「ママの顔」「妻の顔」で撮られたらダメなの?
妻でもなく、母でもなく
なんの役割も持たない「自分として撮られよう」
こういうことが言われてるからなんだろうけど「子どもが一緒だとママの顔になるからダメなんですよね」みたいなことを言われることが増えた
そう聞かれるたびに、あぁ、勘違いしてるなと思うわけです
正確に言うと勘違いというか『前提』があるってことに気づいてない?わからない?知らない?んだなと思った次第
たとえばお仕事用の写真はママ(妻)の顔になったらいけないと思っている方がいるけれど、全部が全部そうなのではない
たとえば子育てサポートのお仕事してるなら
お子さんと一緒に楽しそうにしているママの顔した写真
子どもを見守るママの顔の写真
たとえばパートナーシップのお仕事してるなら
パートナーと幸せそうに話している妻の顔の写真
これらは全然あり
というか、むしろ、それ撮ろうよってことになる
幸せそうなママの顔、妻の顔をしているあなたの写真を見て
このひとみたいに子どもと関わりたい
このひとみたいなパートナーシップを築きたい
そんなふうに思ってもらえる
じゃあ子育てサポートの仕事じゃないわたしはママの顔はダメなのねというのも違う
大切なのは「どう見せたいか」
自分の一面として「ママの顔」を見せる発信もすると決めてるんだったら「ママの顔」の写真を撮ったっていい
あ、もちろん
写真は「仕事に使うから」「だれかに見せるため」だけに撮るわけでもないことをお忘れなく
妻でもなく、母でもなくなんの役割も持たない「自分として撮られよう」っていうのは
こいまゆ的見解ではあるけど
女性は妻や母っていう役割の顔でいる時間が多くなりがちで、ややもすれば、「自分」がないがしろになりがち
もしも、なんの役割もない『わたし自身』がないがしろになりすぎていたとしたら
役割を持たない「自分」の時間も大切にしてほしいなと思う
だから
撮影体験を「自分」の時間を大切にするキッカケにしてみたらどう?という意味で、なんの役割もない自分で撮られてみようと言っているのだ
ママの顔になれるお子さんとの時間、妻の顔になれるパートナーとの時間も、めちゃくちゃめちゃくちゃ大事だからそれはそれで残しておいたらいいと思う
そのときじゃないと残せない表情があるから
それに、これは個人的な話だけど、妻でもママでもないわたしは、妻の顔ママの顔って撮ってもらいたくても撮れないから(いまのところw)
妻の顔、ママの顔が撮れるって、それはそれで素敵なことだとも思うんだ
つまりすべては目的次第ということ
さ、あなたはこれからどんな写真を残していきたい?
撮る側としては、いろんな顔をしたあなたの写真を残してもらえたら嬉しい限りだ
わたしもいつかは妻の顔の写真撮ってもらえるようになるかなー?笑
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?