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はあちゅうの結婚によせて。 15年間巻き込まれ続けて。

大学1年生のときに出会って以来なので、15年来の友人になるブロガー・作家「はあちゅう(伊藤春香)」が結婚したので思い出を振り返ってみたいと思う。

お相手の方や事実婚だったりと何かと話題になっていますが、1友人として、記事を書いてみます。

結婚式の仮想スピーチばりに。

[目次]
1.出会い
2.女子大生期
3.アドガール期
4.ベンチャー期
5.作家期
6.まとめ

1.出会い(はあちゅう 18歳,2004)

はあちゅうを初めて認識したのは、慶應ジャーナル(慶應大学内のサークルなどを紹介するサイト)にでていた「学生珍食隊」という記事でした

同期にファンキーな子がいるだなと、彼女が始めたブログにたどり着きました。

2004年頃は学生ブログブームが起こっており、私も色々なネタや面白いブログを紹介するキュレーション的なブログをやっていて、当時ある学生ブログランキングサイトで最高順位2位とかになっていました。

不動1位は学生ブログ女王さきっちょの就活日記(のちに、はあちゅうとコラボブログをやり話題に)。

そこで、面白いブログあるよと、紹介させてもらったのを覚えています。

↓過去ログをみたらこんなこと書いていた。

その後、共通の友人を通して横浜駅スタバで話したのが生はあちゅうとの出会いです。顔出しが一般的でない時代に、顔出ししてガンガン攻めた記事書いているのに、意外におとなしい子だなぁと思ったのが第一印象でした。

はあちゅうとの出会いもネットだったわけです。

出会い後、少しネットに詳しかったこともあり、ブログの設定などを頼まれてやっていました。

その後、年末にかけて、はあちゅうは女子大生がクリスマスまでに彼氏をつくるというブログ「さきっちょ&はあちゅうの悪あが記」を開始してライブドアブログで不動の1位だったホリエモンのブログを超えるアクセスが集まるという快挙を達成しました。

この顛末は書籍化されていて、現在はKindle無料で読めるようなのでご興味あれば。

さきっちょ&はあちゅうの悪あが記
https://www.amazon.co.jp/dp/B00P7RF3NK

2.女子大生期(はあちゅう 18-21歳,2004-2009)

この頃のはあちゅうは何にでもガムシャラに向かっていくモードだったように思えます。

ブログが話題になったこともあり、色々な機会が増えとにかく活動していました。その中で、SIFEという世界中で行われてるビジネスコンテスト(日本開催は初)の慶應大学チームの出場がありました。

私もネット詳しそうっていう軽いノリでヘルプ要員として、誘われて参加しました。

SIFEはビジネスアイディアではなく、アイディアの実行をプレゼンして順位を決めるものだったので、2005年5月末のチーム結成、約1ヶ月で企画、実行、7月頭のプレゼンと、不眠不休での作業だったことを覚えています。

SIFE自体の説明はこんな感じ。

SIFEは、アメリカ合衆国ミズーリ州に本部を置くNPO。主に、大学生が企画・実施する社会貢献事業に対する支援を行うことにより、優れたリーダーを養成することを目指している。現在、世界47ヵ国、1800以上の大学が参加している。(wikipedia)

企画した内容は、はとバス協力の元、集客に困る旅館とブロガーをマッチングして、PR案を一緒に考えるというツアー
今思うと、最近よくあるインフルエンサーPR企画の走りのようなものでした。

学生が突貫でバスツアーを企画して実施したため、色々と不手際も多く、トラブルが多く発生してしまいました。

トラブルに対しては、SIFE慶應としての対応しなければいけないものが、ネットで目立っていたこともあり、はあちゅうが個人的に謝罪しろというクレームもあり矢面に立たせる形になってしまって申し訳なかったなと思っております。

そんな、突貫準備やトラブルはありましたが、コンテストでは健闘して日本大会で2位になりました。当日のプレゼンは優勝できそうな空気だったので、残念すぎてメンバー全員で悔し涙を流しました。

余談ですが、このとき講師として参加していただいたのが、水野敬也さん(のちに書籍「夢をかなえるゾウ」などのヒットを生む方)だったりしました。

その後、はあちゅうは留学したり、世界一周したりして、また何冊か本を出したりしてました。

3.アドガール期(はあちゅう 22-25歳,2009年-2011年)

はあちゅうが電通に勤務している間は、色々な会社外の活動で一緒になることが多かったです。

この頃のはあちゅうは自分が学びたい内容に貪欲に人を巻き込みモードだったように思えます。例えば、IT知識がほしい、広告賞に応募したいなど自分のやりたいことをベースに人を巻き込んでいました。

振り返ると全部巻き込まれる側でしたが、その結果、多くの友人などに知り合えたことはとても感謝しています。

・一緒にからんだ会社外活動
2009年〜 デジタル・フロンティアML

現在スカイランドベンチャーを運営する木下くん (最近は、 #起業しろ と連呼することで有名 ) が中心になって立ち上げたメーリングリストで、はあちゅうに招待されて入りました。

たしか、木下くんが大和証券の先輩に「若手だからウェブ詳しいだろ、その領域やれ」とか言われたけど、ぜんぜん詳しくないので興味ある同世代集めて勉強していこうみたいなノリで始まったと記憶しています。

最終的に60人近い同世代が参加して、ゆるいつながりが生まれました。

メンバー一覧をみつけて掘り返してみましたが、当時は大企業所属が多かったですが、現在はベンチャー界隈で活躍されてる方が結構いたんだなと再確認。
ANRI のアンリさん、バンドルカード八巻さん、voyagin林さん、Relax篠塚さん等

ココで出会ったAppLovin坂本さん、サイゼン法律事務所小池さんは、現在弊社のアドバイザーを勤めてくれています。

2010年 帽子部

渋谷にあった帽子ショップFAMES(社長の角野さんは、はあちゅうの出版本の元担当編集者)さんと新しい商品企画をするコミュニティ型商品開発の活動もやっていました。

小売の研究ということもあり、現在ファミリーマート社長をされている澤田さん(当時はREVAMP社長)にユニクロフリースを当てた時の講義等をしてもらったりした、経験はとても貴重でした。

[はあちゅうブログ] REVAMPの澤田さんの講義。

このときに出会いで、REVAMPさん(創業者 澤田さん)とは現在も仕事をさせて頂くこともありますし、角野さんが堀江さん(ホリエモン)とかと一緒に立ち上げに関わったマンガHONZでレビューを書かせて頂きました。


2011年〜 マヨ部
はあちゅうがコピーライターとなったこともあり、デジタル広告コンテストの受賞等を目指すために結成したチームで、何個か応募や受賞しました。
リクルートがやっていた1click Award等では優秀賞とらせてもらいました。

[はあちゅうブログ] 1-click Awardで優秀賞を頂きました。

今でもタイミングでご飯を食べる仲いいチームです。


4.ベンチャー期(はあちゅう 26-28歳 ,2012年-2014年)

ベンチャーに転職して、より自由に動けることになり、このころはコラボモードだったように思います。
オンラインサロンを村上萌さんと共同で始めたり、私と肉会をやったりと。

電通退職とトレンダーズへ
ちょうど、私も勤めていたコンサル会社アクセンチュアをやめて起業する時期だったこともあり、経沢さんからスカウトされて、電通をやめるか悩んで電話かけて来たことがありました。

「俺に相談する時点で、トレンダーズ行きたいじゃない? 無意識に背中を押すような人に相談してるんだと思うよ」

という発言をした記憶があります。
そのすぐ次の日に退職届出したのには驚きましたが、決めたら行動するスピードの速さはさすがです。

このときのはあちゅうの思いはコラムになっていました。

[MORE] 転職を後押ししてくれた名言とは?【はあちゅうのお仕事名言博物館】
https://more.hpplus.jp/odekake/o-news/25646


肉会の創業と売却

2012-2013は、はあちゅう含めたメンバーで焼き肉会マッチングプラットフォーム 肉会を運営しました。今でいうマッチングアプリの走りのサービスで、メンバーのプライベート時間を使って、1年間でユーザー3万人を集め、法人化して私が社長をつとめた上で、DMMに売却しました。

実際にユーザーが喜んで使ってくれるサービスをつくる楽しさや、サービス売却の動きなどの一連を体験できたことは人生において貴重な財産になりました。

今でも、「あの頃、肉会にお世話になりました!」という話を聞くのはとても嬉しいです。


この頃の私のはあちゅう対するイメージとしてこんな文章が残っていたので、抜粋。

これは、AERA「現代の肖像」にはあちゅうがでたときに記者の方から、色々とインタビューされた私の話が編集されて文章になったものです。

ブログ立ち上げの助っ人で友人の山田浩司(28、バウンダリースパナー代表取締役)は、ネットをフル活用して自分を売り込むはあちゅう作戦は時代の先駆けだったという。
「上昇志向はコンプレックスの裏返しで、彼女の表現欲求。顔出しのタイミングもマーケティングセンスが光った。でも僕の中では、今も、いい意味で弱さがあるシャイで無口な文学少女」
(AERA 2014.5.26号 現代の肖像より)


5.ブロガー・作家期(はあちゅう 28歳-, 2014年-)


トレンダーズをやめた後はフリーランスとして色々と活躍するはあちゅうですが、この頃は個を強めていくモードだったように思えます。

ずっと、書きたいと言い続けていた小説も出版したりと、沢山のアウトプットを世の中に出しています。
小学生からずっと言い続けていた、「小説を書くという夢」を実現するその胆力は本当に尊敬します。

近年の活躍は沢山あるので、この辺は端折らしていただきます。

最近、新しいオンラインサロンをまた改めて開始して、個から組織モードへと進化していっているように思えます。

2014年にAERAで無口でシャイな文学少女など評しましたが、最近は、なんかだいぶ強くなってきたなーーっていうのが感想です(笑

6.まとめ

約15年に及ぶ、はあちゅうとの思い出を語ってみましたが、まとめてみると、私の人生の節目の経験は、巻き込まれて始まった経験が多い(笑

はあちゅうと仲良くさせてもらったお陰で、多くの機会や多くの友人を得ることができました。改めて感謝しています。

私は、彼女は最高の自分投資家だと思っていて、自分の時間やリソースを常にオールイン (ポーカーで全部のチップをかけること) し続けて、今の場所を手に入れていると思います。

今回結婚したのも、また最高になるための一歩だと思うのです。

あらためて、春香、結婚おめでとう!
これからも巻き込んでね。

以前、けんすうさん(nanapi創業者)がFacebookに投稿していたはあちゅう評 (2012年)が私的にずばりなので引用させてもらって〆とさせていただきます。

はあちゅうのブログおもしろかった。

僕の中ではあちゅうって、特に才能があるわけでもない、器用でもない、という人なんだけど、そんな状態から、たまたま知名度があがる瞬間を見逃さずに、その種を育て続けているというイメージ。

たまたま上がった株価を担保に、自分の身の丈に合わないでかいプロジェクトを仕掛けて、さらに株価を上げて、を繰り返し続けているんじゃないかと。はあちゅう自身は、特に才能もセンスもないし、よく失敗もしているのだけど、やるといったことは100%の力でやっていて、一定の結果は出している。

はあちゅうがスゴイのは、何かをやるときに、多くのものを犠牲にしながら、可能性に全部を賭けていく感じ。目的を成し遂げようとしている時に、何かを犠牲にすることに躊躇がない。

スゴイと思ったのが「私がどんなに傷ついても悪く言われても構いません。とにかく私の名前が売れればいいので、ブログに書いてください」というセリフ。20代中盤の女性で、顔も名前も所属も出している人間ができる覚悟じゃないと思った。

そして、そこで得たものを最大限に利用して、さらに名前を売って、バリューをつけていく。学生時代にいろいろ名前を売ることをやることで、電通に入ったりもした。一生「新卒では電通に入社したんですけどね」といえるだけで、さらにバリューがあがるという状態を作り出している。

はあちゅうは才能もセンスもないし、器用というわけでもない単なる凡人なのだけど、周りがひくくらいの努力と犠牲を払って今のポジションを得ている。本当にすごい。

このエントリーには「各国から選ばれた精鋭ブロガー」と書いてある。どういう基準で選ばれたのかわからないし、ブロガーとしてのスキルは他にも高い人はいるだろうけど、日本からブロガーを選べといわれれば、僕もはあちゅうしかいないと思う。

というわけで、はあちゅうはマジすごいので頑張ってほしい。


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