我が輩は猫かもしれない。

 我輩は猫かもしれない。
 家には現在、四匹の猫たちがいる。みんな我輩の家族である。
 というか、最初に言っておこう。これはフィクションである。もしかして実話では? と思えるほど各所が地味な話ではあるが、断言しておく。
 これはフィクションである。
 もちろん、ちょっとした仕掛けも用意しているが、フィクションなのだから当然だ。基本的には、実話では? と思わせるほど地味で現実的でつまらない話である。あまり過度な期待はしないで頂きたい。その辺を信じようと信じまいと一向に構わないのだが、勝手に実話だと思い込み、スリリングと夢溢れるぶっ飛んだ話を想定していると、痛い目に遭うということを、最初に言っておかなくてはならない。と我輩は考えている。
 その辺を踏まえた上で改めて、
 我輩は猫かもしれない。
 まず現在家にいる、四匹の猫たちを紹介しておこう。
 一匹目の名前はトラトラ。某動物王国から拝借した。一応長女ということになり、普通のどこにでもいるような定番のキジ寅模様の猫だ。性格はかなりキツめ且つ嫉妬深く、ギリシャ神話に登場する女神エリスの生まれ変わりだと我輩は思う。
 続いて、しっぽな。体毛は黒一色で、文字通り尻尾は途中で母猫の体内に残してきたのか途切れている。大好物は海老の尻尾。我輩が寿司を食っているときに、よく強請りに来る。もしかするとしっぽなは、海老の尻尾を食うと自分の尾が生えてくると信じているのかもしれない。誰に植えつけられた知識なのだろうか。
 こやつは唯一の雄でハーレム状態であったため、母が思い切って去勢を施した、悲運の男である。ちなみに命名したのは母であり、どうやら母が幼少の頃見た少女向けアニメから取ったらしい。だが、それはオスだったのか? と我輩は思う。通常「な」と付けられるのは、人間で言うところ、女ではないだろうか。それが「菜」であったり、「奈」であったり、その他様々な漢字やひらがなであったとしてもだ。そういう都合で、こやつが去勢されたのは、母がそう名付けた時から決まっていた運命なのかもしれない。自分の名前が女っぽい世の男たちは、注意しなければならないところだろう。
 一瞬忘れてしまいそうなほど長くなった。我輩の記憶力は、到底人間からは程遠い値を示している。端的に言えば、今話していたことすらも忘れてしまう。よく知人と会話をしていて、「今なんの話してたっけ?」と言ってしまうことが多々ある。稀ではなく、よくあるのだ。我輩はこの能力を「瞬間記憶喪失」と名付けた。そう言ったドラマや映画は、目にしたことがある読者もいるかもしれないが、我輩がオリジナルなのだ。そう断言しても構わないほど以前から我輩はこの能力に気づき、そう名付けた。よって、我輩は学校でもほとんど勉強をしなかった。すぐに忘れるからだ。当時の先生は言った。
「復習しないから忘れるのよ?」
 違う。そうではないのだ。復習しようとしたときには、もう忘れているのだ。それは新たに習うのと変わりなく、一人では解けないのである。だから我輩は勉強をしなかったのだ。テスト勉強は勿論、受験勉強もしなかった。受験前日に新しいゲームが発売したので、それを買いに行って朝までプレイしていた。だが、このときは瞬間記憶喪失は発動しなかったようだ。受験前日にまでよくそんな自堕落な生活をしていたと我輩は思う。そういった理由で、我輩には教養などほとんどない。せいぜい家にいる猫たちが、どこを愛撫されると一番リラックスするかがわかる程度だ。教養のない我輩ではあるが、このことだけは、手にとるようにすぐわかるのだ。少し専門的な話になるが、猫がどこを触ってあげると一番喜ぶかは、そのときに擦り付けてきた部分であることが多い。つまり、頭を擦り付けてくるならば少し硬い、例えば爪で、加減しながら額の辺りを、宝くじのスクラッチの感覚でこすってやると、バカのように喜ぶ。だが猫は気まぐれで飽きっぽいので、すぐ別の箇所を撫でろと言ってくる。腹であったり、太ももの辺りであったり、首元であったりなどだ。だが猫は気まぐれで飽きっぽ――正直、家の猫たちは、しつこい性格なので、その演舞がエンドレスで繰り返されるわけだ。しかし我輩も負けてはいない。我輩は家に居る猫たちよりも気まぐれで飽きっぽいので、すぐに撫でてやるのを止めてやるのだ。
 おっと、また話が飛んでしまっていた。なんだったか……そうだ。家にいる猫の名前だ。トラトラとしっぽな、その次がピー助だ。今気づいたのだが、この名前を漢字で書いたのは初めてだ。「輔」なのか「介」なのか、ひらがななのかはわからない。もしかすると「ぴー」かもしれない。真相は母に聞いてもらわないとわからない。更に我輩は聞くつもりもない。つい先ほど我輩はピー助と言ったが、実はこの猫は雌なのだ。全くもって母のネーミングセンスは理解ができない。ピー助の特徴は鳴く時の声が異常に長いことだ。よく風船状の物体に、細いストローのような筒が取り付けられていて、息を吹き込んだ後に筒の穴を開放してやると、なんだか間の抜けた音が途切れることなく繰り返される玩具がある。あれと同じぐらいに長いのだ。この説明と同じぐらい長いのだ。ピー助はやたらにスマートで尾も長い。長いことだらけの猫だ。
 以上の三匹が、もうかれこれ家に十五年近く居る年長組だ。こやつらの姉妹や母猫たちも家にはいたのだが、もうみんな死んでしまった。一時期、家にいる猫の数が八匹だった。そしてしっぽなの活躍により、三十匹ぐらいに増えてしまった。さすがに飼うことができなかったので里子に出したのだが、みんな元気でやっているだろうか。我輩の家には、もう二十五年近くも、延々と入れ替わり立ち代わり猫がいた。常に猫だったのだ。
 一番最初に飼った猫が五右衛門という雌猫で、体毛は黒地に大きな白の斑、ちょうど牛のような柄の猫だった。もちろん、名付けたのは母だ。本当にどういう意図でそう付けたのか、未だにわからない。今の我輩の家はマンションであるが、当時は長屋のようなアパートで、常に外に出られるようにしていたため、猫たちは飼っていると言うことすらもおこがましいほど、家にはいなかった。飯を食うときと寝るときだけ家に戻ってくるのである。ある意味、利用されているだけだったような気がしないでもない。そして五右衛門は、ある日からパタリと家に戻ってこなくなった。猫は飼い主に、死に目を見せないと言うが、あれは科学的根拠に基づくと、死ぬ直前になるとそれを悟り、防衛本能として安全な箇所に隠れるらしい。もしかすると五右衛門はその後も生きていて、どこかで平々凡々と暮らしていたのかもしれないが、もしかすると我輩の家は、五右衛門にとって安住の地ではなかったのかもしれない。もしかすると五右衛門のことだから、窃盗がばれてタイーホされてしまったのかもしれない。
 まったく、母のネーミングには恐ろしい効果がある。
 それと入れ替わるように、懲りもせずに飼い始めたのがマイケルという雄猫だった。名前が指すとおり、赤茶けた寅縞模様だ。こやつは飼い始めて二年ほどすると、もう家に戻ってこなくなった。やっぱり我輩の家は猫たちにとっては、安住の地にはなりえないらしい。
 その後、母は懲りもせずに子猫を三匹もらってくる。一匹はシャム猫のようなミー子、もう一匹はトラトラのような体毛のトラ、更にもう一匹は本来母の知人にあげるはずだったのだが、諸事情により引き取れなくなったらしく、我輩の家に居候することになったクロという猫だった。このクロは、別に体毛が真っ黒の猫ではなく、黒地の三毛猫のような柄だった。
 他の二匹は長いこと家にいたのだが、トラはあっという間に脱走した。よっぽど我輩の家が気に食わなかったらしい。そしてこのクロこそが、我輩の家に現在居るトラトラ、しっぽな、ピー助の母猫なのである。だがクロは居候だ。その子であるこの三匹の猫たちも、我輩の家の子ではない。という理屈もあるのだが、少なくともクロは我輩の家で天寿を全うした。珍しい例でもある。まあ、そのときはマンション住まいだったせいもあり、自由に表には出れなかったのだが。更にクロは飼っている間、ずっと家にいたわけでもなかったのだ。詳しくは後述しようと思う。
 ミー子が生んだ二匹の黒猫……シャム柄のミー子から生まれてきたのは、四匹の黒一色の猫たちだった。内二匹は、生まれてすぐに死んでしまったため、ミー子の仔猫はショウちゃんとダイちゃんという、二匹の雌猫だ。なぜそう付けたのかというと、体が比較的大きかったダイちゃんと、体が比較的小さかったショウちゃんだということらしい。もちろん我輩が付けたわけではない。ミー子の生んだその二匹と、クロが生んだ四匹の猫。トラトラ、しっぽな、ピー助以外にもう一匹居たのが、母猫のクロと同じような柄の、めめという雌猫だった。めめは、瞳が大きいように見えたからめめらしい。だいぶ長くなってしまったが、以上の八匹が我輩の家で十年近く生活していた猫たちである。
 その後、アパートから同じ地区の、徒歩三十分圏内にあるマンションへ引っ越すことになった。途中、人通りの多い大きな道路のど真ん中で、猫たちを繰り返し自転車で輸送していたときに事件は起こった。めめが暴れて猫用の籠から飛び出し、人通りと車通りの多い道路のど真ん中を疾走し、草陰に隠れてしまったのだ。回収する中学二年の我輩は、人通りの多い中で突き刺さる好奇の視線を、学年でもかなり小柄な方であるその身体に受けながら、猫の名前を呼んで探し回るという少し恥ずかしい想いをした。ああいうときは、できることなら見ないでやって欲しい。当時思春期真っ只中の我輩には、とても苦い思い出のひとつである。
 そう言えば、猫を繰り返し輸送した回数なのだが、その籠には大体二匹の猫を保管することができた。だが我輩が往復した回数は八回。なぜならば、こやつらは何がそんなに気に食わないのか、とても仲が悪いのである。同じ籠に入れようものならケンカになってしまう。興奮状態の猫を抑えるのはとても大変だ。立て篭り事件の犯人を説得する、ネゴシエーターよりも大変なのだ。言葉が通じない分タチが悪い。むしろ落ち着くまで放っておくのが一番なのだ。しかし周囲はめめにとっては完全な縄張り外であり、初めてくる場所である。人通りも多く車通りも多く放っておくわけにはいかなかった。腕や体を傷だらけにしながらも、なんとか篭に保管することに成功した。
 そんなこんなでマンションの七階に入居した。四畳半ほどではあるが、念願の一人部屋も獲得し、ようやく、猫のような生活からおさらばできると思っていた。だが世の中そんなに甘くできていないことを知った。何がどうなってそうなったのか、我輩にも理解できないのだが、猫たちは我輩をいたくお気に入りのご様子。
 我輩が閉め切った部屋から出ようものなら、まるで出待ちされているアイドルの如く、猫たちが集まってくる。握手券を封入したCDでも出せば、たちまち売れてしまうのではないだろうか、というほどの人気ぶりだ。
 それはともかく本来猫たちはとても気まぐれであり、自分の気が向かないのなら呼んでも来ないはずなのだが、我輩が部屋から出たとき、外から戻ったときは、ほぼ間違いなく出迎えにくる。
 そうして母が我輩に付けたあだ名が、「マタタビ」であった。
 我輩にも否定できないマタタビっぷりを感じたと同時に、ここにきて母のネーミングセンスが光り始めたのに気が付いた。遅すぎる花咲きである。我輩が未熟のために気づけなかっただけなのかも知れない。我輩の部屋は構造上エアコンが設置できない状態にあり、とんでもなく風通しが悪い。夏場に部屋を閉め切ろうものなら、室温が四〇度を軽く超える。閉め切った状態で睡眠に入ると、翌朝には脱水症状を起こしているという、驚くほど密室殺人に適正が高い部屋なのである。初めから住民を殺すつもりで作ったのか、設計ミスなのかはわからないが、この部屋自体がフィクションの世界であり、非現実な空間であるようにすら感じて止まない。
 非現実な空間と言えば、このマンション。おかしいのである。
 上空から見た時、コの字の配置をしており、それぞれの辺に部屋がある。ワンフロア十四室で、中央に中庭がある。そしてコの字の縦の辺の外側にも庭がある。その庭が、我輩の家のベランダから、ちょうど見下ろせるようになっていた。
 中庭には駐輪場があるのだが、そこに行くには隣のマンションとの間に作られた、自転車のペダルがギリギリ通る幅の道を通行しなくてはならないのだ。この通路がとても厄介で、対向から誰かが来るとどっちかが諦めなくてならない。幸い、途中まで来ている方を優先する風潮があって、今のところは争いになったことはない。住民はみんな同じ思いなのだろう。そうして苦労して辿り着いた駐輪場。何かがおかしい。非常識な何かが住み着いているのではないだろうか、という程におかしい。
 駐輪スペースは一台ずつ区切られていて、有料の年間契約をした自転車しか駐輪することができない。そこまでは普通であろう。だがこのスペースに問題があった。一台の自転車を停める。隣の自転車はそれとは深度をずらして、ちょうどペダル通しがかみ合わないように停めるのである。更にこのスペースは左右に移動する。つまり自分が自転車を出すときは邪魔な左右の自転車を押して、スペースを作らないとだめなのだ。我輩が出掛けようと思って駐輪場に向かうと、大抵我輩の自転車はそういったいじめに遭っているのではないかと思う程、左右の自転車にぎゅうぎゅうに押し込められている。とは言ってもこれはすぐ隣の左右の自転車が悪いのではなく、同じ並びの誰かの仕業であった。そこには数十台の自転車が停まっているため、犯人は雲隠れしてしまっているのである。母譲りの短気な我輩はがーんと隣の自転車ごと、勢いを付けて左右に開いてスペースを作ってやるのだ。すると同じ並びの遠方の自転車が、我輩の自転車のような惨劇になっていた。運命は輪廻するのである。先ほど我輩は左右の隣の自転車は悪くないと言ったが、ハンドルや前籠の形状によっては干渉し合い、引っかかって出せなくなるのである。これが男女であれば相性は抜群であろう。しかし、目の前にあるのは自転車である。相性は最悪なのだ。そしてすぐ右隣の自転車と我輩の自転車はそういう相性にあった。自転車を出す際、我輩の自転車のブレーキ部分が右隣の自転車の篭に入ってしまっているのである。
 そういう事情もあり、おそらく我輩が寝静まった頃に、妖怪自転車返し的な者が徘徊しているような気がして止まない。
 一体何の話の途中であっただろうか。瞬間記憶喪失とはおそろしい能力である。そうだ。部屋が完全犯罪向きだという話だった。
 そんな理由で夏場は部屋のドアを開放しているのだが、こやつらは何を思ったのか我輩の部屋を勝手に安住の地と決めたようで、八匹がぞろぞろと我輩の部屋に乗り込んでくるのである。四畳半の部屋に、八匹の猫たちと我輩一人。我輩の方が分が悪い。部屋の室温は窓を開けてドアも全開にしても、三十八度を行ったり来たり。猫は涼しい場所と、暖かい場所を見つける名人であると思っていたのだが、どうやらその規定は、我輩の家の猫には当たらないようだ。
 それだけならまだしも、ひとつしかない部屋のドアに部屋から出ようとする猫と、部屋に入ろうとする猫がかち合う。そしてケンカが始まるのである。そうまでして我輩の部屋にこだわる理由は何なのだろうか。我輩の部屋に入ったとはいえ、猫たちはそこら中に気ままに転がって寝るだけなのだ。常に我輩が猫の愛撫をしているわけではない。そもそも我輩の「猫を愛撫するために、存在するツール」として備わっている手は、至極残念ながら二本しかない。だが我輩の元に寄って来る猫の数は八匹である。どうするのが最善であったのだろうかわからないが、とりあえず一匹目を愛撫する。続けて二匹目を愛撫する。その間、他の猫は自分も撫でてくれと言わんばかりの瞳で、我輩を見つめている。良心に突き刺さるような純粋無垢の視線を、我輩は小柄な身体に一身に受け止めているわけだ。
 それでも見つめているのが、愛撫されていない猫だけならまだ救いようがあった。つい先ほど撫でたばかりの猫も、そのような視線を突きつけてくるわけである。そうこうしている間に半日が過ぎる。なんという時間の浪費であろうか。我輩はこの猫たちを満足させるために生まれてきたのだろうか。というほどに時間を掛けなければ、こやつらは満足しないのだ。こういう仕事があればよかったのだが……我輩は常々そう感じている。
 そういう生活を続けていて十年ほど経ったある日、一番最初に死んでしまったのはダイちゃんであった。口内炎が出来たらしく、餌が上手く食べられなかったのである。我輩たちが、そのことにもっと早く気づいてあげていれば死なずに済んだのかもしれないが、長年猫を飼っていた我輩と母ですら、猫に口内炎が発症することを知らなかった。当時はインターネットも今ほど広がっておらず、気が付いたときには衰弱が進んでいて獣医いわく手遅れの状態だった。
 その後を追うように死んだのがショウちゃんだ。こやつの場合は寿命であり、我輩の目の前で眠るように死んでしまった。猫がなくなる瞬間というものを、我輩は初めて目の当たりにした。普通ならば寝たのかと思うところだが、我輩は猫の呼吸が止まる瞬間も見ていた。不思議なもので、まるでそういった回路をもった玩具のバッテリーが切れたような、そのような感じであった。
 そしてお気づきの通りこの二匹は母猫より先に息を引き取った。思えば兄弟姉妹の猫たちも生まれてすぐに死んでいた。元々体が強くなかったのであろうか。そしてその母猫であるミー子は、マンションであり七階であるにも関わらず、忽然と姿を消した。ミステリーである。始めは落ちてしまったのかと思った。ミー子はよく、ベランダの手すりの外側を歩くことがあったのである。手すりの外側の幅はおよそ五センチほど。小柄なミー子が歩くのにも頼りない数値である。手すりは檻のように縦方向に何本もの間をすかしてあるがその隙間も五センチほどで、小柄な猫なら体ごと、そうでなくても頭だけなら優に通るほどである。我輩の腕も途中までは楽々入る隙間だった。ミー子はその隙間を通り外側を歩いていたわけである。一体その五センチにどんな夢や希望があったのかは知らないが、ミー子は命がけでそこを渡っていた。しかしそれを見ていた我輩は気が気でない。見る度にひやひやしたものだ。
 うむ。また話が逸れてしまった。いつの間にか我輩の話は明後日の方を向いてしまい、そのまま前に話していたことを忘れてしまう。瞬間記憶喪失という能力は、忘れたいと思うことは忘れられないくせに、忘れると何かと困ることは忘れてしまう。随分、ご都合主義な能力である。
 そんな事例があったため我輩はマンションを降り、ベランダの直下に当たる庭部分をくまなく捜索したのだが、ミー子は見つからなかった。家のベランダは左右の家のベランダへ猫が侵入しないようにと、境目にバリケードを立てている。よって、隣の家に侵入したということはないと思うし、そういった報告例も隣人からは聞いていない。
 それにしてもミー子は不思議な猫だった。我輩には三つ下の弟が居るのだが、アパートに住んでいたとき、彼の知人が子猫を連れてきたことがあった。タイミングが悪かったのだろう。当時はまだクロもミー子も子供を生んでいない頃で、トラが脱走したばかりのときだったため、家にいたのはこの二匹だけだった。クロとミー子がその子猫の臭いを嗅ぎにいったとき、ミー子はハッとして隣にいるクロを間違えて敵だと思い込んでしまったことがあった。以来ミー子はクロを見かける度に猛然と襲い掛かり、クロはされるがまま、攻撃されるがままだった。あまりに酷い光景で、傷だらけになってもミー子に近づこうとするクロを不憫に思った母が、ミー子に紐付きの首輪を取り付けて一時期隔離状態にしていたことがあったのだ。
 やがて寒いある日のこと。
 クロは寝ているミー子の側に寄り、ミー子の身体を舐め、温め合うように寄り添って寝た。それを目の当たりにしていた我輩たちは全身から冷や汗が吹き出した。ミー子が起きないうちにクロを呼び寄せようと、小声でクロの名を呼んだりした。しかし起きたのはミー子だった。これから起こる惨劇が容易に想像できた我輩たちは、どうやってクロをミー子から引き剥がそうかと考えていた。しかし、ミー子は我輩たちの意に反して、クロの身体を舐めて再び寝入ったのである。以来、ミー子もクロをいじめることはなくなり、隔離から解放されたのだが……。
 先ほども言ったと思うが、我輩の家に住む猫たちは何がそんなに気に食わないのか、顔を見合わせる度にケンカをする。それはクロも例外でなく、どちらかというと恐れているという感じではあるが、自分の子供たちであるはずの四匹と仲が悪かったり(これにはまた別の理由がある)、ショウちゃんも気が強い性格でクロの子供たちの四匹とケンカを繰り返したりしていた。ダイちゃんはそういった諍いことが好きではないらしく、いつも逃げるように隠れていた。
 しかしミー子は違った。気が狂ったように、クロに襲い掛かっていたことも忘れるかの如く、いやそれだけではない。ケンカ中の他の猫たちの間に入り、仲裁のように見えることをしていたりする。
 本来、猫のケンカというのは、例えばトラトラとショウちゃんがケンカを始めたとする。そしてそれが感染するかのように連鎖していき、傍観者であったはずのしっぽなやめめも加わりバトルロイヤルと化するのである。したがって自分が敵意を持っていない状態で、争っている最中の猫同士の間に入っていくことは、なかなか考えにくいのである。前述した通り戦闘状態の興奮している猫というのは話ができる状態ではなく、自分以外は敵だと思い込み猛然と襲いかかるフシがある。ミー子のそういった態度は、それこそラブアンドピースの如く、戦争中の二組の間へ非武装のまま入っていくようなものではないだろうかと我輩は思う。
 ましてやミー子の性格を考えると、傍観者であったとしても加わる気満々で飛び込んでいきそうなものである。しかしミー子がそうやって介入していくと、説得したのだろうかケンカは収まるのである。そういった不思議なところがあったのだ。
 そして次に死んでしまったのが、クロであった。思えばこやつの人生(?)は悲劇の連続であったかのように思える。元々クロは気が荒い性格ではなく、穏やかでケンカにも無闇に入り込んだりしない。ミー子の件でもわかるように、争いごとを好まない性格なのである。唸り声をあげるときも、それは怖いから近寄らないで欲しい、と言っている風に我輩たちには聞こえる。
 そんなクロは、マンションに引っ越してからしばらくした後、我輩の部屋の窓が開いていたのか、はては一瞬開いた玄関のドアから出たのか、迷子になった期間があった。日数にして大体一週間ぐらいであったろうか。前のアパートのときは、ほとんど放し飼いの状態であったために、さほど外の世界は脅威ではなかったのだろうが、マンションにきてからは数年経過していたため、野生の本能を忘れてイエネコと化していたと思われる。水も餌も満足に得られなかっただろう。クロを発見したときはガリガリに痩せていた。それを偶然にも近所に住む動物好きのおばさんが発見し、母に連絡したのである。
 ちなみにこのおばさんは後ほども登場する。だが問題はここからであった。
 しばらく外で生活していたクロの存在を、その臭いを、他の猫たちはすっかり忘れてしまっており、よそ者だと思い込んでしまっていたのだ。クロは自分の子供たちに追い回されるようにいじめられた。あまりにいじめられるせいで、しばらくの間クロを我輩の部屋で生活させていた時期もあった。我輩や、家の臭いが移ったと思われる頃、部屋から出してみたものの改善されず、仕方なく半畳ほどのスペースの組み立て式のピンクのケージをリビングに設置し、その中で生活をさせていた。結局見かける度に襲われるといったことはなくなったが、隙をついて噛まれたりすることが無くなることはなかった。
 それぐらいに、猫たちは慣れない臭いに敏感なのである。そんなことを繰り返しているうちに、稀に隙をついて噛まれる以外のことはなくなった、つまり落ち着き始めた頃――クロはいじめられた記憶がはっきり残っていたのであろう。防衛本能のように、自分の子供たちに襲い掛かるのである。襲い掛かられた方は、今度は何故自分が襲われているのかも理解できないように対応するが、それでもクロは向かっていった。そして戦いが再発したのだ。以後、クロは子供たちとそういった悪循環の中で生活していたが、やがて腹の辺りに腫瘍ができそのまま死んでしまった。
 そして次に死んでしまったのはめめだ。めめの場合は、それまでの経験から腫瘍を発見してすぐに病院へ連れて行った。だが今度はそれがいけなかったのである。
 手術を行い腫瘍を除去したのだが包帯が気にくわなかったらしく、自分で取り除こうとし傷口を開けてしまったのだ。それらはすべて我輩たちが寝静まった夜間に行われ、起きたときには家中血まみれの状態だったのである。めめが苦しみながら逝ったのだと思うと、今思い返しても胸が痛むような出来事であった。めめは鳴き声が微妙に高く非常に愛らしい声で鳴いていた。猫版のハスキーボイスといった感じだ。容姿の愛らしさも含めて、我輩はかなりお気に入りだったのだが、やはり猫なので追い回されるのは嫌らしい。他とは違い、あまり近寄って来ないことが多かったように思える。
 まぁ、他の猫がベタベタとひっつきすぎて、猫っぽくないのではあるが。更にめめとピー助はなんだかわからないが、非常に仲が良かった。バトルロイヤルが日常化している、我輩の猫たちの中では異端である。気がつけば一緒に寝ていることが多かったのだ。
 あんまり猫が死んだ話ばかり続けるのも気が鬱になってくる。書いている我輩でもそうなのだから間違いない。
 というわけで、時間軸が前後してしまうが、ショウちゃんとダイちゃん、ミー子が死んだ後の出来事を話そうと思う。
 前述の通り、しっぽな大活躍子猫三十匹の巻であったり、八匹の猫を長期間飼育していたせいで、散々猫を飼ってきた我輩と母は、『もう動物は飼わない』と取り決めたのだった。やはり生き物を飼うというのは、経済面でも精神面でも大変である。家はあちこちがぼろぼろになり、丸々一日家を空けることもできない。さすがに二十数年もそんな生活を続けていれば、幾ら動物好きの我輩や母であってもそうなってしまうのも仕方がなかった。母に至っては、幼少の頃からありとあらゆる動物を飼ってきたらしい。
 その頃はまだ法が今のように取り決まっていなかったのか、猫をはじめ、犬、大きな鳥、猿など鬼退治にでも行くのかと、言わんばかりのパーティである。聞いた話では、猿は電柱に登って感電死してしまったらしい。元々母が拾ってきたらしく飼うことになったみたいだが、少なくとも今の日本の状況から考えると、あまり想像もつかないし本当の話だったのかとも思える。
 動物を飼うことの大変さがいい加減身に染みた母と我輩は、『もう動物を飼わない条約』を取り決めたのだった。
 そんなある日のことである。
 我輩の知人の弟が子猫を拾ってきたのだという。そして彼女の母は動物を毛嫌いしており、捨てなければいけないのだと聞いた、
「飼い主、誰かおらんかなぁ?」
 とりあえず、飼ってくれる人を探そうという話になり、知人や、知人の知人などに聞いて回るが、確かな手応えがなかった。そして彼女の母の猶予期間が過ぎてしまったらしく、いよいよ捨てなくてはいけないのだと話になった。
 では、ということで我輩の家で一旦預かることになったのである。先も話したが、我輩と母は『動物を飼わない条約』を結んでいる。それを我輩が、特例中の特例で一時的に預かることにしたのだ。もちろん母には内緒である。一旦預かるだけである。
 だがあっという間にことが知れた。情報社会とはおそろしいものである。しかし我輩は懸命に説明する。飼い主が見つかるまでの間だと。更に言うなれば子猫と言うから生後三ヶ月ぐらいを想定していた。生後三ヶ月と言えば一番やんちゃ盛りに差し掛かる頃であり、大体一三〇〇グラムから一六〇〇グラムぐらいである。一般的に子猫と言われれば、このぐらいの大きさを想定すると思われる大きさだ。猫博士として著名な我輩がそうだったのだから間違いない。人懐っこい時期であり、新しい家にもすぐ慣れる。実際クロやミー子たちが我輩の家に来たときもそうだったのだ。
 だが我輩の目の前に現れたのは、目が開いたばかりの雌の幼猫だった。ひとりでミルクを飲むことも、便を処理することもできない。握り締めればすぐに死んでしまうような、小鳥のような大きさである。もしかすると彼女の弟が捨ててあると勘違いして、親元から引き離されてきたのかもしれない。いずれにしても、このような幼猫を捨てる人間の気持ちというのが我輩には理解できない。飼育できないまでも信頼できる飼い主を見つけるまでの責任があるのだと思うが、そんな感情論はひとまず置いておこう。
 そしてその幼猫を我輩はチビ子と名付けた。今回は母が名付けたのではなく、我輩が名付けたのである。ミルクも我輩が飲ませ、便も我輩が処理していた。名前も付けた。察しの良い読者ならわかることだろう。確信犯であると。
 口上では、母には飼い主を今も探していると言った。飼い主を捜していると『言い続けて』はや一ヶ月、五月に入ったゴールデンウィークのときだった。
「いい加減、その子の名前決めたらな可哀想やで」
 母の言葉である。
 色んな想いが錯綜する。まず第一に、名前はもうあるのだ。だが母はそれを一時的なあだ名のように扱っており、依然として正当な名前だと認めない。そして『動物は飼わない条約』のこともある。見つかることがない飼い主の件もある。だがそれらを捨て置き、母はその言葉を選んだ。察しの良い母である。
 本当にごめんなさい。そしてありがとうございます。母上様。
 結局、チビ子はさくらという名前に改名させられた。春に来たからさくららしい。あくまで改名である。ちなみに今でも我輩は、こっそりとチビ子と呼んでいるときもある。常にではないが。
 そういった経緯があってチビ子改めさくらは、ようやく飼い主が見つかった。いつの間にか彼女が、ひとりでウロウロできるようになっていた頃の話である。
 我輩の家にはそのとき、さくらを除いて五匹の先住者たちがいた。クロとその子供たちである。いわゆる『よその子』であり居候である。さくらは我輩の家の子である。そして、何度も繰り返すことになるが、我輩の家の猫同士はみんな仲が悪い。その頃はクロがちょうど脱走から戻って来て、一旦は我輩の部屋に隔離していたが、とりあえず釈放されたばかりのときだった。猫というのは慣れない臭いに敏感であり、一度思い込むと手が付けられない状態になるのである。ミー子やクロのように。
 我輩はそんな先住者たちを警戒し、チビ――さくらを我輩の部屋で飼育していた。踏みつけようものなら、簡単に死んでしまうような大きさのチビ――さくらを、宅配便で届いた空箱で作った部屋で寝かせていた。
 ちょうどそんな頃であった。
 我輩がニートと成り果てたのは。
 だいぶ前にも話したが、我輩は勉強というものをしたことがなかった。瞬間記憶喪失の能力者だからである。更に家の猫たちに負けないぐらいに飽きっぽく、気まぐれである。学校生活にもすぐに飽きて、小学校は四年ぐらいから様々な事情があったとは言え、ろくに登校していなかった。中学校に入ったときも、まともに登校していたのは最初の一年から二年ぐらいの間までで、それまでも休みがちだったのが三年で突如爆発。ほぼ行かなくなってしまった。更に受験勉強などもしていない。よく高校に受かったと思う。
 もちろん底辺の商業高校であるが、そこよりも下のランクに通う者もいたし、我輩もそう薦められた。滑り止めとして訳の分からない高等専門学校も受けた。大した手応えも感じなかったがめでたく合格した。よほど阿呆の行く学校だったのだろう。
 そして本命の一次試験の日がやってきた。毎日欠かさず行っていることと言えば、猫の愛撫ぐらいである。そして試験にそんな問題は出題されなかった。誠に遺憾である。
 やがて訪れた合格発表の日。結果は当然不合格である。自堕落な生活を幼い頃から行ってきた我輩を受け入れてくれる度量の広い高校など、非現実の世界にしか存在しないのだ。不合格の結果を提げて学校に戻ってみれば担任がドヤ顔。だがその顔を見て我輩の心に火が点いた。
「二次試験も受けます」
「は?」
 こいつ何言ってんの? と言わんばかりの顔。呆れたような、哀れむような、そんな視線だった。こうして我輩は毎日欠かさず猫を愛撫し、猫と遊び、更には猫と話しができるようにまでなった。長年の賜物であろう。相手が我輩の言葉を理解できているかどうかは、この際置いておこう。
 万全の体勢で望んだ二次試験。前夜には、発売日一日前に販売されたゲームを徹夜でプレイする始末。うっかり試験中に寝てしまうのではないのかといった風だ。もちろん手応えなどない。並んでいる単語の意味すら、はぁ? といった感じであった。答えがわからないどころか問題の意味すらわからない。
 結果は、合格。意味がわからない。一次も二次も手応えどころか、テスト用紙の答えを記入する欄がプリントを配られたまま、塵ひとつ付けずに提出した箇所もあった。はなっから解く気がないのである。
 当然、我輩は何かの手違いだと思った。合格した後、何やら証明書みたいなものをもらいに行ったのだが、もらう直前で「ああ、ごめん。間違いやったわ」と言われるのではないかと、元々小心な心臓が拍車を掛けたようにバクバクと鳴り響いた。
「おーおめでとう。自分、一次も受けにきたやろ? 一次のとき惜しかったんやで」
 後に知ることになる、証明書を手渡す担任の言葉だった。
 何を言ってるのだこいつは、と正直思った。我輩に関するすべての事柄が手違いである気すらしてくる。何かの間違いで我輩は生まれ、何かの手違いで我輩が育ち、何かの手違いで我輩は生き存えているのではないか、という想いで胸が張り裂けそうだった。それと同時に、こんなことで良いのだろうか。人生こんなに甘くて良いのだろうか。とその頃から不安になっていた。
 ひとまず高校の校門を出たあと、出発前までわざわざ起床の電話をくれた担任に、電話をして報告することにする。登校拒否全開だった我輩など、試験日すら拒否して寝ているのだと思われていたのだろう。残念ながら担任のその予想は大きく外れており、我輩は寝ていなかったのだ。徹夜でゲームをしていたせいで。
「え?」
 担任の、電話越しの第一声であった。第二声に選んだ言葉が、
「何かの間違いじゃなくって?」
 であった。失礼も甚だしいと思うかも知れないが、担任の言葉は適切であり、常識であり、当然である。我輩が一番よくわかっている。学校に来ないことを心配して、我輩の家にまで尋ねてきてくれるような担任である。断じて間違っていない。
 その後、ようやく意味が伝わったらしく、喜びと安堵の声で祝福をくれた。寿司もおごってくれた。実に良い担任であった。当時からお婆さんに片足を突っ込んだような先生であったが、その後も壮健であろうか。
 そんなこんなで自堕落な我輩の花の高校生活が始まる。選んだのは偏差値の中から下辺りの商業高校。そして恋愛が存在しなかった。対象者がいないのである。戸籍上というのは存在していたようだが、あれは違う。ワクワクとドキドキがなかった。そういうのは違うんだ。この時点で我輩の青春生活は幕を閉じた。
 面白かったのは、英語の先生だ。
 我輩は中学をまともに登校していない。よって基礎レベルの英語ですら身についていない状態だったのだ。母国語で例えるなら幼稚園レベルであった、というようなものだろうか。そんな状況で高校の英語なんて、はたしてついていけるだろうか、という不安が渦巻いていた。
 しかし、我輩がその高校で三年間その担任に教わった単語はたったひとつ。
 『ミー!』だけであった。未だに忘れることがない英単語である。
 その先生は教科書を作成するほどの、技術と経験と実績を持っていたりする先生だったらしいが、口を酸っぱくして「ミーは『私』や『自分』ではなく、『手』と訳すのだ」と三年にも渡って説明したのである。もちろんそのような授業で、テストなどまともに機能するわけがない。まさか一枚のプリントに『meを訳せ』とデカデカと一問だけ記すわけにもいかない。体裁という問題もある。そこで先生は暴挙に出る。
 テスト一週間前となり、ほとんどの授業がテスト勉強のための、自習時間となった頃。
「先生な、今からテストの問題と答え言うから、ちゃんとメモして覚えてくるんやで」
 そう言った。英語の先生がそう言ったのである。
 当時の我輩には彼は神様のように思えた。英語の神様降臨である。
 そんなこともあって、一番苦手――というか、まともに理解できないレベルだった高校英語も難なく突破したのである。レベルの低い英語力を備えていた我輩への特別な処置だったのだろうか。それにしても周囲の生徒までも巻き込むとは……恐ろしいものである。本当に自分の人生が心配になった。
 今となってみれば、やはりちゃんとした授業を受けるべきだったと思う。しわ寄せがその後に来ているのだから。まぁ、登校拒否児が言うことではないが。
 懸命な読者諸君は時間を無駄にすることなく、今あることを今できることを精一杯頑張りましょう。楽な方へ逃げようとすると、ろくなことになりません。
 一年はまともに登校を続け、二年になるとバイトを始める。近所のファーストフード店だ。学校と違って恋愛の断片のようなものが落ちていた。そこら中に欠片が落ちていたので、我輩は夢中になって拾い集めた。仕事はついでである。
 当然、懸命に勤務し続けることになった。やがて高校も三年になったとき、突如飽きっぽいきまぐれ病が暴発する。学校に行かなくなったのである。自堕落な我輩なのだ。当然である。しかしバイトだけは続けた。恋愛の欠片が落ちているからである。やがて学校に行かずにバイトに明け暮れるようになって、半年と二ヶ月ほど過ぎたとき。我輩は高校の担任に電話を掛けた。
「学校を辞めようと思うんです」
「は?」
 当然である。しかしこの当然の返答は、我輩の予想を遥かに超越したかのような、当然だったのだ。
「おまえ、あとテストだけ受けて、実習分の補修だけくれば卒業できんねんで?」
 我輩の方が、は? と言いたいところであった。何やら一年、二年と真面目に登校を続け、そして得意な国語や社会では良いときは学年一位、そうでなくても上位であり、苦手な英語や数学でも十位以内の成績だったことが影響して、貯金があるのだと説明された。学校にそのような制度があることを我輩は初めて知った。英語は神様のお陰である。
 そんな説明をされて、学校に行くような我輩ではない。更に悠々とバイトを続け、勉強もせず試験を受けに行ったのである。
 そして卒業式の日。ひとりひとりが名前を呼ばれる。中学のときとは違って壇上にあがるわけではなく、壇上から名前を呼ばれて座席から返事をして立ち上がるだけである。
 当然だ。当然なのである。
 我輩は何かの手違いで名前が呼ばれないのではないだろうか。もしくは電話をした前日に担任は潰れるほど泥酔していたせいで、さっぱり物事が把握できない状況下であったのではないか。そして卒業できると勘違いしてそう我輩に説明したのではないだろうか。などと考えて、小心な心臓を高鳴らせていたのを、今でもよく覚えている。
 無事、我輩は高校を卒業した。よほど阿呆の行く高校だったのだろう。
 結局、我輩の高校での思い出は「ミー!」だけだった。ちなみに、猫のミー子とは関連がない。
 そうだった。猫の話をしていたのだった。すっかり忘れていた。いや、違う。ニートの話しに切り替わったのだ。そしてミーの話になったのである。いやはや、瞬間記憶喪失というのは恐ろしい能力である。読者の皆様、並びに学校の担任の先生がたには、大変なご迷惑をお掛けしたと思う。申し訳ない。
 そんな自堕落な生活を続けていた我輩であったが、ファーストフード店でバイトを続けた結果、社員として登用されることになった。我輩でも正社員になれたのだ。故に、阿呆でも採用されるのだろうと考えた。
 だがそんな生活から一転。元通り自堕落な生活へと戻るように、ニートとなった我輩は猫たちを愛撫しながら生活を続ける。正直なところ瞬間記憶喪失の能力が多発しているのか、ニート期間のことをよく覚えていない。猫たちのことは我輩の脳に深く刻み込まれているようであるが、それ以外のことはひどく曖昧な記憶となっていた。よほど密度の薄い期間だったのであろう。
 そんなある日。
 ピー助が死んだ。色々と長い猫である。ピー助は、はてさてクロやミー子と同様に、ある日マンションの一室から消えたのである。元々イエネコである。いや、前のアパートから考えると放し飼いとなっていたが、長いイエネコ生活を過ごした結果、野生の本能などどこかへ消えてしまっていた。そんなときに逃げ出してしまったのである。逃げたというより、ちょっと表へ出てみたが戻れなくなったというのが確かのようである。
 事実、しっぽなも一度逃走しているのだが、捜索の甲斐もなく諦めて寝ることにした夜のこと。どこからか猫の鳴き声がした。聞き覚えのあるそれを確かめようと、ニートになった我輩は表に出る。マンション中を夜中に闊歩しまくるニート。今から数年前の話しである、当時は今ほど社会問題化していなかったこともあり、ニートという言葉はあまり出回っていなかった。しかし、不審者という言葉は、既に錆び付くほど使用されていたので、不審者だった、としよう。いや、不審者のようだった。
 結局、しっぽなは不審者に確保された。我輩の部屋は廊下側にあり、窓から廊下を覗ける位置になっているのだが、しっぽなはちょうど一階下の六階のお宅の、我輩と同じ配置の部屋の窓へ、ガリガリと爪を立てて鳴いていたのである。真夜中の話である。そのお宅からしてみれば、不審者そのものだったに違いない。
 この話しから分かるとおり、嫌で逃げたわけではなく、ちょっと出てみたら迷子になってしまった、というのが正しいということがわかる。ピー助もそんな迷子だったのだろう。しかし、距離にしてしっぽなのときの比ではなく、ニート力全開で二、三日は探し回ったものの見つかることはなかった。諦めていたある日、我輩が近くのコンビニへ買い物に行こうとしたとき、同じマンションに住む動物好きのおばさん――クロのときのおばさんである。犬の散歩をさせていたそのおばさんに、こう言われた。
「あの子、お宅の家の猫とちがう?」
 おばさん曰く、その猫はここ何日もこの辺りを彷徨い食べ物もろくに取れてなかったせいで、骨が浮き彫りになるほど痩せているのだそうだ。そんな様であるから野良猫ではなくイエネコが迷子になったのではないかと心配していたらしい。そして近所中で猫と言えば八匹を飼育している我輩の家ということになり聞いてみたとのこと。というか我輩の家は別に猫屋敷として有名なわけでなく、動物好きの共通点で母とおばさんの交流があっただけの話だ。決して悪名名高いわけではないということを、付け加えておく。
 その猫は車の下のコンクリートの上に横たわっていた。遠目では単なる黒一色の猫で、おばさんの言う通り痩せている以外はわからない。我輩が思わず名前を呼んでみたところ、長い声で返って来たのだ。こうしてピー助は確保された。だが決して無事な状態ではなかったのだ。
 ピー助は栄養失調で視力と方向感覚を失っていた。視力の方はうっすらとは見えるらしいが、焦点が定まっていない感じだった。方向感覚はというと、放って置けば同じところを延々とぐるぐる回るのである。それは確保後に食事をとっても治ることがなく、歩くときもふらふらとおぼつかない。そんなピー助を心配した我輩たちが、ベランダに出さないでおくことにしたぐらいだった。
 だがそれからもピー助はしばらく生きた。決してそのときのことがきっかけて死んでしまったわけではない。ピー助を確保した後獣医に連れて行ったところ、医者はこう言った。
「いや、この子いつ死んでてもおかしくなかったで。生きようとする気持ちだけで、なんとかなったようなもんやぞ。大事にしたりーや」
 ピー助は一週間まともな食事もとらず、おそらく他の野良猫に追い回されたのであろう。体中が傷だらけとなっていた。そうしてぼろぼろになってまでも、生きたかったのだと医者は言ったのだ。もう少し遅れたら手遅れだったかもしれないとも。
 不幸中の幸いという言葉が適しているとは思えない。決して良かったとも思えない。しかしなんとも言えない感情が、ニートである我輩の心に響いた。
 そんな状態のピー助は、クロやミー子のときを彷彿とさせ、当初のクロのときと同じように我輩の部屋で隔離した生活を行っていた。なにぶん視力が衰えているピー助は、度々部屋から出てしまうことが多々あった。猫のご飯が置いてある位置は、ずっと変わっていない。それを覚えていたらしく、わざわざピー助用に我輩の部屋に置いていても、ふらふらとした足取りで食べに行ってしまうようだった。もちろんわが輩達は警戒していたが、予想に反して兄姉猫たちはピー助を攻撃しようとしなかったのだ。
 だがピー助は違った。外で散々野良猫にいじめられたのか、もしくは嗅覚も衰えてしまったのか、単純に覚えていないのか、兄姉猫たちを敵と見なし威嚇するのであった。最初は兄姉猫たちも、何を怒っているのかわからない風で取り合おうとはしなかったが、ピー助が攻撃を始めるとそれが連鎖していく。更にはちょうどクロが家出から戻って我輩の部屋から解放された後だったため、話は更にややこしくなる。仲が悪いと言っても常に喧嘩状態であるわけでなく、常に他の猫を追い回したりしているわけではない。非戦闘状態の猫ももちろんいるのだが、三つ巴以上に乱戦状態となった家の中では、油断しようものならすぐに喧嘩が始まる、一色触発の状態だったのだ。一旦は収まっていても、次への勃発とその連鎖の速さが尋常ではない。我輩や母が仲裁に入るものの、多いときで一日に数度の喧嘩が繰り広げられることとなったのだ。
 そんな環境下で、ピー助は我輩の家で老衰となった。クロに負けないほど波瀾万丈であったと思う。
 そう言えば、この時であった。
 我輩はそれまで、母が猫の遺体をどうやって処理しているのかを知らなかった。時間の都合もあって、約一日から三日程度までは家のリビングで遺体を寝かせているのだが、ある日起きるとなくなっているのである。
 だがその日の朝、母が玄関先でやりとりする声で我輩が目覚めた。何かビニル袋のようなものを来客に手渡している様子。何を話しているのかはわからない。その後、母が買い物に出掛けた頃を見計らって部屋から出ると、ピー助の遺体がなくなっていたのだった。後ほど知ることになるが、どうやら保健所でそういった行政サービスを行っているらしい。遺体を動かしたり抱き抱えたりするのは、やはり辛いものなのだろう。我輩も母に任せっきりにしていてはいけないと、そう考え始めた。
 そう言えば、さくらの話が途中だった。すっかり忘れていた。
 我輩の部屋で、小さなダンボールで飼われてさくらはすくすくと成長した。やが自力でダンボールの外へ這い出るようになったのである。
 この頃まではまだ我輩はニートではなかったため、仕事で留守をすることもあった。物心ついたときから母子家庭だった我輩の家では、母が夜仕事に出ていた。そうして朝方帰って来るのである。昼間に仕事をしていた我輩とは、ちょうど入れ違いになるような感じであった。
 これは、母から聞いた話であるが、さくらは我輩が仕事に行った後、よくみーみーと鳴いていたそうな。不憫に思った母が部屋から連れ出し、一緒に寝ていたのだと言っていた。そうして、さくらはダンボールの外だけではなく、部屋の外にも世界があることを知る。
 ある日、我輩が部屋にいた時のことだ。部屋の扉は開放していた。さくらがひょこひょことした足取りで、部屋から出て行ったのである。更には猫の餌が置かれている場所へ向かい、ご飯を食べていたのだった。これまでに何度かそういうことがあったのかは知らないが、他の猫に知れようものなら一大事である。親兄姉ですら仲の悪い我輩の家の猫たち。そこへ正真正銘、外から来た猫が現れようものなら、それはもう地獄絵図が展開されることは想像に容易かった。
 そして、さくらが他の猫たちに見つかってしまうことになる。最初に発見したのは気性の荒いトラトラであった。トラトラは他の猫ともあまり馴染むことなく、我輩に特別懐いていた猫でもあった。且つ焼きもち妬きである。例えば他の猫たちは我輩に甘えてくるとき、自分以外が撫でられているのを見て感染したかのように寄ってきたりする。だがトラトラは違った。
 まず他の子を撫でている時からして違う。少し遠くでずっと見ているのだ。呼ぶと近くまで来ようとするが、既に撫でている猫を唸りながら睨む。猫パンチ。そして立ち去る。また少し遠くで見ている。その繰り返しであった。逆に誰も撫でていないときは、呼ぶと飛んでやってくる。撫でてやると嬉しそうに喉を鳴らしたりする。
 だがトラトラを撫でている時も、他の猫たちは自分もやれと言わんばかりに寄ってきて、頭をすり寄せてくる。トラトラは近寄ってきた猫を唸りながら睨む。猫パンチ。立ち去る。といった感じなのである。
 独占欲が強いのか何なのか我輩にもわからないのだが、とても感性豊かな猫であった。そういった性格だったせいか、トラトラは誰とも群れない猫だった。近寄ってこようものなら唸りながら睨む。猫パンチ。立ち去る。をしてしまうからである。
 そんなトラトラに見つかってしまった。唸りなが――を覚悟した。だがそんなトラトラがとった次の行動を見て、我輩と母は驚いてしまった。
 さくらを舐めたのである。
 幼すぎたのが幸いしたのか、さくらが世渡り上手だったのかは知らないが、他の猫たちにもいじめられることもなく、クロに至っては自分の娘のように気に掛け面倒を見てくれていた。お陰でさくらは我輩の手を離れることになった。それにしても十数年にも及ぶ猫戦争を解決したのが、外から来たさくらだったことは意外である。
 そんなさくらだったが、いや、そんなさくらだったからこそなのか、甘やかされて育った彼女は、わがままで奔放で甘えん坊の女の子になった。更にまともに歩けないピー助に、冗談半分で猛ダッシュをしたあと、飛びついてからかったりする面も見られた。
 さくらにしてみれば、喧嘩とはほど遠い位置にいたため冗談半分なのだと思う。しかし視力が低下して足下がおぼつかないピー助からしてみれば、冗談もへったくれもあったものではない。自分の半分以下の大きさしかないさくらに、飛び掛かられたピー助は足下がふらつき、体制を崩して倒れ込んでしまい、驚いたのと恐怖で猫パンチを見舞うような痛々しい有様であった。常日頃そんなことを行うのではなく、決まって抱き上げていたさくらを下ろしたときにピー助が視界にいると飛びかかるのである。
 何度怒ろうとも、さくらはそれを止めることがなかった。まったく変なやつである。ちなみにこのさくらの体毛が、当初うちにきたミー子、トラ、クロを混じえたような体毛をしている。シャムっ気があり、三毛風であり、虎縞も備えているのである。母は何度も「ミー子の生まれ変わりや」と言っていた。我輩もそれを鵜呑みにするわけではないが、何か不思議な縁があって、我輩のうちに来たのではないかと思ってしまうほどだった。
 ちなみに、ミー子が死んだことは誰も確認していない。心のどこかで、勝手に殺したんなよ、と思っていた我輩であった。
 何の話であったか。そうだ、ニートの話である。
 こうしてさくらとニートの我輩の生活が始まった。
 そんな中、トラトラが死んでしまった。持論ではあるが、人も動物も、食欲があるうちは大丈夫であり、食欲がなくなったら危険というバロメーターで判断している我輩が見ても、前日は元気で普段と変わりなく焼きもちを妬き、ご飯も食べていたのである。それがあっというまに死んでしまった。せめて最後を看取ってやりたかったが我輩の見ていない押し入れの中でトラトラは死んだ。結局、我輩は安住の地ではなかったらしい。
 そんなことがあって、残ったのがしっぽなとさくらの二匹となる。
 しっぽなは唯一の雄であり去勢前は大きな体格に加え力強いのもあって、喧嘩では基本負け知らずであった。しかし去勢した途端、なよなよっとした甘えん坊となったのである。最後に残ったということもあり、さくらはしっぽなにとても懐いていた。しっぽなもさくらの面倒をよくみてくれた。トラトラの死後、喧嘩という喧嘩はなくなり、さくらはより一層わがままに育つこととなる。
 そんなある日、ついにしっぽなも倒れてしまった。
 もう十五年ほど生きたため、完全な老衰であったのだが、なかなか絶命には至らず痙攣を繰り返しては収まり、じっとしていれば良いものを、人気がないところへ行こうとするなどを繰り返して、そんな状態で約一週間過ごした。果たして彼にとって、それがよかったのかどうかは、猫博士として名高い我輩にもわからない。
 十数年飼ってきた猫たちはみんな死んでしまった。一部未確認も混じるが。
 事故や病気や、元気がなくなった程度などであれば、それ相応になんとかしようとするが、老衰であった場合、母は取り乱すことはあっても無闇に動かしたりするのは避け、病院などにも連れて行ったりはしなかった。明らかに動かなくなり動き方もおぼつかないのである。猫の死に際の動きから考えても、あまり干渉しない方が良いように思えた。
 結果、一匹残されたさくら。
 幼猫としてやってきた時には、既に他の猫たちと八年ほどの年齢差があったのだから、当然と言えば当然ではある。猫は六ヶ月もすれば成猫となり、一般的な子猫ではなくなる。さくらのように、内面的にいつまでも子猫のような個体もいるようだが。そう考えるとやはり一匹では少し可哀想な気がしてくる。
 ましてや彼女は喧嘩とは無縁だったのだから、賑やかな方が何倍も良いのではないかと考える我輩。だが、我輩と母は『動物は飼わない条約』を結んでいる。さくらの時点で例外なのではあるが、今度こそ条約は無視できない。
 なるべく知人が猫を拾う話を聞かないようにする日々が続いた。運悪く猫の話になりそうなものなら、すぐに話題転換するように努めた。
 さくらが一匹になった後、彼女はべったりとくっついていることが多くなった。そうでなくても、必ず我輩から見える範囲にいるのである。稀に、手や尻尾だけ覗かしていることもある。こっちとしてはさくらを探す必要がないため、ある種手間が省けるのではあるが、さくらはどのような想いでそうしていたのだろうか。
 そうして、我輩の再就職が決まった。
 なるべくさくらを一人にしないよう、残業が少ない昼間の仕事を探していたため、大いに時間が掛かったが、それでも遅くなる日は出てくる。そんな日に家に入ろうものなら、走って玄関まで出迎えにくるのだ。犬でもあるまいし。
 そう言えば我輩がニートだった頃、母はそのことにあまり言及しなかった。諦められていたのか、興味がなかったのか、信頼されていたのかそれはわからない。だが少なくとも最後の信頼に関しては、我輩は母に信頼を得られるようなことは、何ひとつしていない。やはり興味がなかったのだろうか。そう思わずにはいられなかった。
 その母は我輩が幼い頃から水商売で働いていた。不景気などの煽りを受けて幾つか店を変わったみたいだったが、我輩はあまり追求したことがなかった。
 よって、どの辺で働いているのか、何という店なのかなどは、まったくと言っていいほどに知らない。興味がないと言えばそうだが、それとは別に聞いてはいけないような気がしていた。
 一般家庭であれば、父親に仕事の内容を聞いたりするのは普通だったのかもしれないが、うちはどちらかと言うと非一般家庭であった。あまり裕福ではなかったし、母子家庭で母が働いているというだけでなく、猫の家に我輩たちが住ませてもらっているような感覚で、主従関係として主に当たるのは猫の方だったからだ。
 すべてが猫を中心に動いており、仮に我輩たちが食べるのにも苦労するようになったときも、猫の食事を優先していそうだ。幸い、猫の食事をしているのを腹を鳴らしながらじっと見ているような境遇にはならなかったが。
 そして母はいつの間にか店を持っていた。どうやら前のオーナーに任されたらしい。しかし詳しく聞いたことはないため、雇われ店長みたいなものなのか、それとも店の名義を受け継いだのかはわからない。その影響で、幅広い職種に渡って交友関係があるようだった。家のテーブルの上に置いてあった名刺を見て、我輩はそのことを知った。一番驚いたのは、某有名な検索サーチ会社の取締役だ。他にも大手建築会社の重役であったり、最大手の総合商社の役員の偉いさんであったり、実に顔が広いようであった。
 やがて、母は謎の行動にでる。
 仕事先へ猫の餌をタッパーに入れて、頻繁に持ち出すようになったのだ。まさか我輩の家の食料難が、そこまで危機に瀕しているとは思っていなかったが、死んだ猫のどれかに取り付かれているのではないだろうか、とは若干思った。
「お母さん、店の近くで猫飼ってんねん」
 我輩は我が耳の性能を疑った。長らくアップデートをしていないためだろうか。まさか母の方から『動物は飼わない条約』を破棄してくるとは。いや、破棄はしていない、極めてグレーゾーンなのかもしれない。それにしても懲りない人だ。我輩の動物好きは、間違いなくこの人から遺伝されたのであろう。遺伝とはおそろしいものだった。

 やがて時は流れる。それと同時に、さくらも徐々に老いてくることとなった。
 最初に我輩の家に来たときには、「ミー! ミー!」と鳴いて、一人でミルクも飲めないような幼猫だったのに、今となっては、ふてぶてしいまでに態度がでかい。おそらく、人間を自分より下の生き物だと認識していると思われる。甘やかし過ぎたか。
 仕事先でも、比較的まともだと思われる人間関係と仕事量に囲まれ、我輩自身もようやく、地に足を付けたような気分になっていた。
 そして、その日は訪れた。
 我輩が、地に足を付けたことへ安心するように、母が亡くなった。
 ある日、夕方になっても起きてこなかった母を、我輩が起こしに行ったとき、既に事切れていたのだ。
 思えば、二十で我輩を生み、二十三で弟を出産、同時期に父親の浮気により離婚。その後、水商売を始めて、女手一つで我輩たちをここまで育ててきた。
 それだけならまだしも、我輩は登校拒否気味であり、弟はグレて、あまり家に近寄らなくなって、戻って来たかと思えば子連れで嫁連れ借金まみれ、初孫を喜んだも束の間で、弟は離婚、孫とも離ればなれになった。その後、弟は行方をくらまし、残った借金を支払うことになる。
 我輩に至っては、二十を過ぎた辺りで、本来であれば働き盛りであろう時を、ニート生活に充て無収入となる。
 ようやく、仕事が安定してきたかと思った矢先に他界したのだ。
 親孝行したいときに親はなし、とはよく言ったもので、祖父母を初めとした誰が死んでも、葬式で一滴も涙を流さなかった我輩は、申し訳なさと、情けなさで泣いてしまった。
 悲しんでいる暇はなく、警察、病院へと連絡し、親戚や母の店の関係者などに連絡したり等、目が回るような忙しさであった。ようやく落ち着いたのは、葬儀を済ませた後だった。我に返ると余計に悲しくなり、色々と思い出してしまう。
 母は、我輩を産んで育ててきて、そのまま死んで、一体何のために生まれ生きて来たのだろう。もう届くことのない後悔と、謝罪の言葉が込み上げてくる。それらは、涙となり形を伴って外界へ現れた。
 もし、死後という世界があるなら、我輩は母に謝り倒そうと思う。
 生まれてきてごめんなさい。
 育ててくれてありがとう。
 あなたの子供で良かったと。
 そんな状態でも、我が輩にはさくらがいた。彼女に支えられて生きていた。
 しかし、一人と一匹で、力を合わせ、慰め合うように生きて来たさくらが死んだ。
 それと同時に、我輩の心の拠り所を埋めるように、一人の男性と出会う。彼は、我輩の悲しみを埋めてくれ、優しさと包容力がすべてを包んでくれそうであった。
 さくらがくれた、最後のプレゼントかも知れない。我輩の家に来たばかりのときには、まだ小さな幼猫のようだったのに。六ヶ月もしない内に大きくなり、ふてぶてしくなった。
 我輩はその思いを胸に秘め、彼の腕に包まれるように、彼と結婚した。
 十三年経って、子供が中学生にあがろうとしていた時だった。
「お前、ずっと変わらんよな。ほら、見てみろよ。俺らが出会った頃と、そのままやん」
 夫はパソコンを操作しながら、ひとつの画像を表示した。さくらを抱いて微笑む我輩の画像だ。彼と出会う少し前のものである。
「ほら、これも、これも」
 次々と画像を表示させる。さくらの姿が、だんだんと幼く、小さくなっていく。鏡に映る我輩の顔と見比べてみる。そして、さくらが来たばかりの頃。我輩の二〇歳の画像に、それは写っていた。
 片方の掌に収まるほど子猫だったさくら。それを手に乗せて微笑んでいるのは、鏡に映る我輩であった。
 我輩がニートだったという話を、夫にしたとき。彼はこう言った。
「もしかしたら、お義母さんが何も言わんかったんは、猫が一匹増えたぐらいにしか思ってなかったんかもしれんなぁ」
 それを聞いた我輩は、思わずなるほどと思ってしまった。
 母にとって、我輩は猫だったのかも知れない。

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