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思い出話。


「Rちゃん来てなかったってよ」
弟が床屋から帰宅して早々言った。

実家からすぐの床屋は、私の同級生の子が親と一緒にお店を営んでいる。
髪を切る際、色んな話をするらしく、こないだ行われた中学の同窓会のことを話してくれたそうだ。(私は不参加)

Rちゃんは中学一年の時、初めて同じクラスになった。すぐ仲良くなった。変わった名前で本人も嫌がっていた。
家は少し遠くだったけど、放課後私が彼女の家に行ってひたすら二人でスーパーファミコンをして遊んだ。
お父さんは無職。お母さんが給食の仕事をして家計を支えてた。
Rちゃんはとにかくお父さんが嫌いで無精髭を生やして髪も伸び放題で昼も2階で寝ている父を父と呼ばず「ラーメンマン」と呼んでいた。
2年時も一緒のクラスになったが一時期私の背中を硬い棒で叩いてきたり不快なあだ名で呼ぶことがあった。

私も彼女も全然勉強しなくて、私は高校は自宅近くの偏差値低い高校、Rちゃんも受験したが落ちて別の定時制の高校に行くことになった。
高校に入ってから私は全く友達ができなかったし、よくRちゃんの働いているちゃんこ鍋なべ家に行ったり遊んだ。
高校を卒業し、私は働いて学費を稼ぐため、Rちゃんが正社員として働く新橋のカフェでオープニングスタッフとして働いた。
私はそこでたくさん友達ができたけれど、Rちゃんは誰とも仲良くならないという態度で、私と彼女が昔からの友達だというと皆驚いた。きびきびと仕事をし私もよく注意された。
厳しすぎて皆近寄りがたそうだった。

私が最初の結婚をした時、仲の良い友達たちを集めてお祝いの会を開くことになった時も、進んで幹事をやってくれた。仙台での新婚生活を終え、実家に帰ってきてからまた頻繁に会うようになった。仙台にも一度遊びに来てくれたことがある。

そんな関係もずっと何年も続いていた。
再婚し、夫とも仲良くなり以前住んでいたマンションにもちょこちょこ遊びに来てた。
Rちゃんも途中途中、彼ができ私も会ったりしたけどどの人も長続きしなかった。

実家にもいづらいようで、たまに電話がかかってきたかと思うと「今日から三日間泊めて。実家にいたくなくてずっとマックにいるんだ」と聞いた。
そろそろ限界が来たみたいで、バイトしながら自活すると連絡があり、
新しい住まいを見に行った。
この頃は、Rちゃんの兄に子供が産まれて叔母として姪っ子を溺愛してた。

マンションにも姪を連れて本当によく遊びに来た。
もちろん私も姪っこちゃんを可愛がった。公園で遊んだりプリキュア見たり
お菓子作ったり・・・。
そんな中、アルバイト先でいい感じになった人がいてお付き合いしてると聞いた。
応援したかったけど相手が既婚者とわかり私は反対した。
ラインで厳しめに彼女をなんとか止めさせようと叱った。
それ以来、Rちゃんからの連絡が途絶えた。
ブロックされたのか、こちらがいくら連絡しても繋がらない。
その直後に私は不妊治療がうまくいき、子供を産んだ。
だから彼女は私に子供がいることは知らない。

・・・・
弟が床屋の子からRちゃんいなかったよと聞いて久しぶりにRちゃんを思い出した。
Rちゃんはいつも寂しさを抱えてた。
そう見えた。
もうきっと会うことはないんだろうけど、ちゃんと生きて幸せでいてほしい。
私はあんまり他人と打ち解けることはないからRちゃんは本当に貴重な友達でした。

長い思い出話でした。
(イラストお借りしました。二人のイラストがめちゃくちゃ似てて。ちなみに右の髪短いのが私で左がRちゃんによく似てます)








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