約百メートルくらいにわたって実りました。鳥が運んできたのか、流されてきたのか、バーベキューの残りなのか、とにかくトマトがたくさん自生してたんですね。それを発見した時の興奮とワクワクがすごくて、俳優として故郷に錦は飾ってないけど、地元に帰って農を営むことは、逃げではなく素直な欲求なんだと実感して、帰ることを決めました。

その後福岡自然農園に2週間農業研修に行って、福岡さんの開発したハッピーヒルという米の種籾を分けてもらって、初めての米作りを福岡さんのやり方(米麦連続不耕起直播)で試すことにしました。

今はその4畝ほどの田んぼと、実家のそばに、一反のほどの自然農法とパーマカルチャーを試す食べられる公園がコンセプトの農園「YAMAZAKI PARADISE」、小さな山の上に、養蜂をする果樹園兼ピクニックスペースの「山崎山」、ソニーコンピュータサイエンスがマニュアルを公開している協生農法を試す一反ほどの「YAMAZAKI FRUITS PARADISE」を管理して、実験しています。すべての場所が地域の人の公園のように開かれた場所になって、共有財産になったらいいなと思っています。
まだパワポ使ったりする技術ないので気になる人は「Koji Return」を見てください。

「狩猟」

狩猟を始めたのは、幸せに暮らしている動物の肉を食べるには獲るしかなかったからです。
たまたま演劇仲間の親族に京都の猟師、千松慎也さんがいて「僕は猟師になった」という本に出会い、「スーパーに肉を買いに行く代わりに山に獲りに行く」という言葉に、これだ!と思い、罠猟の免許をとりました。
2021年で4期目となって、今は大体2週間で3〜4頭の鹿や猪をとって1年分の肉を凌いでいます。
良く人に売ってとか売ればと言われますが、殺すのは辛いし、捌くのもしんどいし、いくらか決められないし、お金をもらっても人の分まで請け負いたい仕事ではありません。僕と肉の関係は、殺すことと食べることのバランスで考えると、たまのご馳走くらいでちょうどいいです。

こうして山に入るようになってから、山の解像度が増しました。それまでは、緑あふれる山!くらいでしたが、暗くて倒木だらけの放置された人工林と雑木林が、道を挟んで、ぱっきり分かれていたりとかが見えてきました。
江戸時代は禿山ばかりだったのが、薪から化石燃料、木材が国産から外国産に変わり、植林をすることで、今の日本の山に緑があるんだなあって思ったりしました。

「養蜂」

僕は甘いものが本当に大好きなので、自給できるものと言ったらハチミツだよなと思って、2年前にホームセンターで巣箱を作って、山に置いたらニホンミツバチが入ってくれたので、始めました。
群れの強さや、蜜源の量によるらしいのですが、僕は1群から1年で20kgほど採れました。
かさばらず、人にもあげやすいし、皆喜んでくれるので、人付き合いが多い地方の生活ではお礼の品として重宝しています。
(ここまで割愛)

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まあ色々あって、自然農法に出会って、狩猟を始めて、養蜂も始めて、今は福岡正信さんのやり方を試す田んぼと、自然農法とパーマカルチャーを試す農園「YAMAZAKI PARADISE」、小さな山の上に、養蜂をする果樹園兼ピクニックスペースの「山崎山」、ソニーがマニュアルを公開している協生農法を試す「YAMAZAKI FRUITS PARADISE」を管理、実験して、忙しくも楽しい生活をしています。ちなみに狩猟では、くくり罠を使い、2週間で鹿や猪3、4頭を獲って1年分の肉を賄ってます。養蜂ではニホンミツバチ1群から1年でハチミツ20kgが取れて、かさばらなくて人にあげやすいし、皆喜んでくれるので、人付き合いが多い地方の生活ではお礼の品として重宝しています。おすすめです。見返りは求めていないけど、結構色々いただきます。
気になる人は僕のドキュメンタリー「Koji Return」をyoutubeで見てください。

「で、なぜ世界平和なのか」

このように農に僕が大きく傾いた理由の一つに今の奥さんに一度振られたことがあります。長年付き合って、「この先結婚がないなら付き合いを終わりにしたい」と言われて、「結婚をする気はある」と答え、「じゃあ男なら嘘でもいいからお前を食わすと言って」と言われたものの嘘がつけず、だからと言って俳優で食わせられるとも思えず、振られました。でもよりを戻すために「代わりに肉を獲る、米も野菜を作る、食べ物には困らせない、子供にお金は残せないかもしれないけど、その分教育する」と言ってそれが実際できるのか、試してきました。
帰郷して2年半、すぐコロナが流行って自由な時間がたくさんできたっていうこともありますが、思っていたよりいろんなことがうまく行きました。
ただ2年前豚コレラが大流行して、猪は激減し、去年は1頭、今年は獲れませんでした。人間界の新型コロナと同様に、猪の異常な生活環境が引き起こしたパンデミックだと思います。まあ農家さんは大喜びですが、僕は早々にしし肉が獲れなくなったなあと思いました。
一昨年は梅雨で1ヶ月雨が降り続き、お隣の農家さんがこんなの初めてだと言っていましたが、去年は雨が降らず、地球普通にやばいんじゃないかと思いました。
近所で養蜂をしていた人がやめたら、梅がならなくなったという話も聞きました。
こういう変化を身近に感じ出して、食糧危機になったら、今は猪や鹿が増え過ぎて有害駆除で9割以上がゴミとして処分されているけれど、一気にみんなが食べていなくなるだろうし、いま有り余っている耕作放棄地も一気になくなって、僕がタダで借りている場所も取り上げられるだろうし、日本は恵まれている方だからまだ大丈夫だけど環境問題が悪化したら作物を露地で自然環境に任せて育てることも難しくなるだろうし、僕の自給的生活もいつまで続くか危ういなあと感じています。
宮沢賢治の「世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」という言葉が真理だと感じています。
そもそもは自分と周りの人の幸せを守りたいってだけでしたが、まだいない自分の子供や孫の幸せな生活を実現したいと思ったら、世界が平和にならないともう無理です。
だから世界平和につながると信じられる活動を続けることで、マシな未来を想像できたら、子供を作りたいと思います。

「本題 農×アート」

僕は俳優で、人前に立つのが仕事です。
だから真っ当に恥ずかしくない生き方をしていたら、自信を持って人前に立てるでしょ、いい俳優になれるでしょっていう安易な考えです。(実際それだけじゃダメでしたが、)
僕がこのように、だいたいいつもキャップを被ってアディダスのセットアップジャージをきているのもそのためです。
芸能人ではないので、都市に紛れて、生活する姿を隠すことができます。
でもあえて「アディダスのジャージ着てキャップかぶってるやつ」と特定され生活の姿を晒すことで自分を律して恥ずかしくない生き方をしようというコンセプトです。まあ何を律するって、スーパーで搾取につながる安いお菓子を買わないように我慢するとかその程度のものですが。
ここで武田力さんが紹介していた言葉を引用させてもらいます。多分中山間地に暮らして農業を生業にしていた方の言葉だと思います。
「自身を律しながら、みんなで助け合いながら仕事をし、生活する姿を見せ合って生きてきた」
地元に帰ってきて思ったのは、田舎の人って結構後ろ姿を見ているというか、面識なくても一生懸命働いてると声を掛けてきて、色々良くしてくれるんですよね。
現代社会は分業、専業化が進んで、助け合う必要がなくなり、お金に頼れば、人に頼らないですむような生活スタイルになりました。東京に核家族で住んでいる幼馴染が「子供いると億あっても足りねー」と言っていて、僕に億は無理なので、地元で人に頼ることにしました。

僕は、アートは世界を変えるためにあると思います。
だからアーティストは表現するために世界を知る必要があると思います。
農は生きるために必要な食に直結しているので、現代社会のシステムや成り立ち、問題点を知る上でとても良いと思います。

帰郷することは決めたものの俳優として不安はありました。
俳優は体が資本なので、最終的にリモートではできません。
あとそもそも地元掛川で演劇をやりたいと思いませんでした。東京ではストレスや鬱屈から勝手に舞台に上がるテンションというか表現するギアに上がるし、都市部で生活をしている人には伝えたいことがある。僕の表現したいことは掛川で出てくるんだろうか。生活するだけで満たされるかもしれないという思いもありました。
都市に美術館など文化施設が多いのは、自然が少なく、その代わりという話を聞きました。地方の人は、海が、川が、山が、星が綺麗だ、、と知らず知らずに満たされている。そんな人に何か伝えたいことはあるだろうか?みたいなことです。

結局、僕が地元に帰ってきてから見出したアーティストの役割は、地域の変なおじさんになることでした。言い換えると旅人、ムーミンのスナフキン的な、外からフラットな目線、新しい価値観や情報、ものをもたらす人ってことです。
実際に僕も、周りにアーティストが多いので、いろんな視点を持つ人に恵まれ、色んな情報をシェアしてもらって、変なおじさんになれました。
僕の日常は、地域の多くの人にとっては非日常で、無職ですか?って聞かれたり、車庫に獣を持ち込んだり子供を畑に呼び込む変な人がいる、でもいつもアディダスのセットアップを着てるから社会性はありそう、ってお前じゃね?と友人から自分の噂を聞いたりしました。

というところで、実際、半アートでどんなことをしているのか紹介します。

まずみなさんが普通に想像する俳優としての仕事で、静岡県立の劇団、SPAC-静岡県舞台芸術センターでの活動があります。
演目としては、「ハムレット」とか、今は泉鏡花の「夜叉ヶ池」に出演中です。
作品ごとの契約で、一年中仕事があるわけではないですが、契約期間中のギャラは1ヶ月30万円ほど頂いており、半農半アート的にとても助かっています。県の劇団ということで、学校へのアウトリーチ、一般公演のない平日などは、県内の中高生向けの鑑賞事業もやっています。

「Koji Return」

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これはプロフィールのところにYouTubeのリンクが貼られていますが、僕の掛川での生活を記録したドキュメンタリーです。地元に帰ってきて、初めましての人が多い中、なかなか自分のことを説明するのが難しかったので、名刺がわりに作りました。あとコロナ禍で今後の生活様式をかんがえる際、モデルケースの一つになったらいいなというのもありました。

「鬼ごっこ」

2鬼ごっこ

これは掛川茶エンナーレという、掛川市主催のアートプロジェクトのいちプログラムとしてやりました。
児童文学「泣いた赤鬼」をモチーフにした作品です。村人と仲良くなりたい赤鬼がお茶やお菓子を用意して、家の前に看板を立てたものの怖がって誰も訪れないってところから始まるお話です。
僕の農園「YAMAZAKI PARADISE」にお客さんを呼んで、赤鬼に扮した僕が、自家製の紅茶や焼き芋を振る舞い、茶飲み話をして、野菜を自由に収穫してもらって、お土産に蜂蜜をあげて、募金を募るって作品です。
この会場「YAMAZAKI PARADISE」は僕が地元で初めて作った作品とも言えます。
というのは、帰郷して実家に住み出したのですが、通りには10世帯が暮らしており、僕のいない間に建った家が6軒ありました。それはここら辺の地主さんが「YAMAZAKI PARADISE」以外の農地を全て宅地として売り出したためです。実家に久しぶりに戻ったら知らない人がたくさん暮らしていて、なんかよくわからないし僕は金髪パンチパーマで怪しまれて、コミュニケーションも取れない。畑で焼き芋をやっていたら臭いと苦情が来る。これは関係性ができていないからだと思い、僕としては自給用に一反は広すぎるし、公園のような場所にして、ハンモックやベンチ、切り株の椅子を置いたり、畑のデザインを面白い感じにして、地域の人の共有財産にして、コミュニティスペースとして機能したらいいんじゃないか、そしたら苦情も来ないんじゃないかと考えました。あと地域の共有財産にしてしまえば、地主さんがアパートを建てるから返してとか言わないんじゃないかっていう下心もあります。ですが、全然農園に入ってくる人はいませんでした。
いっそ「僕は俳優です!演劇作品です!」とする事で地域の人との距離感がうまく取れるんじゃないかという事でこの「鬼ごっこ」をやりました。
耕さず肥料を持ち込まず草が生えている畑での実りや豊かさ、居心地の良さをモデルハウスのように体験してもらう事で、新しい価値観とか未来のこととか考えるきっかけになったらいいなあという思いもありました。
12日間、朝から夕方までオープンして約300人が訪れました。

4鬼ごっこ

あるおじいさんは、里芋は好きだけど、面倒だし安いから中国産の皮むきの冷凍里芋を食べてると言っていて、外国で皮むいて輸送してくれたやつの方が安いなんておかしいと思いませんか?搾取してますよ!って赤鬼として話をしたら、里芋を掘って持ち帰ってくれました。
あとずっとgooglemapで気になっていたけど、とか散歩道で気になっていたけど、っていう人たちが勇気を出して来てくれました。ご近所の親子がほぼ毎日手伝いにきてくれて、終わった後も関係は続いています。300人とお茶するのは疲れましたが、色んな人と対話ができてよかったです。
やってみてアーティストはきっかけ作りだけでいいんじゃないかと思いました。その場で出会った人で盛り上がったり、野菜を観察して収穫を楽しんでいたり、だいたいみんな1〜2時間くらい思い思いに時間を過ごしていました。

5鬼ごっこ

あとなぜ募金を募ったのかというと、ご近所さんはいいんですけど、正直見ず知らずの人に手間暇かけた野菜や蜂蜜を気持ちよくあげることはできなくて、僕は飢えをなくしたいんだけど、ここに訪れる人は食べ物に困っているわけじゃないし、、ってことでお金ならば海外に届くし、日本での豊かな暮らしのしわ寄せを受けている人に意識が向くかもって思ったからです。集まったお金は、アフガニスタンで自給的な農を営めるように灌漑事業をしている、中村哲さんのペシャワール会に寄付しました。

「OPEN AIR SPACE 原泉アートプロジェクト @旧茶工場」

こちらは掛川市の中山間地域でアーティストインレジデンスをしている原泉アートプロジェクトの企画で、旧茶工場にアーティストが滞在しその創作活動を24時間3ヶ月にわたってライブカメラでインターネット配信するという企画に参加しました。
結果としての作品だけではなく、過程も見てもらうことでアーティストのことを知って身近に感じてほしいというような趣旨だったと思います。
僕はここで、先ほど紹介した「鬼ごっこ」の創作、実験をしていました。

6オープンエアースペース

僕は、里山で暮らす人の知恵を知りたかったり、そこに流れている川が最高だったので毎年気兼ねなく遊びに行けるように地域の人と仲良くなっておきたいという邪な気持ちもありつつ、川への道の草刈りをしたり、お茶やお菓子を用意したり、映画を上映できるようにしたりして、看板を立てて、お茶しましょう!と旧茶工場で待っていました。が結局住民が来ることありませんでした。
途中知り合いが訪ねてきて、もてなす準備ばっかりして「泣いた赤鬼」みたいだね、と言われたことで、「アーティスト」は「見慣れない存在」であり地域の人にとっての「鬼」なのかもしれない、というコンセプトが生まれました。鬼の起源は漂流してきた外国人って説もあります。
そこからは、外部の色んな人を「青鬼」としてゲストに招いて、村人と仲良く暮らすには、世界を平和にするには、どうしたらいいかをお茶をしながら相談して、それを配信していました。

7オープンエアースペース


2週間経った最終日に、ある村人がビールを持って遊びにきてくれたので報われました。カメラに映らないところでゆっくり話ができました。
この地域は4年前から主催の方がアートプロジェクトを立ち上げて、地域おこしのためじゃなくアートありきで、制作環境としてこの地域を選んだということが第一義なのがポイントで、結果強度のある作品が生まれてうまくいっているんじゃないかなあと思います。
最初の頃は住民が物珍しくて頻繁に訪れてはアーティストと話をしたり野菜を持ってきたりという感じだったそうです。逆に制作に集中できないくらい来ていたみたいですが、何年か続けていくことでだんだんお互いの良い距離感ができてきて、今は興味を持って見守りつつ、秋に開催するフェスティバル期間とか、本当に必要な時に手伝ってくれたり見にきたりという感じだそうです。


「The Carnival」-獣害リサーチプロジェクト

8「The Carnival」-獣害リサーチプロジェクト

こちらは社会環境学部の教授、ゼミ生、地元の猟師、ダンサーと一緒に作りました。
最初に獣害に関するトークをして、鹿を罠で捕まえようと皆で街を歩く、展覧会とレクチャーを兼ねたツアーパフォーマンスでした。
自分の生活している市街地の環境を知ることから、里山に興味を広げられたらということでやりました。この教授が実際に環境保全のために何をしているのかを聞くと、子供と一緒に昆虫を捕まえて標本にするワークショップだそうで、ゴキブリを見つけた時にスリッパではなく図鑑をとる子供を増やすこと、まず興味を持たせること、と言っていたのが印象的でした。

「世界平和」ストレンジシード2021@駿府城公園

9世界平和

これは、静岡在住の外国人留学生と一緒に作った作品です。
ゴリラとその通訳という設定で、ジョンレノンの「imagine」を歌ったり、環境問題などに関しての演説をしたりしました。数十種類の野菜の種を入れた粘土団子を配って、各々持ち帰って色んなところに投げてもらい、僕が多摩川で自生のトマトを見つけたようなきっかけ作りが出来たらいいなと思ってやりました。コロナの影響で仕事がなくなっていた共演者のアルバイトって意味もありました。

今僕が紹介した作品は、全て何かしらの助成金や地方自治体のお金が投入されて成り立っている物です。参考までに、これらの作品で僕のギャラになったお金は合わせて62万円です。

「最後に」

今回、塩見さんの「半農半Xという生き方」を読んで、こんな先輩がいたのか!なんでこのフォーラムに関わるまで「半農半X」が僕に届いていなかったんだ!と思いました。
でもだからこそ僕がこういう活動をしているというのもあります。
最近トレンドの「農」な人は、エコで、ロハスで、SDGsで、麻か綿かアウトドアブランド着てて、化粧っけがなくて、セックスばっかしてそうな手ぬぐい持った人達、みたいなイメージを外から持たれてると思います。僕自身も農関係で老人の友達はたくさんできたけど、同世代の友達はあまり増えていません。っていうのはやっていることは素晴らしいと思うし、ちゃんと一人の人として話ができたら誤解は解けるんだけど何か集団になると胡散臭いイメージを抱いてしまい敬遠してしまうことが多いからです。
だからもう、自分でアンテナ張って「半農半X」とかを自然にキャッチする人はそれで良くって、頑張ってください応援してます!で良いんだけど、届かない人にどうアクセスするのかってのが、アートのできることだと思っています。でも下手すると今度は、まちおこし=アートみたいなイメージにも絡め取られちゃうからバランスは注意しないとと思います。
そこで僕はユーモアが大事だと思っています。言うことが、もっともらしいからこそ入り口としてユーモアを!みたいな。
ってこんな僕もずっと農なイメージのことをSNSでアップしてたら、最初は物珍しく感じていた人たちにも、1年で消費され飽きられスルーされがちで、どうしたものかと思っています。
とにかく地域に1アーティスト、1変なおじさんおばさん、1半農半Xの人ってくらい、どうしたって目にしてしまう、関係してしまうくらい裾野が増やせたらイメージも関係なくなると思います。だからざっくりしちゃいますが、いろんな人が、各々の方法で、アクセスできる人に発信していくことかなあと思っています。
で、ここに今参加している方は、もうわかっている人だと思うので、散々喋りましたが、言いたいことはないです。各々が各々の地域で少しはみ出して変なおじさんおばさんになって頑張ってください。

ちなみに僕のうちの隣は大きなスーパーで、なんでも揃っています。キャッチコピーは「ご予算半分、買い物2倍」です。
僕が軽トラに乗って、2km離れた田んぼや畑、山に、米や野菜、肉、蜂蜜をとりに行くよりも、徒歩でスーパーで買う方が、すでに出来上がっているシステムに乗っかった方が絶対省エネで、エコで、楽です。
スーパーに行くたびに物の安さにくらくらします、楽な方に流されそうにもなります。僕は本来菓子パンやマック、カップ焼きそばで満足できる人間です。
誰も見ていないだろうけど、アディダスのセットアップで自分を律して踏みとどまっています。まあ、この生地も新疆ウイグル自地区からの搾取かもしれませんが買ったからには擦り切れてなくなるまで着る心意気です。
こんな矛盾を抱えている僕が表現者であり、人に影響を与えられるかもしれないということだけが僕の希望です。人任せだけど、みんなよろしくお願いします!

僕は中山間地ではなく市街地に住んでいるので、とりあえず近くの人に、コロナと輸入の関係でマックのポテトが一時期無くなったけど、あれは日本崩壊のはじまりだからね!今のうちにみんな少しずつ準備しておかないとやばいよ!どうするの?!ってことを伝えていこうと思います。

最後に、あるアーティストが、カラオケで僕に歌ってくれた曲を皆さんにも送りたいです。
ここで流すとアーカイブでの配信が出来なくなるんでアカペラで歌います。聞いてください。
スーパーバタードッグで、「さよならカラー」
世界平和に向けて険しい道を進む皆さんに捧げます。


そこから旅立つこと は
とても力がいるよ
波風たてられること
きらう人 ばかで

でも君はそれでいいの ?
楽がしたかっただけなの?
僕を だましてもいいけど
自分はもうだまさないで

サヨナラからはじまることが
たくさんあるんだよ
本当のことが見えてるなら
その思いを僕に見せて

自分をつらぬくことは
とても勇気がいるよ
だれも一人ボッチには
なりたくはないから

でも君はそれでいいの?
夢の続きはどうしたの?
僕を忘れてもいいけど
自分はもうはなさないで

サヨナラからはじまることが
たくさんあるんだよ
本当のことが見えてるなら
その思いを捨てないで

サヨナラからはじまることが
たくさんあるんだよ
本当のことは見えてるんだろ
その思いよ消えないで
その思いを僕に見せて


ご清聴ありがとうございました。



※影響を受けた本

ピダハン ダニエル・L・エヴェレット、 屋代 通子

ぼくは猟師になった 千松信也

サピエンス全史 ユヴァル・ノア・ハラリ

アーバンサバイバル入門 服部文祥

人新世の「資本論」齊藤幸平

わら一本の革命 福岡正信

無〈1〉神の革命 福岡正信

人新世の「資本論」齊藤幸平

銀河鉄道の夜 宮澤賢治

コジコジ さくらももこ


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