『自信』について考える

あれは何ヶ月前だっただろうか、当時お付き合いをしていた人とお別れした。
主な理由は付き合っている意味がわからなくなっていたからだ。
メッセで別れたい意思を伝えたらあっさり別れることになった。

当時、仕事も順調で、特に別れたことでのダメージというのは特になかった。あっさりすぎることにちょっと目食らったが「ああ、こういう風にして私は別れを選ぶのか」そんな感じだった。
それでも「あなた笑って話してるけどダメージあるんじゃない?」そう指摘する人もいた。それを言われた時は「そうなのかなあ」と思ったが、意外とそうでもなかった。それは仕事が充実していたからかもしれない。

自信とは自分を受け入れること

今思えば、私が恋愛状態になっているは仕事がうまくいっていない時が多かった。自分が何をしたいのか迷っていたし、自信がなかった。基本、キャリアプランがはっきりしていないし、プライドが高い人からマウンティングされるので、仕事は楽しくなかった。そんな私だが、この夏は「こんなに楽しかったことはない」と思うくらい仕事が楽しかった。それは周りの人に恵まれたということもあるのだが、そのことで自信がついたからかもしれない。
そうすると以前だと自分が揺らいでいたようなトラブルが起きても「こういうこともある」と割り切れるようになったし、いろんな自分を「こういうときもある」と受け止められるようになった。

自信というものは意外と脆い

そういえば、その充実した仕事につく前、私は転職を迷っていた。それはコロナで仕事が減ったこともあるが、実際のところは人付き合いが上手くいかなくて参っていたからである。
自分しか変えられないと思い、関わり方を変えても建設的な話にならなかったし、限界だった。そこで上司に相談しても私の納得する対応はしてもらえなかった。
結局「私はどこでも働けないのかもしれない」そう自分を責めてしまっていた。
そうなると、せっかくもらった「内定」でも自信を持って承諾することができなかった。どこかで「皆私のことをできない奴だと思っているに違いない」という思いがあり、不安を消そうとすればするほど不安は消えなかった。
「自分で不安を作り出すのをやめなさい」と喝を入れてくださった方もいた。「そうだよな」と思いながらも不安を作ることをやめられなかった。

そんなもがきが伝わったのかわからないが、時期限定の異動になった。
異動するのか、転職するのか、ねれない位悩んだが、異動先の仕事をしてみたいという思いと、「何をしても不安な時に大きな決断をすべきではない」と思って内定をお断りした。
異動先では、元の部署とは違い、自分がしたことに感謝されたり「君なしでは成り立たなかったよ」と上司から直接言ってもらうことで自信がついてきた。
今の状態なら何も不安に思うことなく内定を受諾することができるのかもしれない。
だけど、新しい目標ができたので、もう少し頑張ってみようと思う。
まあ、何が言いたかったのかというと、私の自信というものは人から承認されることで発生しているとても脆いものだということである。

資本主義の罪

ではなぜ自信がもろくなるのだろうか。
誰に何を言われようと自信を一定に保つことができるといいのだろうが、人間は集団で生活するものですので、そうはいかない。
それは資本主義に関係するからだと思う。
他人から必要とされることで仕事というのは成り立つ。
では、どうして仕事をすればお金をもらえるのだろうかという問いを立ててみる
答えとしては以下が考えられる
・仕事をすれば金がもらえるというのが資本主義だから
・他人がやりたくないことをやるから
・他人の代わりに自分がお願いをして他人にお願いを聞いてもらうから
結局、他者がいないと仕事というものは発生しないし、他者評価が仕事の評価につながってくる。
したがって、できる人が少ない職業というのは価値が上がってくるし、入れる人が少ない学校が偏差値が上がる。学校という社会も資本主義社会をどう生きていくかを学ぶところなので、基本的には評価が相対評価となっている。
私はゆとり世代なので、通知表は絶対評価だったが、調査書の評価は絶対評価だった。結局資本主義なのだ。

恋愛と資本主義のダブルバインド

資本主義を恋愛に当てはめるとことはうまくいかない。
最近、恋愛がうまくいっていない人に対して幸せな恋愛を応援するtwitterを目にする。
・本当にあなたを大切にしてくれる人を選びなさい
・フラれたからといってあなたの価値は1mmも変わりません
これは前提として「付き合ってもらう」という他者目線があり、それに合わせなくて良いという意味である。メンヘラ女子に向けて「自信を持つように」と諭すものが多い。私がかつて通った恋愛セミナーもこの手のものだった。
一方、婚活に目を向けてみると「ありのままなんて愛してくれない」「努力をサボるな」というものを目にする。これは資本主義に近い。選ばれないといけませんよということである。
恋愛結婚が一般的になっていることを踏まえると、恋愛は脱資本主義、婚活は資本主義的 な活動をすればうまくいく確率が上がるということかもしれない。何をうまくいくというかもそれぞれなのだが、ここでは「望ましい結果を出す」ことを「うまくいく」と表現することにする。
だとしたら「恋愛結婚」はやることがダブルバインドになってくる。
そして、上記で記したように、私たちは「資本主義」にさらされる場面の方が多いので、意識しないとそちらに引っ張られるように思う。

しなやかに生きることが自信につながる

恋愛がうまくいかない時に死ぬほど「恋愛自己啓発本」を読んだ。自信を持ちましょう的なのをみると「またか」と思う。そんな死ぬほど読んでも未だに「確固たる自信」をつけることができているかどうかはわからない。だけど、「人には色々な傷があって、それをそれぞれが乗り越えながら今を生きている」ということがわかってくると、自分も他人も尊いものだなと思うことができるようになった。
ふとした時に「自分には需要がないんじゃないか」と思う時はあるが、『「また自信ないさん」がやってきたな』と思えるようになってきた。
つまり、自信がない自分を否定せずに受け入れることができるようになってきた。
毎日生きていき、振り返ることで昔との変化を感じることが「自信をつける」かもしれない。したがって、自信とは自分の振り返りからしか生まれてこないのかもしれない。「何があっても私は大丈夫」そう思うにはまだまだだが、できることを一つずつやっていこうと思う。

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