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学校のあるべき姿

お元気様です。koishiといいます。

私は現在高校3年生で、公立受験を一つ残した状態の”一応”受験生です。
あと一ヶ月で卒業します。

今回は、AIも進化し、ググれば知識はいくらでも得られるような、このインターネットを主体とした時代に学校の存在意義はあるのか、学校はどうあるべきなのかを書いていきます。

学校が教える必要のないこと

次の高校3年生の代から受験制度が変わりますね。(最近の動向を見ていると大して変わらないんじゃないかという気もしてきますが、、、)

しかしきっと、社会に出てはよっぽどでなければ必要のない古文や漢文などは、まだ受験科目として残るのでしょう。

現代においてインターネットは不可欠であり、5Gを超えて6Gの時代になれば、圏外となる場所がなくなる可能性もあるそうです。

今やほしい知識はネットに転がっています。
知りたいと思った情報はほとんど見つかる
でしょう。

ググれば見つかる知識を、学校でわざわざ教えるべきでしょうか。
テストのために覚えても、大抵のことは忘れていきますよね。

もちろん、中学生までで習うような基本的な文字の読み書きは必要です。
ある程度漢字も読めねばなりませんし、基本的な計算もできなければ生活に支障をきたします。

ですがそれ以外のことはどうでしょう。

例えば、古文を学んだからと言って、大正や昭和に書かれた、難しい言い回しが使われるような文学を理解できるかといえば、そうではありません。

なんせ時代が違いますから。

私は梶井基次郎の短編集を買って読んでみた時があります。
『檸檬』は読めるのですが、他の話のほとんどには知らない言い回しが多用され、難しく、途中で読むのをやめてしまいました。
その言い回しが古文や漢文の授業で出てきたかといえば、そうではありません。

私には現役の高校生と中学生の妹が一人ずつおりますので、学校の話をよく聞いてきましたし、私自身悩みまくってきましたが、どうも今の教育は学問において結果を重視するあまり、もっと教えるべき大切なことを軽視しているようです。

それによって傷つく子供がたくさんいるにもかかわらず。

テストの結果や生活態度によって子供をひいきする教師もいます。
手にかけてあげるべきは、つらい思いをしている子ではないですか?

なのに、教師の気分や好みで生徒への態度を変えるというのはありえませんよね。

先生に対する悩みを抱えさせてしまうというのは、ものすごくおかしいことであると思います。

もう生活で実際に役立っていくのは中学生までで習う5教科くらいなものでしょう。それも、教えるべき内容はもっと絞られるはずです。

そうして時間ができれば、もっと教師が子供たちに寄り添ったり、、いま問題視されている英語教育に力を注いだりできるでしょう。


学校が教えるべきこと

私は小学校の頃から対人関係において悩みを抱えていて、ひどいときは校舎から逃走するほどの、ある意味問題児でした。

しかし私は運良く先生方に恵まれ、そんなときは必ず先生方に助けていただきました。

嫌なことがあったときや、意見が通らなかったときの気持ちの保ち方や考え方、失敗したときの身の振り方。

そういった、人として現代社会で生きていくためのノウハウというか、心構えみたいなものを教えてもらいました。

それだけでなく、特に中学生の頃は道徳的なことを教わりました。

差別発言についてや戦争のことなど、これから自分たちが肝に銘じておくべきことです。

学校で教えるべきは、そういった、もっと道徳的なことや心情的なこと、人としてのありようなどであると思います。

ツイッターやYouTubeのコメントなどを見ていると、そういったことに対してバカにするようなものも多く見受けられました。

日常でなんの躊躇もなく差別発言をしている人もいますし、それを面白がる人もいます。

その人が知識の無さ故にそういったことをするのなら、それは学校側がしっかりと教えなかったのではないかと思います。

知らないことは、できないので、古文や漢文を必死こいて教えるより、人として最低限知っておくべきことを教えるべきではないでしょうか。

一人ひとりの、人間としてのレベルを底上げしていくべきであると思います。

そうすればもっと幸福度の高い、胸を張って先進国であると言える日本になっていくと思います。

”先生” は、先に生きると書きますよね。
先に生きているからこそ、そこで得た経験を伝えていくべきであると思います。

AIやインターネットが進化しているこの時代、学校のあり方、”先生”のあり方が強く問われると思います。

頑なに従来のやり方を通すのであれば、もはやAIやインターネットに取って代わられても文句は言えませんし、塾と何ら変わりません。


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