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雑記|ネパール_パルパ郡のコミュニティホームステイについてまとめ

0.はじめに

 巡回して回ったネパール、パルパ郡のコミュニティホームステイについてまとめます。基本的に自分が暮らしていたパルパ郡タンセン市を中心に地図などは作っています。実際に泊まってみて、お話を聞いて、問題点や力になれることが浮き彫りになったのでその辺も併せて、整理します。

1.Bougha Gumba community homestay

スクリーンショット (193)

▶座標軸 赤いピンのところ Link(Google地図にとびます) 

▶行き方
・タンセン→ボウガグンバ
 市内のビサールバザールからジープ利用
 朝8:30頃発、所要時間1時間弱※土曜日を除く毎日
・ボウガグンバ→タンセン
 ボウガグンバのワードオフィスの近くからジープ利用
 朝8:30頃発、所要時間1時間弱※土曜日を除く毎日

▶内容
・始める為、委員会を組織。始めた後も、クオリティの向上のために会議を定期的に行い、話し合っている。週に何回とか、月に何回とかは決まっていない。
・周辺一帯がホームステイとして受け入れることができる。20世帯くらい。
・町役場からの支援はなし。
・始める前には、先進事例の視察を行った。
・会議と併せて、食事のクオリティを上げるためなどのため研修を行っている。
※資料をネパールに置いてきたため、内容が大変薄い。

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↑ホームステイ、宿泊した家の概観。泊ったのは右側の建物。ご飯食べたりをしたのは、左側。特に清潔さに気を付けているようで、食器類がきれいで、庭についてもきれいに清掃されていた。

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↑寝た所。シーツという概念はない。

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↑パルパ郡の観光名所”ラニマハール”からすぐのところにあるため、立地場所はとてもいい。

2.Madhan Pokhara community homestay

スクリーンショット (194)

▶座標軸 赤いピンのところ Link(Google地図にとびます) 

▶行き方
・タンセン↔モダンポカラ
 タンセンバスパークから、「バスタリ」までローカルバスを利用
 「バスタリ」から、ティンプーで20分くらい。

▶内容  
・10年経過。
・郡農業開発事務所の助けにより、コミュニティのホームステイを作成
・女性だけで管理。 11人の委員会。 月に一度会議開催。約10戸で運営
・女性グループだけで実施している農業の好例として、ネパールの他の田舎から訪問がある。
・人が外から来たときに歌ったり踊ったり歓迎の意からする。
・地区農業開発事務所を訪問。一度だけ10万NPRのお金を1回もらった。
・月1回程度、ゲストが来る。 1日で戻る人もいれば、数日で戻る人もいます。農業についてたくさん教えている。
・収入が増えるにつれ、人生が明らかに変わったと感じている。
・ゲストがお支払った金額は、女性グループへの支払いとなる。
・お金の使い方は月例会で決める。
・地区農業開発は彼女らにホームステイについて指導がある。多くの場合、彼らは会議にも出席します。
・地区農業開発は彼女らにホームステイの運営について教えてくれる。

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↑宿泊した家。この家の裏には広大な畑が広がっています。

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↑この家にはシーツの概念有。誰かが使っていたが、今は使っていない部屋を改造して使用している。

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↑広大は畑。パルパ郡で唯一平地にあるホームステイ。

3.Junti Rung community homestay

スクリーンショット (195)

▶座標軸 赤いピンのところ Link(Google地図にとびます)

▶行き方
・タンセン→ジャンティルング
 タンセンバスパークから「ドゥンブレ」までローカルバスを利用
「ドゥンブレ」からジープで1時間弱。
「ドゥンブレ」発のジープ、13:00発、14:30発、17:00発
・ジャンティルング→タンセン
「ジャンティルング」から約4キロ「ハティアル」まで歩いて下る。
「ドゥンブレ」までジープ乗車。8:00発、9:00発、10:00発
「ドゥンブレ」からローカルバス利用。

▶内容
・ホームステイ開始から2年。 マガル民族コミュニティ。
・57戸が存在し10戸がホームステイ。10人の委員会メンバーで6人が男。
・地方自治体からコミュニティホームステイの開始を勧められた。
・月に一度の打ち合わせ実施。何を話し合うかは未定。(来客数、収入等)
・委員会への入会金、会費は不要。
・委員会の予算は宿泊者数が分からないためない。
・ホームステイを始めてから生活が変わった。特に周辺開発について。
・月にだいたい1グループが利用。約15名様。
・ゲストの多くはタンセン、ブトワルから来ている(最大はブトワル)。カトマンズから来たこともある。
・カリキュラムの流れ。歓迎の儀式をして、滞在する家を調整し、説明等。
・10戸それぞれ2ベッド。 10人来たら5戸使用。残りの5つの家はどう関わるのか?歓迎の儀式を助け、次の訪問者が来た時に優先的に回す。それらは委員会で調整。
・毎月最終土曜日は近くの学校の生徒さんと一緒にゴミ拾い。(委員会の校長の一人が学校の校長)少なくとも週1回、自分たちの意志でゴミを拾い。
・ホームステイ開始のために役場に20,000NPRの予算を設定してもらった。お金はビュータワーやウェルカムゲートを作るために使用された。
・観光開発のための会議は57戸すべてで開催される。今後の予定など。
・プロモーションはすべて村役場に任せている。
・始めるときに、ボウガグンバ(マガル民族コミュニティ)とアマルタリ(タルー地域)の2か所を訪れました。
・お金を稼ぐことは大切ですが、それよりも自分たちのライフスタイルを見せるほうが重要だと考えている。文化、伝統、ライフスタイルなど。
・タンセンやブトワルに近いことがアドバンテージだと思っている。

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↑泊った家。

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↑山の上にあるためきれいなヒマラヤ山脈がよく見えました。

4.Sati Wati Thal community homestay

スクリーンショット (197)

▶座標軸 赤いピンのところ Link(Google地図にとびます)

▶行き方
・タンセン↔サティワティ
 タンセンバスパークから「ジュムサークジョリブティチョーク」まで
 ローカルバスで1時間弱。そこから2時間徒歩。

▶内容
・始めて3年が経過。 マガル民族コミュニティ。チラシはなし。
・湖やお寺によく訪れる観光客が泊まれるところがあればいいのではないかと考えて作られた。
・歓迎の儀式(お寺ではない)、伝統的な踊り(ゲストからの寄付)、ご飯を食べて寝る。朝、湖にゲストを連れていってお布施をしてもらう。
・アクティビティとしてトレッキングが可能。寺院と川を見るために約5時間のコースがある。
・サティワティには50戸あり、うち10戸がホームステイ。
・委員20名(男性10名、女性10名)
・基本料金、ベッド200NPR +ダルバート250NPR(野菜)
・年収は約5万NPR。宿泊料だけでなく、村で作ったものを客に売ってお金を稼いでいる。また、プジャの収入は貴重。売上高はすべてその家に入る。ゲストからの収入はすべて家に入る。
・年間250〜300人の宿泊者(すべてネパール人)ほとんどの予約は電話。
・ブトワールとタンセンから来たゲストが10〜15名のグループが宿泊する。
・ゲスト台帳はなく、作ろうとしている。
・地区や村の事務所からの協力はほとんどない。
・ダルバートの作り方などは集まって講習(タリム)を行った。
・委員会の任務は、伝統文化を紹介する準備をすることです。
・毎月1日、15日は委員1名立ち合い、近隣住民と清掃を行う。
・2ヶ月に1回の会議を実施。
・ホームステイを行う時に、サービスの提供や伝統の伝承が重要だと考えている。
・ホームステイを開始し、生活環境が改善していると感じている。
・友達に連絡したり、フェイスブックに広告を出したり、直接メッセージを送ったりして宣伝する。
・当初、タルーホームステイを訪問。彼らがどのように運営しているか、どうやってゲストを歓迎するか、どのように食べ物を作るか、どのように維持するかを尋ねた。

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↑泊った家。

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↑シーツ有、蚊帳有の寝た所。

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↑この湖が観光地、、、観光地とのことです。

5.Suketaal Dobhan community homestay

スクリーンショット (198)

▶座標軸 赤いピンのところ Link(Google地図にとびます)

▶行き方
タンセン↔スケタール
 タンセンバスパークから「ドーバン」まで
 ローカルバスで1時間30分弱。そこから1時間弱バイクか車。

▶ヒアリング内容
・ハイウェイまでから約7km、ブトワルから約12km、タンセンから約24km
・スケタールに65世帯ある。内5世帯がコミュニティホームステイを運営。
・ゲストに地元の文化を紹介し、収入を増やしたい。
・始めてから8年。最初、村役場からベッド5台をもらった(गाउँपालिका)
・地区農業開発委員会からの支援はない。NGO等の援助がない。
・資金調達に苦労しており、経営がうまく運用する方法を知りたい。
・客室料金の5%を委員会に入金します。(1泊500NPR)
・1500NPRで1時間歌って踊る。
・1年で100人の客が来た。(ゲストについての台帳なし)
・ポカラ、カトマンズへプロモーションしていない。コネクションがない。
しかし、リーダーが別の会社を経営していて、つながりがあるので、ブトワルにはプロモーションしている。
・ブトワルで金曜日まで働き、夜はスケタールに移動し、1泊するという流れがあります。
・委員15名のうち9名は女性。3ヶ月に1回会議を開催する。
・ホームステイを始めることで生活が変わった。

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↑泊った家。

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↑板の上に、うっすいシーツを乗っけた宿。本当に硬いベッドだった。

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↑宿泊地からブトワル側の景色。雲海がみえてますが、季節によっては、インドのほうまで見えるとのこと。

6.まとめ

パルパ郡ホームステイファシリティ一覧

 パルパ郡内のホームステイには、まんまり人がきていないことが分かりました。ほとんどが月に一回来るくらいの認識。ただ、一回に来る数が10人以上と多い。それでも家計的には十分足しになっていると考えられる。

 基本的にうまくいっているのは、モダンポカラのみ。他の地域から視察に来て、指導に当たっているとのこと、行政機関がバックアップに入っていることも含めて、今後もうまくやっていくのだろうと考えられる。

 他は、はっきりとうまくいっていない。と言い切るところや、宣伝してやーと言われたり、うまくいっているとは言えないのが現状のようだ。特に宣伝というものに際しては苦慮している模様。友人にお願いしてという現状のため、タンセンやブトワールといった近隣の大きい街からのネパール人の流入が占めてしまっている。ポカラ、ルンビニの中間地点という利点を活かせていないように感じた。

 収入の使途だが、直接世帯に入れることもあれば、委員会に入れてから分配する方法、何%かを委員会に入れる方法など多様。どれがイイというわけではないが、地域のインフラ改善というものも念頭に入れるのであれば、一度委員会に入ってから分配の方がいいような気がする。マイクロファイナンス的な考え方からしても。

 基本的に5~10世帯にて運営がされている。以前のまとめでも確認したが、10世帯くらいがいいんでしょうね。

 ハイウェイからの交通手段が難しく、アクセスしずらい。バスなどがあっても、それぞれ村人に合わせた時間設定になっているため、観光客は不便に感じるだろうし、途中看板などは一切なく、「どこだよ!」となるはずである。電話で「どこ?」と問い合わせるホームステイもあったので。まずは看板等を掲示して、どこにあるのかを分かりやすくする必要がある。もちろんネパール語だけでなく、英語の併記で。

 宣伝については、ネットを使っての宣伝ができていない。おそらくそこまで手が回らないのか、やり方が分からないのであろう。ここは手助けしてあげないといけない部分だと思った。いろいろと力になれることがある。以上


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