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ナイーブ

他人のエッセイは、僕の生活を容易に傷つけたり脅かしたり応援したり寄り添ったりしないから好き。最近ナイーブと言う言葉を人のエッセイから覚えました。

すごくキュートでラブリーでナイーブな女性が書くエッセイ、好きです。
何にでもときめいている様がじつに愛らしい。
実際に当人の心が動いているのかは別として、
書いている以上そう言う機会に気づいているのだと思う。
可愛い。キュンキュンしてしまう。

反対に。反対にでもないかもしれないけれど
全てを悲観的にしかとらえられない男性が描くエッセイも好きです。
惨めすぎて笑えてしまう。でもそれがどこか美しい。
それは熱量を持った人間だけがエッセイを出版するまで社会を登れるからかもしれないけれど。

お客さんが途切れた客席でたまに本を読む。
木曜日は比較的閑散としている花園。
もともとそんなに読む方ではないけれど、
喫茶店の店主である以上は読まないといけないなと思っている。

音楽もいろいろ聴いて見ている。
自分のメインロードの音楽はあまり店内の雰囲気には合わない。
イージーリスニングにはしたくないから、その中間あたりを探る。
一周回って初期のコルトレーンに辿り着いた最近。
あまりに小さなところを一周回ってしまった。

日々、新しい発見をしたいんです。僕らみんなの話。
ソウルのバラードが聴きたいと思って、ネットで検索して見ても
名盤だけがまとめサイトで見れてしまう昨今。
でも、人と違うのが聴きたいじゃない。
昔のようにFENに聞き耳立てて開拓できる時代じゃない。
僕だって、前に一度だけ聴いていいと思った音楽を
鼻歌に大事に保存して、一年後にレコード屋で出会ってしまうような
時代に生まれて見たかった。
何でも聞けると言うのが、実に不便だと感じてしまう若者。ないものねだり。

YoutubeでマイナーなDJのMixを聴いたりして、
たまにいいのを見つけるとApple Musicに駆け込んでみたりする。
なかなか難しい。気づけば既存の好きな曲に繰り返し浸っている。

そんなことをしていると、行くたびに新しい音楽を教えてくれる
喫茶店やバーのマスターの素晴らしさに気づく。
音楽だけじゃない、本や映画、思想や人間関係、
みんな色々なことを教えてくれる。同年代がやっている喫茶店だってそう。
しかも全て、彼に教えてもらったと言うストーリー付き。

そう、僕らがやるべきことってCJのようなことだと思うのです。
カルチャージョッキー、これは僕の造語。既存だったらごめんなさいですが。
いろんなカルチャーをミックスして流してみる。
君だったらこれも好きかもねと提案してみる。
そういう発見が喫茶店でできたら最高じゃない。

店を始めてしまった以上は、珈琲を美味しく淹れることができるというのは
僕個人の魅力にはならない。
それ以外のことを蓄えていかないといけない。

ただ珈琲を飲みにくる人だっているし、ただ話に来る人だっている。
大事なのは、ここが今あなたのいるべき場所だって強く提示できるカードを
たくさん持っていること。

可能性がありすぎる時代だから、
僕らは何かを選べば、大量の世界を失ってしまうように感じてしまう。
その不安のせいで、何も踏み出せないままでいる。
僕だって一人だったらきっとそう。

ここにいていい。誰も追い出さない。追い返すことはあるけれど。
だからここでいろんなものに触れて
自分を積み上げていって欲しい。

それは自分の専売特許。
皆一様に、自分であることが最大の強みであってほしい。

たくさん考えて怖いなと思えば思うほど、
やって見た時に「こんなもんか」とあっけらかんとできる。

だから悩んで怖がって考えた先に、やってみたほうがいい。世の中意外とこんなもんかですよ。こんなもんか。

何の話をしていたんだっけ。

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