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#39 細胞は、しゅはる。

守破離とは、千利休の訓をまとめた『利休道歌』にある、「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」を引用したもの。

「先代の教えを体得しながら守り、分析を行いながら情報整理した上で適した形に改良し破り、新しさを生み出しながら離れていく」人の成長を分かりやすく〝守る・破る・離るる〟の三段階プロセスで、捉えている。

それを思うとき、「人は細胞そのものなんだなあ」と何故か感じる。

リチャード・ドーキンスは、著書利己的な遺伝子の中で、「生物は、遺伝子のためのサバイバル・マシンである」とみなした。生物は、遺伝子の乗り物にすぎないと言った。DNAがあるから、私たち(乗り物)が存在する。と言った。なんて、つめたいことばなのだろうと一瞬感じた。

(友から「あなたは、細胞みたいね」と言われたことがある。これは、あたたかく感じた。)

でも、心当たりはある。
人を観察していると、細胞接着のようにくっついたりはなれたり、細胞間にさまざまな反応(コミュニケーション)を起こしているように感じる。

それはジュール・ヴェルヌの「想像できることは人は、必ず実現できる」やハインリッヒの法則に似てる持論だけれど「全てのことは、最小スケールの目に見えないレベルから発生し、その延長線上の認知できる現象まで拡大できる」と、そう考えている。

60兆以上の細胞同士がくっついてできてる人が、細胞のようにさらにくっついたりはなれたり、さまざま反応(コミュニケーション)をとっているように感じてしまう。

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たとえば、
とある三つの町で生まれた特産品のお茶があるとする。その生産する人たちは、誇りを持ってその土地の名前をA茶、B茶、C茶としてつける。(守)

それらは年月をかけて少しづつ広がって、世代も変わっていって、次第に日本全国に届いていく。ただ他県のお茶たちも東京のような大都市で交ざって販売するとき、Z県のA茶・B茶・C茶では情報が多く、分かりにくく選ばれにくい。

大きくなってくると、他県と比べる為にZ県茶。またはその地方の特徴的なものに纏めた方が選び易いので、C茶にしようとなる(破)

A茶とB茶も「C茶」と名乗ることになって、生産量も大きくなる。一つの名前になったこと良いこともあるが、丁寧に生産している元A茶の人と収量があればそれで構わない元B茶の人などの個性が消えていってしまうようなことが顕著に現われ始める。

丁寧につくっている元A茶の人が正当に評価を受ける為にオリジナルブランドをしようという動きが生まれる。そうすることで、多くの人に届けれる世界と個人から届ける世界が分かれて、ことなる価値を創造していく。(離)

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これもまた大きな細胞接着だなあと感じる。
何世代もかかった大きな事柄だけれど、人はくっついたりはなれたり、するものなんだと思う。

おじいちゃんおばあちゃん世代、お母さんお父さん世代、自分たちの世代、若い世代、さらに若い世代、赤ちゃん世代と今この瞬間もあらゆる世代が交わって何かを影響し合って生きている。

「守って、破って、離れる」のプロセスを経て、細胞のように生きている。

ぼくもまた細胞なのだと思う。
脱皮した殻に思いを馳せることはとても苦手で。
新品の身体の感知器官全てで気候を感じて「最高ー!」って想う。
呼吸のように新陳代謝を繰り返すことが生きていくってことなんだろう。じゃ、したいようにするほかないのだ。

ぼくは、ほんとおたんちん(バカ)だってことが分かる。だけれど単細胞として、どんな化学反応を起こし、どんな価値を生み出すことができるのか、自分でさえ楽しみにしている。

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