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あなたは誰かにとって、いろいろな人のひとりなんだ

いろいろな人がいるなぁと思う夜。

あるイベントに参加して、帰ってきた。
その余韻とともに言葉を並べてみている。

リアルイベントは久しぶりだった。
アウェイの地へひとりで行くと、少し身構えるところがあった。

でももう、そんなことをする自分を忘れてしまったかのように、隣の人にご挨拶して、世間話をして、最後はSNSで繋がっていた。

もちろん、社交辞令的な会話や繋がりは作らない。本当に話したいから話し、繋がりたいから繋がる。

こんな純粋な気持ちで人と接するのを、なんとなく覚えていた。小学生の頃だ。

学校から帰ってバスケットボールを片手にまた小学校に戻ってくると、必ず1人か2人は知らない人が小学校を利用して何かしていた。

バスケをする大きなお兄さん。
トラックを走るおじさん。
学校で見たような見てないような同世代。

今日、そこで同じ時を共有した人は、僕にとってはもう知り合いで、境界線などなかった。

お兄さんには1on1を挑んでボロボロに負けた。走っているおじさんに勝手についていった。おじさんとはいつのまにか仲良くなり、走り方や呼吸の仕方を教わった。

僕は人と繋がることにまったく抵抗のない少年だった。それは大人になっても変わらなかった。どこに行こうが、誰とでも分け隔てなく話した。

いつしか、僕には境界線ができた。
父が亡くなった時の後悔から、精神が崩壊した。世界が一変する時期とも重なり、人とは疎遠になった。

誰かと繋がりそうになると、あえて離れた。
話していてもそっけない態度をとった。
何より、どう話していいかわからない自分がいた。

人と話すのが楽しくて仕方なかった。
それなのに、そんな自分であったことなんて相手に微塵も感じさせない態度を取っていた。

今、あの時の高揚感が蘇っている。
自然な自分を取り戻していることを実感している。

人と話すのが楽しくてしょうがない。
人と繋がることに、新たな可能性を感じずにはいられない。

世界が開けることを心から喜び受け入れるように、僕の中の何かは変化していた。

いろいろな人と繋がっていく。
自分と似た人もいれば、まったく違う人もいる。よくわからない人もいる。

いろいろな人がいるからおもしろい。
新たな人の一面を発見できたり、知らなかった楽しさを実感することができる。

相手にとっても、自分は「いろいろな人」なのだ。

相手からしたら、僕が世界を広げるきっかけになるかもしれない。

だからこそ、もっとオープンでいよう。
自分という個性が発揮されたとき、誰かの背中を押すかもしれないのだから。

自分を信じてみよう。
自分を好きになってみよう。

どこかの誰かを演じるのではなく、
他人を気にして社交辞令に留まるのではなく、
自分がその場にいることを尊重しよう。

いろいろだからおもしろい。
いろいろだからもっと広がる。

思い切り楽しんでみよう。

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