祖父と写真の話

2年前、今は亡き祖父と写真について話した。この事はきっとこの先も忘れられないんじゃないかと思っている。祖父は別に写真を趣味にしている訳ではなかった、旅行に行った時に記録用にと、小さなカメラを連れて行くくらい。私が大学1年生の時に祖父母の家へ遊びに行った時に、「私、カメラ買ったんだ。」と祖父に話した。バイトを始めたばかりで、貯めたお金で買ったはじめての大きな買い物でたくさんの人に報告していたのを覚えている。私の報告を受けた祖父は「何を撮るか決めとると?」と質問してきた。私はぼんやりと「旅行とか遊び行く時に持っていこうと思ってるから、友達とか風景かなぁ」と答えたと思う。
そう答えると「写真家の友人の受け売りなんやけどね、」と話し始めた。話が長くなりそうだなぁと覚悟した。

祖父には割と大きい賞を取るような写真家の友人がいたようだった。その友人は全国各地の「石橋」を撮り続けている人だった。「なんで石橋か分かるか?」と聞かれたが深く考えるのも面倒くさくて「石橋が好きだから?」みたいな感じで答えたと思う。
実際には「いずれ無くなってしまいそうなものを残すため」のような回答だった。

「やけん、写真を撮るときは、いずれ無くなってしまいそうなものとか数年後、何十年後に見返したくなるものが良い被写体よ、まぁ受け売りなんやけどガハハハ!」と盛大に笑っていた。そのときはじいさんの昔話だからあてにせんとこ、と軽く考えていた。
祖父は「俺のことは撮っちゃらんと?」と冗談めかしく言い、私は人を撮ったことなかったし身内を撮るのはなんだか恥ずかしくなってしまい、「カメラの腕が上達したら撮っちゃる!」とこちらも冗談のように返した。

その話をした数ヶ月後、あれだけ元気に話していた祖父は持病が悪化し、会話も出来ない状態になってしまった。当時の私は少しカメラの使い方にも慣れ、花や空、周りの友達などいろんなものを撮って、何を撮っても楽しかった。そんな私に何か出来ることはないだろうか、そう考えて、祖母と祖父の二人の写真を撮ってプリントをして贈ろうと決めた。
鞄にカメラを入れ、祖父の見舞いに病院へ行った。
しかし、結局二人の写真は撮らなかった。撮れなかった、という表現の方が正しい。
見舞いに行った時の祖父の姿は短期間で更に痩せこけて、苦しそうで、正直こんな状態を写真に残して祖父はどう思うのか、嬉しいと思ってくれるのか、そんなことを変わり果てた祖父の姿を見て、思ったのだった。

撮る勇気が出なかった、今思えば最後の、夫婦の写真を残せばよかったと後悔している。もっと遡ればスマホでもなんでも残しておけばよかった。カメラの腕なんて気にせずになんでもいいから残しておけばよかったのに、とずっと思ってる。2年経った今でもその時の会話から祖父の表情まで全部詳しく思い出せるのだから。

良い被写体は「いずれ無くなってしまうもの」。
私にとっての石橋は祖父だったということだろうか、嫌でもそう思えてしまう。人間はいずれ死ぬ、そのことを意識した上でシャッターを切るなんて、そのシャッターボタンは重たすぎるじゃないか、「無くなる」の定義が分からなくなった。

今は周りの友人や被写体さんなど沢山の人を撮ることが多い。その中で沢山考え、私の中で行き着いた、良い写真、良い被写体の答えは、

「ふとした時に思い出したいもの、いつまでも覚えていたいもの」だ。
ありきたりな答えになったとは自分でも思う。そもそも写真とはそういうものでは、と思うかもしれない。でも、この答えが出たことで、ただ目に映ったものを何でもかんでも撮る写真から、本当に残したいものを撮る写真に変わった気がする。後で見返したいと思った瞬間がシャッターを切るとき、そう思って写真を撮っるようにしてる。


祖父の部屋から見つかった、ノート。亡くなる前、フランス語を勉強していたらしい。祖父自体を残すことはできなかったから、祖父の周りのものを残すことにした。