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「京都烏丸のいつもの焼き菓子」はこんな話。と、ついでに私の思い出話。

9月15日に私の二冊目の本である「京都烏丸のいつもの焼き菓子 母に贈る酒粕フィナンシェ」が発売します……と言いつつ、書店には11日ぐらいから並んでいたらしい。早い。なんの覚悟もできてなかったぞ。でも電子書籍の配信は15日からだしまだ発売前ってことでね、ここはなんとか……。

何しろ二年五か月ぶり、初めての書下ろし、ということで気が落ち着かなくていろいろエッセイを書いて気を紛らわせていたんですけど、どういうお話なのか内容にかかわることはあまりしてなかったな…と思ったので、今回はそうあたりのことを書こうと思います。

タイトルの通り京都の烏丸御池のあたりにある小さな焼き菓子屋さんを舞台にした連作短編です。不愛想で「しゅっとした」ハンサムの若い店長さんと、感じのいい女の人の店員さんがいて、小さな町屋に面白い焼き菓子をぎゅっと詰め込んだようなお店。そこにやってくるお客さん三人と、最後に店員さんがそれぞれ語り手になってる四つの短編(最後の話は短編って量じゃないかもしれないけど…)でできています。

京都を舞台にしたのは正直「京都、受けるかな…」という計算もありましたが、それ以上に私にとって好きな街だからです。私の出身は愛知県の犬山市(面白くていい土地です)ですが、大学一回生(関西風の言い方なんですかね?)から六年ほど京都で暮らしました。私の好きな京都は大学のある京都、普段着の京都、よそ者にとっての京都です。歩きやすくて楽しいことがいっぱいありそうな街。美味しいお菓子がいっぱいある街。パン屋さんがいっぱいある街。でもパンを川べりでもぐもぐ食べてたら鳶に奪われる街(鴨川では鳶に気を付けて!!!本当に!!!)。ちょっと歩けば用事が全部済むコンパクトな街。そういう京都…。いやそれ京都じゃなくてもいいんじゃない?どっちかっていうと十八歳で親元離れた解放感と都会に来た楽しさのほうが大きくない?って気もちょっとしますが、私の知ってるそういう街は京都なので、京都っていう単語には私の楽しい思い出がたくさん詰まっていて、だから私にとっては京都ってそういう場所なのです。いい場所なのです。

もちろん多感な時期に住んでいたのでいい思い出ばかり、ということもないのですが、そういう人生でどうしても避けられない苦いものも含めて、肯定的な気持ちで思い返したいな…と、そんな感じです。苦いものは苦いものとして、なくなりはしないけど、でもそれはそれで大丈夫だよね、みたいな。わかりにくいですが、そういう姿勢のお話だと思います。

なんか全然読者の方へのアピールになってない記事ですが、「京都烏丸のいつもの焼き菓子」、もうすぐ発売です。よろしくお願いします。

そういえば一作目も今ちょっと電子書籍がセール中みたいです。

何かと落ち込み気味な小説家の女の人と優しくて料理上手な専業主夫のお話です。ほのぼのしたお話に見えてそんなにほのぼのしてない。どうしようもない傷を受けた人間が営みの中でどうやってその痛みと付き合っていくんだ…というような話…………なのかも。

Kindleを貼りましたけどほかのストアでも安くなってるみたいなのでよろしくお願いします。

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