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2003年3月 難民調査官問題報告書

2021年5月12日の衆議院法務委員会で、立憲民主党寺田学議員が、難民調査官のインタビューに弁護士を立ち会わせないのはなぜか、運用で立ち会わせられるではないかという追及をしてくださいました。

実は、2005年の難民審査参与員制度導入前は、異議段階で立会ができたのでした。2003年に全国難民弁護団連絡会議がまとめた報告書がありましたので、ご照会します。

本文だけはりつけます。

ファイルは、こちらをどうぞ。びっくりすることがたくさん書いてあります。


3頁目Bの事例では、以下のように述べています。入国審査官が仮放免と違反審査を担当、その一方で難民調査官も兼任していたことを法廷で証言しています。

私は難民認定の調査部だけでないし、入管法の違反審査も持ってますし、ま た、先ほど申したように仮放免係の担当で、仮放免に対する事務もたくさんありますの で、個人の記録については全く覚えていません。

以下で「別紙」と頭書きのあるA〜C事件の詳細は上記オリジナルファイルに書いてあります。

d以下の事例は、データとして見当たらないので、詳細不明です。すみません。

1  難民調査官の研修の欠如


①本来難民調査官はインタビューの技術をはじめとする高度な資質・技能と知識が 要求される専門職であるべきところ、担当難民調査官が、難民調査官に任命され るに際し、何ら特別な研修を受けることなくそのまま業務に就いていた事例(別紙A事件、B事件)。
②担当難民調査官が入省32年目にして突然難民調査官に任命されて2年間のみ難民調査官として勤務した者であった事例(別紙A事件)


2  難民調査業務を行うための最低限の知識を持ち合わせていないと認められる事例


③担当難民調査官が、難民調査官難民認定手続の指針として最も基本的な資料とさ れる、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)作成のいわゆる「難民認定基準 ハンドブック(難民の地位の認定の基準及び手続に関する手引き)」さえも読んだ ことがないままに難民調査を行っていたと認められる事例(別紙A事件、B事件)。

④難民認定手続の際の立証責任との関係での最も基本的な考え方である「灰色の利 益」という言葉自体を知らなかった難民調査官の事例(別紙B事件)

⑤難民の定義(要件)として条約に記載されている「特定の社会的集団」という用語すら頭に入っていない難民調査官の事例(東京入管2003年2月=c事件) 

⑥いわゆる60日要件(期間徒過の申請)が問題となる事案において実質的難民該 当性について一切調査しなかった担当難民調査官が、(期間制限による実体審査回避を禁じる)関連するUNHCR執行委員会結論を全く知らなかった事例(別紙
A事件)


3 難民調査業務(特に、インタビュー及び供述調書作成)を行うための最低限の資 質、技能を持ち合わせていないと認められる事例 

⑦ワープロ又はパソコンを用いて供述調書を作成しようとしながらも、キーボード
のよる入力能力が極めて低いために、インタビューに多大な時間を要するだけで なく、入力途中で難民申請者の供述内容を忘れてしまい度々聞き直すなどする事 例(東京入管2000年6月=d事件、東京入管2003年2月=e事件)

⑧恣意的に供述内容の核心部分を省いて供述調書に記載してしまう事例(東京入管 2002年12月=c事件【別紙】、大阪入管2002年5月=f事件、東京入管 2003年2月=e事件)

⑨予めパソコンに入力してある予想回答通りに供述者が答えないだけで、供述調書 の作成が中断、頓挫してしまう事例(東京入管2002年12月=別紙c事件) 

⑩申請者に対して、インタビュー冒頭から申請者が嘘をついているとの先入観を丸 出しにして糾問的質問を繰り返す例(東京入管2002年12月=別紙c事件)


4 難民認定手続の独立性が担保されていないことが明らかになった事例

⑪難民認定手続は、本来退去強制手続と別個の手続であり、法務大臣も訴訟等の場 面ではその旨主張しているところであるが、担当難民調査官が違反審査や仮放免 手続を兼務していたことを明らかにし、しかもこれらの事務をたくさん担当しな がら難民調査官を務めていたことを理由に、裁判で争われた事案内容について全 く記憶していない旨証言した事例(別紙B事件証言)

⑫難民調査官として難民認定手続の異議段階のインタビューを実施しているにもか かわらず、口頭審理である旨告げてインタビューを開始しようとし、それ以外の 言動からも退去強制手続との区別の認識が不足していることが認められた事例 (東京入管2003年2月=e事件)


5 当該事件に関する最低限の基本的知識・情報をも持たないままに、担当難民調査 官がインタビュー等の調査を実施した事例 

⑬アフガニスタン難民申請者の調査を担当した難民調査官が、タリバンを民族であると勘違いして「タリバン族」と供述調書に記載した上に、当該申請者の属する少数民族と多数民族との対立関係等のアフガニスタン情勢について「わからない」 状態で調査を進めていたことが認められる事例(別紙B事件)。

⑭アフガニスタン難民申請者を担当した難民調査官が、「カルザイ大統領」の名前すらも知らず、本人が同大統領の氏名を供述したのに対して供述調書に複数回「カイザイ」と記入した上で、読み聞かせの際には「カエサル」と読み聞かせて、立会通訳人や弁護士を仰天させた事例(東京入管2002年12月=別紙c事件)

6 その他(代理人弁護士の行為を正当な理由なく妨害する行為等)

⑮異議段階のインタビューの立会った代理人弁護士が、不適切な聴取部分や誤りを 指摘するのに対して、一切の発言を禁止する旨申し向ける難民調査官の例(大阪 入管2002年10月=g事件)

⑯インタビューの立会代理人弁護士が入管法の規定に基づいて難民申請者に質問を 行っている途中で、供述調書に勝手に「ここで質問を終えた」を記入して強制的 にインタビューを終了しようとした事例(大阪入管2002年5月=f事件)

⑰収容中の難民事件に関する共通資料を代理人弁護士が提出しようとしたのに対し て、難民調査官がその受領さえも拒絶した事例(東京入管2001年10月=h事件)


かつて異議段階では難民調査官のインタビューに立ち会えた

当時は、難民審査参与員制度は導入前。異議段階でのインタビューには弁護士が立ち会えていたので、難民調査官がどんなこと言っているかわかっていたのでした。一次審査の段階では駄目なのは今と変わりません。

しかし、2005年からは難民審査参与員制度が始まり、異議段階では口頭意見陳述・審尋という難民審査参与員が主催する制度に代わったので、難民調査官がインタビューでどんなことを言っているのか、弁護士が知る機会は亡くなったのでした。そういう意味で貴重な資料だと思います。

これ見ると、難民調査官のインタビューに弁護士を立ち会わせたくない理由がよく分かるような気がします。見せたくないのでしょう。


【追記】

上記報告書でB事件とされている件の証人尋問調書が手元にありましたので、アップしておきます。


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