道頓堀?

Aさんが「ドントウォーリーやで」と言うと、
Bさんが「道頓堀?」と聞き返しました。
そう、空耳です。

そのあと一瞬の沈黙があり、尾をひくようなじわじわとした笑いがその場に広がっておりました。

側からその会話を聞いていたわたしは、とても感動していました。直感的に、これまでに聞いたどの空耳よりも美しいと思いました。

ドントウォーリーから道頓堀まではかなりの距離があるように思います。もとの言語も違うし。
でも音のちからで同じ場所に居合わせたわけです。

音というのは、全く関係のない言葉たちを引き寄せます。「皿うどん」と「サラウンド」は同じ文字でできているし、「プレッピー」と「ポリッピー」と「トリッピー」はファッションスタイルとおつまみとしまじろうの友達だけどまるで兄弟のようです。

いくつかの言葉が音で結ばれたとき、それらが無関係であればあるほど嬉しくなるのはどうしてなんでしょうか。出会うはずのなかったやつらが思わぬきっかけで出会えた、そんな奇跡を(勝手に)感じているからかもしれません。

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